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2010年12月

2010年12月24日 (金)

060601 大西洋3日目

昨日より、また1時間戻した。毎日、なんだか得をしているようだが、洋上だから、さほど実感がない。見渡す限り、海原と空だけの世界である。朝寝坊をさせてもらって、調速後の一日は、いつものようにデッキゴルフから始まる。

 

7時、目が覚めて足が攣った。スプレーのバンテリンを吹き付ける。洗顔する。PCに向かって身構える。八点鐘が鳴る。キャプテンのアナウンスを聴きながら、指先は八点鍾症のアナウンスメントを打ち込む。

 

現在、カナダの東端ニューファンドランドの東沖、1060海里(1963km)を航行しています。

今朝は前後左右に船体が動揺しており、この航海が始まって以来、一番揺れています。お客様が船酔いをしているのではないかと心配しております。

ティルベリーの桟橋は、第2次世界大戦後まもなく作られた古い木造の浮き桟橋です。水先案内人から聞いた話では、たくさんの移民がその桟橋から船に乗り、にっぽん丸と同じようにテムズ川を下り、イギリス海峡を通って海外に出て行ったそうです。

移民先は主にオーストラリアだったそうですが、北米や南米に移民した人達もいたと思います。今の本船同様、荒波を超えて、新天地を求めて船出をしたのでしょう。

 

本日一日中、荒波が続くものと予想されます。午後には低気圧から延びる前線が通過してゆく見込みで、西の風向きに変われば、うねりがおさまり波も静かになってゆきます。その後は、西からの高気圧が本船を守ってくれるでしょう。

今日は工夫をして船酔いを克服してください。自分がこのにっぽん丸を揺らしているんだ、というイメージトレーニングが大事です。うつむく姿勢は良くありません。船酔いで苦しんでいる方は、即効性の注射がありますので船医にご相談ください。

 

停滞していた低気圧にぶつかり、上下左右に揺れてきたが、深夜ほどではないという。波の高さは3m。やがて、南下すれば高気圧が、波に当たる風を打ち消してくれるはずであるから、今しばらくの辛抱だそうだ。酔い止めの薬を早く飲むことを勧めるが、しかし、こうしたうねりにも抵抗力をつけておいて欲しいと、揺れに対しての気構えを願っていた。遊技場のティカップに背中を預けているような、前後左右の揺れが心地よいと思えるように慣れてきたのは、不思議である。妻はそうもいかず、早くに錠剤を服用した。ミセス高橋には、苦いけれど噛んだほうが効きが早いらしいと教えられたらしい。

 

朝食後の後部デッキには、果たして何人が来るか。

心配することもなく、12人も集まった。この揺れにも慣れたのか、ゲームの波瀾万丈を期待するのか、やる気満々。僕は半袖にゴルフ用のウンドーブレイカーを着けただけで寒くはなかった。昨夜、盆踊りの輪の中に西出さんも山縣さんも見つからなかったはずだ。マッサージ室で板倉君に肩を治して貰っていたという。山縣さんは、カジノにいたという。

 

先攻白組の布陣は、高嵜、西出、中島、高橋、萩原。赤組は、山縣、菅井、松田夫妻、菅谷。スタートから僕は難なく4ホールへ動けた。ロングホールとなる5番は、今日の波では難所となる。左舷船尾のプロムナードから、吹き込んでくる強風にはスティックが震え、先が定まらず、誰もが、二度三度のミスを繰り返えすのだ。いつの間にか、ここを「マゼラン海峡」というようになった。更に、波のうねりが大きくなると、ベテランでもターゲットを外す。すり抜けてしまう。その上、甲板は、波のしぶきが散ることで複雑に塩のざらつきが判断できない。湿ったままか、乾燥して塩の結晶が出来上がってくるか、時間差で刻々と変化してくるから、コントロールが難しい。上手さも時の運というところが、メンバーには判っているから、思いがけない失敗に皆はしゃぐのだ。計算が出来ない海域が時々ある。

前方の舳先を見ると、水平線が上下に踊っている。しかし、不思議に誰も酔う者はいない。こういう日は、ウオーキングする人も居ないので、ギャラリーはゼロである。ある者は柱にしがみつき、ある人はスティックを杖代わりにバランスを取っている。むしろ、同じ階のドルフィンホールで踊っている自分の奥さんのステップを気にする者がいるくらいだ。ホール上がりが3人:2人で、我々の白が勝った。

 

10時からの2戦目は、ダンシング高橋がユメレン横田と入れ替わった。

先攻白組は、菅井、菅谷、ミセス松田、工藤、松田。赤組は、西出、中島、山縣、萩原、高嵜。奇数のため、赤組は、12番のパックを交互に打つ。

ますます、揺れは大きくなってきた。両足でバランスを取ろうにも、船が上下左右に、ピッチング、ローリングするため、いよいよ、パックのラインが複雑になっていく。運である。波瀾万丈の結果、白のミセス松田がホールアウトして、赤は、5番ホールを通過した権利玉が僕独りしかいなかった。10のまま時間切れ。権利玉の多い白の勝ちとなった。本日の戦績は11敗。

リーグ戦の組分けが決まった。3組で4人編成。A萩原、B松田、C高嵜のチームで戦うことになった。菅谷、中島、工藤、菅井、松田夫人、西出各氏のくじと、高橋、横田、山縣各氏のくじで、組分けをした。

 

昼食を1230分頃に取る。今日は、好物の名古屋きしめんが出てきたので、ダブルでお願いした。

 

1330分のドルフィンホールは、宮崎先生の講座。今日は、「海からの世界史・ヴァイキングからイギリス」。

ロシアを創ったのは、バルト海の最深部に住むスエーデン系のヴァイキングだ。森林と毛皮の国は、雪解け水が緩やかに流れる川の国でもある。その川は、北へバルト海、南下して黒海、カスピ海にまで流れ着く大河である。ヴァイキングは、川から陸地、陸地から川へと大河を往来して交易を重ねた。船を陸揚げしては進む水路、「連水陸路」は、底の浅いヴァイキングの船にとっては好都合だったのだ。北欧の海とカスピ海、黒海へのヴァイキングのビジネス・ルートは、「川の道」として、流域のモスクワ、ノブゴロド、キエフの都市を結んでいった。ロシアで集めた大量の毛皮が、イスラムの世界の銀と交換された。やがてロシアが建国されていった。

バルト海に流れ込むトラーベ川とヴァーケニッツ川が合流する中州の島を中心に不凍港リューベックが造られ、商人組合が成長した。

 

ハンザ同盟の兆しは、そうしたヴァイキングとドイツのケルン商人との抗争から生まれた。「ハンザ」とは、仲間という意味で、最盛期には同盟諸都市に商館が設けられ、ドーバー海峡から大西洋岸のブルターニュ、ポルトガルの塩田に至る航路が拓かれた。

リューベックでは、復活祭の40日前から肉食を禁止される習慣がある。このため、夏のにしん漁は、塩漬け保存のための塩を交易にする。ところがニシンは不漁になり、28都市が参加のハンザ同盟は、オランダの流し網による漁法で、その主導権を奪われることになる。後に漁船が造船技術を発達させ、海運業を発展させ、オランダは、イギリス、スペイン、ポルトガルを合わせても凌ぐ船を保有するに至った。

東インド会社の勢力は、東南アジアまで拡大した。砂糖を西インド諸島で生産するためにアフリカ西海岸から奴隷船という労働力を金で動かした時代は、やがて、イギリスの毛織物が季節差のある国との交易に適さないことを認識し、インドから綿花を運び、リバプールに鉄道が敷かれ、綿糸を紡ぐことになる。やがて、炭鉱の蒸気機関をワットが改良し、水車を回す動力を船に載せる。蒸気船である。自然に左右されず、人間の意志でモノを創ることが出来るようになった産業革命の時代、テムズ川は世界の船を入港させることに腐心した。

船舶保険が必要になり、波止場の喫茶店3000軒がビジネスの場になり、その中心的喫茶店「ロイド」が後の「ロイド保険機構」となり、やがて預託するための銀行が生まれた。

概容をまとめればこういう話だった。最後に、「アントワープ、リューベック、コペンハーゲン、テムズ川と、海の世界史通りに航行してきた皆さんは、今回大変勉強になったことでしょう」と宮崎先生は講義を終えた。

最終回は、世界一周にまつわる地球規模のオーシャン時代を話してくれるという。解りやすい世界史に、僕は船内の売店で、「海からの世界史」(角川選書383。¥1600)を買った。

 

15時頃から、波はいよいよ大西洋らしくなってきた。今にも船底を叩きそうな荒れ模様だ。部屋に吊してある妻の創ったミニブイが、左右に揺れている。窓はしぶきで水平線が見えなくなってきた。操舵室のビデオカメラ映像を見る限りでは、未だ舳先に波を被ってはいない。前に進んでいても、向かい波に押し返されているように感じる。展望風呂は、本日閉じますとアナウンスがあった。

 

18時になって、前方の鉛色の空に白い割れ目が出始めた。うねりもいくらか、治まってきたようだ。西出さんから、今晩の愛知県人親睦会に、アルコールを出してもいいだろうかと電話で相談された。乾杯に、アペリティフとして一杯だけなら誰も問題にしないでしょうと答えた。

 

06060100021830分、愛知県人会の親睦会をダイニングルーム「瑞穂」で平マネージャーにテーブルセッティングしていただいた。センター手前サイドになった。大須の伊集院さん、鳴海の早川さん、清洲の早川さん、岡崎明大寺の太田さん、呼続の高木さん、小牧の長谷川さん、大府の西出さん、そして日比野の水野さんと、総勢15名。

鳴海の早川さんの息子さんは、腎臓移植の慶応系外科医だったが、転勤して地元の藤田衛生保険病院に戻ってきたそうだ。そういった親しい先生が僕の近くに欲しかったが、残念と伝えた。

当日の夕食会には、工藤さんと若山さんを囲んだ誕生会?のテーブルがあった。我々は遠慮気味に小声で話し合っていた。だが、そうはいかん人がおったのだ。寄港地で自転車を乗り回している水野さんだ。名古屋弁での地声が大きい上に、アルコールが効いた。場を盛り上げる役は抜群だが、誕生会以上に盛り上がってしまった。

展望風呂のオープンを告げるアナウンスがあった。波が治まったのだろうが、デザートになっても若山さんの席には、ハッピー・バーズディを歌ってくれるフォー・ドルフィンズのバンドは現れなかった。お祝いの音の無いテーブルはお気の毒だった。最後は全員の記念写真を平野正道さんに撮ってもらった。

 

エントランスに出て、西出さんとソファーに座った。デッキゴルフの経験者でもあるT夫妻が通りかかった。西出さんが席を勧めた。

T氏が座るなり、ダンス教室について話し始めた。

「私は、外国船にも何度か乗ってきた。ダンス教室は有料やったが、教えて貰った。此処のダンスはタダやけど、堅苦しいわぁ。どの指をどう伸ばせとか、反らせとか、いうてダンスのステップの楽しさを教えてくれへん。あんな小難しいやり方、どこで通用するんかいな。疲れるようなダンスは、しとうないな、船の中で楽しみたいのに、間違ごうてへんか。私たちは、家内と気楽に、いくつかの種類を増やしたいだけやねん。けど、いまんまんまなら、そないな気が沸いてきぃ~へん。だいたい、日本人しか乗っていない客船で、ボールルームが教室のように踊っているのは、滑稽でっせ。競技とか、コンテストする気で船乗りに来たんと違いますが、な。ははは」

僕と同じ気持ちの人がいたので、ついつい頷いて聴いてしまった。サイレント・マジョリティは案外多いのではないか。パナマを通過したら、デッキゴルフに参加してくださいとお願いして立ち上がった。2040分になっていた。

 

2015分からの一龍齋貞心さんの講談を聞き逃してしまった。

 

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2010年12月15日 (水)

060531 大西洋2日目

昨日より、さらに1時間遅らしの時差である。2時、4時、6時に規則的に目覚める。昨夜同様、利尿剤を飲んだ。2時間サイクルだ。なんとなくトイレに起きることが毒素を流れ出させているようで、安心感に繋がっている。現実は、腎機能が弱っているから、薬で輩出しているにすぎないのだ。実は、下肢のむくみがひどくなっている。血行不良なのか、かゆみが出てきた。ロンドンパブで気分良くビールを飲み過ぎたせいだろうか。寄港地で、塩分の強い物は、ブルージュでの昼食以外、口にしていない。

 

Img_10927時、インド洋並みの静かな波である。操舵室の天気図の読みが最適な判断をしているということだろうと、独りで拍手する。空は青く、ふんわりと白い雲が浮かんでいる、穏やかな朝だ。ナビの画面は、相変わらず、真西に一直線を描いている。航跡までが、インド洋から紅海に向かう進路に似ている。

 

八点鐘が鳴った。

今日も、無事に朝8時を迎えることができました。にっぽん丸は、大西洋に乗り出してきました。アイルランドの南西側240海里(444.5km)を、西に向かって快調に航行しています。

昨日の朝、思った程スピードが出なかった為、プロペラの回転を利用した発電システムを解除し、負荷を少なくして航走スピードを上げています。その代わりにディーゼル発電機を使用しています。

水平線上に積雲がありますが、良いお天気です。昨日、大西洋に出たところで、波が高くなりましたが、予想していたよりも今朝の海象は良好です。しかし、お天気は下り坂で、このまま真っすぐ、北緯50度付近を西に向かうと、その先には北東方向に向かう995hPaの低気圧と、そこから延びる前線が控えており、明日から明後日にかけて南風が強まり、波が高くなることが予想されます。それを避ける為に、にっぽん丸は、進路を南に向けています。

弓なりに北極と南極に近い航路をとることで、距離は近くなります。これを大圏(GREAT CIRCLE)航路といいます。その航路をとると、140海里(259km)距離が短縮でき、7時間の余裕が生まれます。が、今回は荒天を避ける為に、南に進路をとっています。

尚、1912414日に沈んだタイタニック号の沈没地点付近の通過予定時間は、6315:00です。

 

18から19ノットで快調に航走中である。キャプテンのアナウンスによれば、真横から南下し始めるとのこと。現在は天候に恵まれているが、明日以降には、波が高くなる怖れありということだ。この昼辺りの距離が5.400海里、全コース30.800海里の折り返し点となるそうだ。

 

デッキに出てみる。寒くはない。風も気持ちがいい。後部甲板に集まったデッキゴルファーの服装も秋冬、まちまちだった。

 

なぜか、今朝も時間ぎりぎりにダンシング高橋が遠慮気味に顔を出した。

先攻白組の布陣は、山縣、高嵜、西出、工藤、高橋、萩原。赤組は、菅井、松田夫妻、中島、菅谷、ゴン。

今朝は、スタートから、敵のロングシューター松田が、一気呵成に1,2,45番ホールを成功させて権利球に成り上がる。お見事。

ロングシューター松田が快調で暴れ回ると堪ったものではない。我々は次々にコーナーに弾き出されて、場外に憤死の山?ボロ負けだったが、辛うじて時間切れで終わった。ホール上がりしたのは、赤3個、白2個で、赤組の勝ち。

10時からのプレイやーには、ゲームの途中参加や離脱する人には、ゲームを遠慮してもらいたいという意見が出た。対戦メンバーの組み合わせにバランスが崩れてしまうことに不満があったからだ。チームプレイの面白さを満喫したいからという意見が圧倒的だった。朝9時からプレイは、船内イベントプログラムだが、2回戦目はその限りではないからだ。盆踊りの練習で途中離脱することが判っている高橋、中島、横田3氏は、外れた。

 

先攻白組は、菅井、ミセス松田、工藤、萩原、高嵜。赤組は、菅谷、西出、ゴン、山縣、松田。

今度は、どういう風の吹き回しか知らないが、前回のロングシューター松田のように、僕が、一気に4ホールから5ホールまで行き着けた。後は、時間まで友軍をサポートするためにゴール回りで阻止の役を果たすこととなった。とはいえ、無駄な2度のミスで、敵にも5ホール通過を許した。我々白組は4人がホールアウトし、ナイスチョット松田が独りで、権利玉となった松田・菅谷・西出・山縣と、ヒール役に徹したゴンチャンを迎え撃ち、ホールアウトした。見事というほかない。20分の時間を余して完全勝利。本日の戦績を11敗とした。

 

この同じ時間、船内のドルフィンホールでは、盆踊りの練習が行われており、それが終わると2階のエントランスホールで、恒例「竜王祭」の出演者募集が行われる。今年の船には、2003年組の竜王、宦官、大西洋、赤鬼役が、それに2004年組オセアニア組の太平洋役が乗船している。ダブルキャストになってもいいくらいに揃っている。どういう配役になるか、石橋さんは楽しみより、悩むほうか。

 

遂に、3階のインフォメーションデスクの壁に、「東ギャラリー」が再開された!

ルーアンのセーヌ河口遡行から、キール運河、コペンハーゲンまでの写真が飾られた。この間、期間が空いたので、フォトセレクションには苦労されたでしょうが、問題がどう氷解したのかは、ともかく、再開おめでとう、有り難う、です。

「コペンの衛兵交代」。昼食も取らずに?あの子供の登場をじっと待ち続けたのでしょうか。子供が衛兵をちらっと見る、瞬間の悪戯っぽい表情が、実にほほえましい。僕だったら、シャッターを押さずに見てしまっていたかも。

スペースの関係で、セレクションから外れてしまったフォトも見たいものだが、それは、帰国寸前のフェアウエル・パーティまでお預けなのでしょうか。

 

デッキランチ日和である。波は地中海よりも穏やかで、不気味なほどに快適である。長袖のポロシャツ1枚で寒くもなかった。

昼食は、高橋夫妻の隣のテーブルに座った。妻とミセス高橋は、ブイ制作で一緒のようで、本日が仕上げの最終回のはずだ。そのまた隣のご夫妻には、デッキゴルフについて質問された。デッキゴルフへの関心は嬉しい限りだ。ウオーキングする人や同じ階のダンス教室の人たちの目にしか留まっていなかったと思っていたのだ。理解者の中から1人でも愛好者が増えることは願うところだ。勧誘を含め、質問に応えた。

 

P1000077 寄港地ニューヨークの情報を読みたいと、インフォメーションと図書館に行くが、数冊あるガイドブックは既に消えていた。コピーを取っているならと待つが、駄目だった。心ない人が、勝手に自室へ持ち出してしまっているのだろう。

 

夕食前に、第2回目のデッキゴルフ打ち上げ懇親会があった。

場所は、7階のリドデッキ、プールサイドだ。大きな声で話しても笑い声が響いても他の船客に迷惑もかけないし、気兼ねなく楽しめるという理由で、その場所を選んだ。高橋先生のフィットネス教室が終了する時間が1515分を待って、全員集合と決めてある。

キール運河がワイン賞金の区切りになった。船が大西洋に乗り出したのだから、これが大きなリセット期だという意見に従った。これまでに貯まったワイン賞金をビールやソフトドリンクに替え、つまみも売店で買ってきた。会費は不要だ。手早く6テーブルをセットして、懇親会を始める。

Dscf2543dg Dscf2538dg Dscf2541dg 同好会長格の高嵜さんの司会で始まった。

 

此処で以下のことが協定された。

1,9時から10時までは船内教室である。船客は誰でも参加出来る。時間内は、クルーズスタッフ、黒川さんの指示に従う。

2,教室時間内では、ホールインワインの規定は該当させない。

3,時間内では、使用ホールの制限も、参加人数の制限にも従う。

4,10時以降は、有志による同好会と考えてよく、我々の規定で進行する。

5,時間を円滑に進行させるため、打順前に、自分番号のパック前に立つこと。

6,握手を以て、スタートとし、握手で終える。

7,次回の打ち上げ会は、パナマ運河通過、太平洋航行時とする。

8,太平洋戦は、4人1組のリーグ戦で優勝チームを決定する。

9,世話役は、高嵜さんに継続お願いする。

 

Dscf254506_dg Dscf2553dg_up 東さんには、この親睦会に来てくださいとお誘いしてある。遅れてリドデッキにご夫妻で現れた。全員で歓迎して、席に座って貰った。

「自分が乗ったので、平均年齢を下げたのだ」と、山縣さんが平成元年生まれを言い張って笑わせる。「松田、高嵜、東の三人は、同年生であります」と、高嵜さんが発表する。「大正12年生まれだよ」と吐露した菅谷さんは、仲間内で最高齢の83歳だった。「キラーコンドルは最年長の鳥なのだ」誰かが戯けて怒鳴った。どっと笑い声が上がった。「デッキゴルフ歴の最年長は、彦根のスイスイマダム、工藤さ~ん!!」。ハイテンションになったところで、カメラマンの東さんが、「乾杯を写真に撮りましょう」となった。

 

乾杯の紙コップを高々と上げる。東ギャラリーに登場はしないが、にっぽん丸のウエブサイトには載るかもしれない。女性たちから、顔は写さないでよね!とは誰も言わなかった。

新しい仲間、仙台の高橋、名古屋の西出、姫路の山縣、福岡の横田、4氏から、自己紹介を含めたひとこと発言があって、夕食までの限られた時間だったが、充実した顔で満ちた。

 

次回の懇親会は、太平洋へ出た時と決まった。東さんご夫妻は、この異様な連帯感をどう受け止めただろうか。04年度のオセアニアでの風説があるだけに、ここに、綿入れを着込んだ本間親分と、タキシードのカマーバンドでウエストを締めた塚田ギャング、それに革ジャン・ジーパンの一匹狼の小林という03年組の怖いお兄さんたちが同席していたら、このデッキゴルフ同好会をどう喜んでくれただろうか。帰国後の南太平洋クルーズは、稲光が轟くほどに、盛り上がるだろう。既に高嵜さんは乗船予約済みだと聞いた。

 

ロビーで高橋夫妻、菅井夫妻と一緒になったので、夕食は6人テーブルを平さんにお願いした。ビル建築の設計をやってきた高橋さんとの話題は、建築家・安藤忠雄の話になった。高校の時、建築デザイン方面に興味があったからだ。一時期心臓を悪くしたという高橋さんは、カテーテルの話で荘輔さんとも話が通じた。

食事には関西の十割蕎麦が出てきた。僕のそばつゆは塩分控えめになっていると話すと、ミセス高橋が「創味」というそばつゆが美味いですよとのこと。なんと、高橋さんは、蕎麦打ちをする人だった。仲間と蕎麦畑を持って、収穫から臼曳きまでしているという本格派だった。実に羨ましい話だ。

熱海に道具を持ち込んで僕も時々下手の横好きをしている。卒論合宿で家に学生を泊まらせた時は、参った。食べる量と速さに打ち手の自分が追いつかなかった。焦って菊練りが上手くいかない玉は、蕎麦がきになってしまった。へとへとに疲れ切った蕎麦の話でも盛り上がった。

 

いい酔いだった。ふぐのひれ酒をお代わりした。珍しく、ご飯を断った。

盛岡で食べる「かぜ(ウニ焼き)」の美味さや、贅沢な「(台に載せたままの)下駄ウニ」があったらなあと話した。仙台の河北新報裏のライオンズマンション1階にある「みのむし」のお通しは、東京の者には、実に贅沢なものになる。

デッキゴルフには、駆け引きがあって面白いとなった。メンバーの一人一人の性格で、攻撃の仕方が違うのが判るという。確かに、03年時には、本田親分の口三味線攻撃に多くがやられた。僕が苦手な局面はこういう敵玉に囲まれた時だとまで、酒の勢いで吐露してしまった。ひれ酒は効いた。話に夢中で、デザートを口にしたのは、僕が最後だった。

ニューヨークでは荘輔さんが、ナイヤガラのオプショナルツアーに出掛ける。このため、美子さんは、我々と一緒に自由行動することになった。

 

盆踊りがドルフィンホールで催されている時間だった。行ってみると、リピーターの参加が少ない。初めて組は、案内されたように浴衣と下駄を用意し、夫婦揃いの浴衣姿が多い。二人で嬉々として踊っている。先回ビギナーだった我々もそうだったのだなあと思った。そうらん節、炭坑節、東京音頭などを前日に予習してから踊った。盆踊りは、僕自身、小学生の時から大好きだった。家の前の広場が、草野球場になるときもあれば、木下サーカスのテントが張られるときもあったが、夏になれば、櫓が組まれる盆踊り会場だった。

ドルフィンホールが、踊りの他、祭り気分の盛り上がりに欠けている。見慣れた、いつもダンスフロアーで櫓太鼓が叩かれているだけだからだろう。味気ない。地方の公民館で僅かな人数で踊りの練習をしている風景に似ている。窓や柱にそれらしい飾り付けがあるわけでもない。デッキランチの時の提灯くらいぶら下げたらどうか。

 

踊りの輪に、西出さんは見つからなかった。ネプチューンバーに出掛ける約束は、さほど強いものでもなかった。今夜は止めておこうと、部屋に戻った。

 

船は、大西洋に出て、いくらか揺れてきたが、まだゆっくりとした波動の揺りかごレベルだ。船底をドンと叩かれるようなピッチングもない。操舵室の航路取りが巧いのか、天候に恵まれているのか。有り難い。  

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060530 大西洋1日目


 

2時、4時、6時と目覚めてしまった。これも、昨夜、服用する利尿剤を増やしたせいだろう。2時間サイクルだ。身体の老廃物を濾過するシステムが判ったような気がする。

八点鐘が鳴った。昨日よりも時差で1時間遅れての9時。朝寝坊ができたというわけ。

 

本日から大西洋を一週間連続で航海してゆきます。昨日、50年以上前から使用されていたティルベリーの客船ターミナルを出港し、テムズ川を下ってイギリス海峡に入りました。2230分頃、テムズ川の水先 案内人が降りた後は、ドーバー海峡、サザンプトン、軍港ポーツマスの沖を通過し、現在はシェルブールの西北西55海里(102km)を航行しています。本 日の15時頃には、大西洋へ乗り出してゆきます。
 Pict2708 にっぽん丸はイギリスのグリニッジに初めて入港しました。
停泊場所のすぐ近くには海軍大学、旧王立天文台もあり、航海術発祥の地、そして船乗り発祥の地であることを強く感じました。また、日本の商船の習慣はイギリス海軍を見習ってきたこともあり、この地に立てたことをありがたく思いました。
 航空機は、船の呼び名を習っています。キャビン、キャプテン、スチュワーデスなどがそうです。
 日本出港から今朝8時までの航行距離が14,951海里(27,689km)、正午までが1524分、海里(27,824km)です。今航海の予定総航行距離が30,800海里(57,042km)ですから、航行距離上の折り返し地点も近くなってきました。明日の昼までには折り返しとなります。
 大西洋の航海中は、天気の様子を見ながら穏やかな航海となるように進路を決めてゆきます。1週間の航海日を利用して、ヨーロッパ旅行の疲れを癒してください。

 

キャプテンのアナウンスによれば、深夜に全速力の22ノットで走り出していたが、明け方からは向かい波のため、18ノットに落ちているという。北の風13m。波の高さは北から15m。英国本土の壁が無くなるころには、次第に船も揺れてくるだろうとのこと。気温125℃、109℃。緯度が高いところには、未だ低気圧の前線が停滞しているので、ニューヨークまでの大西洋上は、毎日の天候を見比べながら、東西南北の進路を判断していくとのこと。やはり、揺れるということへの軽い予告を出している。ロンドン二日間の疲れを癒してくださいというアナウンスだったが、果たして癒せるものかな?

NHKTVも映らなくなっている。中日の成績も、ジーコ監督のワールドカップの戦況も解らない。

 

朝食の席で、或る方と話していて、やはり同じ意見が出てきた。ヨーロッパ辺りから、食事の評判が悪い。オプショナルツアーでの食事のことだろうと受け取ってきたが、どうやら、それだけの話ではなかった。美食のにっぽん丸というが、それほどでもないメニューになってきた。家庭料理になってきてしまった。フルコースというスタイルを貫き通すがために、品数に変化が乏しくなったのなら、品数を抑えてでも、丁寧な料理に戻してもらいたいものであるという意見だった。家庭料理という意味は、出される料理が、数日前の素材の焼き直し、余り物の活用に思えてきたという。それが、主婦感覚で見えてきてしまったという。文字通り、台所の苦しい状況が読めるのだということ、それが、「家庭料理」になったという意味だと解った。別のある方などは、自室で食べるために、食材をロンドンで大量に購入してきたと言う。

 

Img_2260 空に碧さが戻り、海に青みが増した。これならきっと、デッキゴルフは快適だろうと急いで4階に上がる。

9時スタートで10人揃っていたのだが、折角だからと遅れたダンシング高橋、フランク山縣両氏も加わった。先攻白組の布陣は、高嵜、中島、菅谷、黒川、山縣、菅井。赤組は、松田夫妻、高橋、工藤、西出、萩原となった。少し、揺れてきた。

ロング・キング松田、マダム工藤に空振りが目立ち、マダラ萩原は、その名の通り、当たり外れがマダラで、白組のキラーコンドル菅谷、ノイジーサンダル菅井に巧く動き回られ、我々赤組は、初戦を苦戦の末に敗北。

2回戦は、偶数にはならないがゴンチャン参加。ダンシング高橋、マダム工藤が抜けたので組み替えをした。白組にゴンチャンが入って、松田夫人、中島、菅谷、高嵜。赤組に山縣、菅井、西出、萩原、松田となった。

ゴンチャンには、二人分の2パックを使って練習量不足を補ってもらおうと考えたのが甘かった。船が揺れているにも拘わらず、ナイスショットをしたときの打球が強くなっていたゴンチャンに、赤のパックは、場外にかなり弾き出された。これが大きな番狂わせとなった。ギターフレットを抑える握力は、スティックを操作するのに都合がいいのかと冷やかすが、本人には理解できていない。両手を上げて吠えるだけ。

ヒール役に徹したゴンチャンのショットが功を奏して、赤組が連敗、これで僕も今日は連敗となった。ゴンチャン侮れないと、負け組は、盛んに首を振る。

2回目の打ち上げ会を、17時からプールサイドですることになった。

 

11時になって、船の揺れは治まった。だが、かつてその昔、ピュリタンたちが新大陸を目指した時代の船体を考えれば、大西洋の荒波はジェットコースター並みだったのだ。まだまだ、大揺れが待ち構えているだろう。

 

昼食を終えた時、本間さんから田中夫妻のご紹介を受ける。田中さんは、拙作(『思いきって世界一周クルーズ』)を「海」(季刊の商船三井客船ドルフィンクラブ会員誌)で知って、書店から取り寄せ読んだ方だった。嬉しいことに、それで今回乗船したのだと言われた。

その田中さんが、何か相談があるという。ガイドが連れて行ったロンドンの或るショッピングストアで、クレジットカードの取り扱いに不審な点があったのだが、と切り出された。

レジの店員が、カードを何度もスライドした後で、機械の故障かも知れないので、と奥にカードを持って入ってしまったという。そして、暗証番号を教えてくれませんかと要求したという。ややあって、通りましたといってカードを返してくれたという。

店員が客の見えないところでカード操作し、なおかつ、番号を訊いた。あからさまに実に危険な行為をした店に腹が立った。かつて僕がメキシコで体験した時と同じ、VISAカードだった。すぐにも、停止したいが、本に同様の経験をされた萩原さんに、意見を求めたいとのこと。

有無を言わず、即、停止をお勧めした。しかも、可及的速やかに住友VISAに電話することを言い添えた。シニアの日本人観光客を狙った犯行である。

6階の通信室から電話をするか、メインエントランス横の電話ボックスからカードで掛けられるが、と言ってしまってから、口を押さえた。そのカードの残金が消えてしまっているかも知れないのだからと、6階に急いで貰った。繋がる先は、日本ではない。豪州で待ち受けるVISAの日本人担当者に、である。

 

1315分からはドルフィンホールでは、宮崎先生の3回目の講義「オーシャン時代の始まり」が始まった。

大航海時代のコロンブスの焦りとバスコダガマの成功。スペインとポルトガルの布教を基盤にした勢力図の拡大で、東航路と西航路が黒潮に乗る日本という国との接点を探り始める時代を説いてくれた。日本が意外にもキーとなった時代だったことを知った。

こうした船内講義スタイルは、今でこそ、飛鳥、ぱしび(ぱしふぃっくびーなすの略)でも当たり前に企画され、リタイア夫婦が毎回神妙に座ってテイクノートしているのだが、そもそもは、オランダ船籍のラインダム(12527総トン)が1925年に実施していた。ニューヨークを出航して33ヵ国47港を7ヶ月かけて回るクルーズでのことだった。「世界クルーズ大学」と言われ、航海中に受講した教科が履修単位に認定されるシステムだったようだ。富裕層の“成人大学“と言えるものなのか、以後10年間に7回開催されていたという。この頃、米国からの移民受け入れ制限が始まり、定期船客の減少対策にと、世界一周クルーズ運航が始まった。

これから我々が616日に通過予定のパナマ運河の開通が西回り世界一周クルーズの幕開けになっていくのだ。今日の講義は、あのパナマ運河開通のお陰だった。

 

 

P1000136 夕方から、1階のシアターでは観たい映画が連続した。

16時からは、「ルシタニア号、最後の航海」(ナショナル・ジオグラフィック制作)。Uボートの魚雷1発の被弾で、タイタニック号よりも早い、僅か18分で沈没させられた豪華客船を、タイタニック号の撮影にも成功した海洋学者が、その謎を解き明かそうとする潜水するドキュメント。

17時からは「大西洋の女王・QM」。就航を祝う多くの見送り風景から、船内の説明、NYへの入港歓迎風景を収めた同じくドキュメント。船上で楽しむシャッフルボードの他、船内にはスカッシュルームさえあることを知った。

 

今夜は、フォーマルナイトである。

妻は、2回目の和服を着るため、独りで着付けている。僕は、タキシードにも慣れ、早く身支度することが出来た。2003年の初乗船した時とは違い、晴れがましさも失せて、正直言えば、面倒な日になっている。ドルフィンホールへ通じる狭い廊下に行列するのが、なんともやりきれない。僅か、3時間ほどの時間に、女性たちは、船内の美容院を何日も前から予約する。人によっては、寄港地でアクセサリーを探し歩く。非日常体験とはいえ、自分自信も身についていないのが、滑稽に思える時がある。

ダイニングの入口で平野マネージャーがカメラを下さいと、笑って近づいてきてくれた。二人で撮ってもらった。キャプテンが入ってもう1枚。

センターテーブルでは、出航早々にデッキゴルフに顔を出してくださった赤嶺夫妻と同席になった。もうお一方は、大島紬のネールカラーを着た佐藤夫妻だった。佐藤さんは、あのドーバーに急いでいた飛鳥Ⅱとの交信をされていたので、飛鳥情報も興味ある話だった。佐藤さんは、ドイツに売却された旧飛鳥「アマデア」帰航クルーズにも、飛鳥Ⅱのオセアニアクルーズも、にっぽん丸の南洋クルーズにも、既にリザーブされていた。介護付き高級マンションや質の高い老人ホームに入るよりも、クルーズで過ごす老後の方が、至極健康的で交友関係も素晴らしいと聞いたことがある。それを実践できる富裕層が羨ましい限りである。「根岸の里の侘び住まい」とは、冗談にも口に出せなかった。

妻が少し疲れ気味である。和服の窮屈さを解放させて、横になるように言った。大西洋の荒波で揺れる前に休ませておきたい。

ドルフィンホールでも、瑞穂のダイニングルームでも、気になって田中夫妻の姿を探していたが、普段と違った華やかに着飾った中では、男は、ダークスーツ一色で見失っていた。

田中さんには、エントランスホールで会えた。隅のソファーに座りながら、事の次第を聞くことが出来た。4000円ほどの電話代で、日本のVISAサービスと話が出来た。カード停止と同時に新カード発行手続きも進行中だと言う。他人事ながら安堵した。

 

ガイドが連れて行ってくれたからとしても、店員や臨時の雇用者にまで信用を与えるものではない。味をしめたら、日本人のシニア観光客が今も同じ手口で狙われているわけにはいかない。観光バスの発車時間が迫っていた時に、狙われたという話もよくあるそうだ。

 

 

2030分からのメインショーは磯村芳子のゴスペル。2145分からは、一龍齋貞心さんの講談がある。「亀甲縞売出し」は、歌舞伎役者を起用した新製品セールスプロモーション、お馴染みの一席である。どちらにも出ないで、DVDを船室で観ることにした。

DVDは貞心さんから借りた「異母兄弟」だ。東宝出身スタッフによる「独立プロ」製作で、家城巳代治監督の映画。田中絹代、三国連太郎、中村賀津雄、南原伸二、高千穂ひづるという蒼々たる配役だ。ところが、貞心さんの当時の役者名が判らないまま観ることになった。

面影からして、もしかしたら、田中絹代の子供をいじめる本妻の子供役が、彼なのだろうか。三国連太郎の次男役だ。聞かずに借りてしまったのは、うかつだった。

貞心さんが船に持参したのに訳があった。彼の映画デビュー作だと聞かされている。シアターで上映してくれれば当時の話も付け加えようかという趣向だったようだが、船側は、戦争映画は船客の中にお嫌いな方がいらっしゃるという理由で断られたとのこと。おかしなことがあることだ。この映画は、歪められた陸軍大尉の夫に忍従した妻と子供の姿を描きながら、軍国主義の終焉を描いてみせたもの。また、映画そのものは、選択されるべき、娯楽のひとつに過ぎない。嫌いな方は観なければ済むという自由度をもつ。

さらに言えば、今回も実施されるだろう、キッツ島での日本海軍兵への戦没慰霊祭をキャプテン以下の三役が行うのはどう考えたらいいのだろうか。「ルシタニア号、最後の航海」も、死者の顔写真あり、戦争の悲劇であり、また今まさに我々と同じ大西洋を越えようとするときに撃沈された当時世界最大の豪華客船である。

飛鳥なら、これをどう考えるだろうか。映画というものは、戦争そのものの描き方ではなく、そのモチーフを通して、なにを訴えているかが重要な点である。ここにも、にっぽん丸クルーズディレクションの判断基準の曖昧、不明確さが出てきてしまった。今年は、なぜか、サービスの軸がずれてはいないだろうか。エンターテイナーの質も含めて、満室のにっぽん丸が、どういうファンを創ろうとしているのか、見えなくなってきている。

 

見終わって立ち上がったら、右足ふくらはぎが攣った。長い間同じ姿勢だったせいだろうか、体力が落ちてきたのか、クエン酸系の水分が不足しているのかだ。いつものように、大腿部の付け根にドライヤーの熱風を当てて、硬直化した筋肉を解した。

 

2445分、イギリス海峡から大西洋へ20ノットで航走している。ナビ画面には、イギリスのランズエンド岬(カンガルーの尻尾のような位置)下を真西に一直線の航跡が読める。

 

明日の夕方は、デッキゴルフ2回目の親睦会を、リドデッキプールサイドテーブルで行う。

 

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