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2010年12月24日 (金)

060601 大西洋3日目

昨日より、また1時間戻した。毎日、なんだか得をしているようだが、洋上だから、さほど実感がない。見渡す限り、海原と空だけの世界である。朝寝坊をさせてもらって、調速後の一日は、いつものようにデッキゴルフから始まる。

 

7時、目が覚めて足が攣った。スプレーのバンテリンを吹き付ける。洗顔する。PCに向かって身構える。八点鐘が鳴る。キャプテンのアナウンスを聴きながら、指先は八点鍾症のアナウンスメントを打ち込む。

 

現在、カナダの東端ニューファンドランドの東沖、1060海里(1963km)を航行しています。

今朝は前後左右に船体が動揺しており、この航海が始まって以来、一番揺れています。お客様が船酔いをしているのではないかと心配しております。

ティルベリーの桟橋は、第2次世界大戦後まもなく作られた古い木造の浮き桟橋です。水先案内人から聞いた話では、たくさんの移民がその桟橋から船に乗り、にっぽん丸と同じようにテムズ川を下り、イギリス海峡を通って海外に出て行ったそうです。

移民先は主にオーストラリアだったそうですが、北米や南米に移民した人達もいたと思います。今の本船同様、荒波を超えて、新天地を求めて船出をしたのでしょう。

 

本日一日中、荒波が続くものと予想されます。午後には低気圧から延びる前線が通過してゆく見込みで、西の風向きに変われば、うねりがおさまり波も静かになってゆきます。その後は、西からの高気圧が本船を守ってくれるでしょう。

今日は工夫をして船酔いを克服してください。自分がこのにっぽん丸を揺らしているんだ、というイメージトレーニングが大事です。うつむく姿勢は良くありません。船酔いで苦しんでいる方は、即効性の注射がありますので船医にご相談ください。

 

停滞していた低気圧にぶつかり、上下左右に揺れてきたが、深夜ほどではないという。波の高さは3m。やがて、南下すれば高気圧が、波に当たる風を打ち消してくれるはずであるから、今しばらくの辛抱だそうだ。酔い止めの薬を早く飲むことを勧めるが、しかし、こうしたうねりにも抵抗力をつけておいて欲しいと、揺れに対しての気構えを願っていた。遊技場のティカップに背中を預けているような、前後左右の揺れが心地よいと思えるように慣れてきたのは、不思議である。妻はそうもいかず、早くに錠剤を服用した。ミセス高橋には、苦いけれど噛んだほうが効きが早いらしいと教えられたらしい。

 

朝食後の後部デッキには、果たして何人が来るか。

心配することもなく、12人も集まった。この揺れにも慣れたのか、ゲームの波瀾万丈を期待するのか、やる気満々。僕は半袖にゴルフ用のウンドーブレイカーを着けただけで寒くはなかった。昨夜、盆踊りの輪の中に西出さんも山縣さんも見つからなかったはずだ。マッサージ室で板倉君に肩を治して貰っていたという。山縣さんは、カジノにいたという。

 

先攻白組の布陣は、高嵜、西出、中島、高橋、萩原。赤組は、山縣、菅井、松田夫妻、菅谷。スタートから僕は難なく4ホールへ動けた。ロングホールとなる5番は、今日の波では難所となる。左舷船尾のプロムナードから、吹き込んでくる強風にはスティックが震え、先が定まらず、誰もが、二度三度のミスを繰り返えすのだ。いつの間にか、ここを「マゼラン海峡」というようになった。更に、波のうねりが大きくなると、ベテランでもターゲットを外す。すり抜けてしまう。その上、甲板は、波のしぶきが散ることで複雑に塩のざらつきが判断できない。湿ったままか、乾燥して塩の結晶が出来上がってくるか、時間差で刻々と変化してくるから、コントロールが難しい。上手さも時の運というところが、メンバーには判っているから、思いがけない失敗に皆はしゃぐのだ。計算が出来ない海域が時々ある。

前方の舳先を見ると、水平線が上下に踊っている。しかし、不思議に誰も酔う者はいない。こういう日は、ウオーキングする人も居ないので、ギャラリーはゼロである。ある者は柱にしがみつき、ある人はスティックを杖代わりにバランスを取っている。むしろ、同じ階のドルフィンホールで踊っている自分の奥さんのステップを気にする者がいるくらいだ。ホール上がりが3人:2人で、我々の白が勝った。

 

10時からの2戦目は、ダンシング高橋がユメレン横田と入れ替わった。

先攻白組は、菅井、菅谷、ミセス松田、工藤、松田。赤組は、西出、中島、山縣、萩原、高嵜。奇数のため、赤組は、12番のパックを交互に打つ。

ますます、揺れは大きくなってきた。両足でバランスを取ろうにも、船が上下左右に、ピッチング、ローリングするため、いよいよ、パックのラインが複雑になっていく。運である。波瀾万丈の結果、白のミセス松田がホールアウトして、赤は、5番ホールを通過した権利玉が僕独りしかいなかった。10のまま時間切れ。権利玉の多い白の勝ちとなった。本日の戦績は11敗。

リーグ戦の組分けが決まった。3組で4人編成。A萩原、B松田、C高嵜のチームで戦うことになった。菅谷、中島、工藤、菅井、松田夫人、西出各氏のくじと、高橋、横田、山縣各氏のくじで、組分けをした。

 

昼食を1230分頃に取る。今日は、好物の名古屋きしめんが出てきたので、ダブルでお願いした。

 

1330分のドルフィンホールは、宮崎先生の講座。今日は、「海からの世界史・ヴァイキングからイギリス」。

ロシアを創ったのは、バルト海の最深部に住むスエーデン系のヴァイキングだ。森林と毛皮の国は、雪解け水が緩やかに流れる川の国でもある。その川は、北へバルト海、南下して黒海、カスピ海にまで流れ着く大河である。ヴァイキングは、川から陸地、陸地から川へと大河を往来して交易を重ねた。船を陸揚げしては進む水路、「連水陸路」は、底の浅いヴァイキングの船にとっては好都合だったのだ。北欧の海とカスピ海、黒海へのヴァイキングのビジネス・ルートは、「川の道」として、流域のモスクワ、ノブゴロド、キエフの都市を結んでいった。ロシアで集めた大量の毛皮が、イスラムの世界の銀と交換された。やがてロシアが建国されていった。

バルト海に流れ込むトラーベ川とヴァーケニッツ川が合流する中州の島を中心に不凍港リューベックが造られ、商人組合が成長した。

 

ハンザ同盟の兆しは、そうしたヴァイキングとドイツのケルン商人との抗争から生まれた。「ハンザ」とは、仲間という意味で、最盛期には同盟諸都市に商館が設けられ、ドーバー海峡から大西洋岸のブルターニュ、ポルトガルの塩田に至る航路が拓かれた。

リューベックでは、復活祭の40日前から肉食を禁止される習慣がある。このため、夏のにしん漁は、塩漬け保存のための塩を交易にする。ところがニシンは不漁になり、28都市が参加のハンザ同盟は、オランダの流し網による漁法で、その主導権を奪われることになる。後に漁船が造船技術を発達させ、海運業を発展させ、オランダは、イギリス、スペイン、ポルトガルを合わせても凌ぐ船を保有するに至った。

東インド会社の勢力は、東南アジアまで拡大した。砂糖を西インド諸島で生産するためにアフリカ西海岸から奴隷船という労働力を金で動かした時代は、やがて、イギリスの毛織物が季節差のある国との交易に適さないことを認識し、インドから綿花を運び、リバプールに鉄道が敷かれ、綿糸を紡ぐことになる。やがて、炭鉱の蒸気機関をワットが改良し、水車を回す動力を船に載せる。蒸気船である。自然に左右されず、人間の意志でモノを創ることが出来るようになった産業革命の時代、テムズ川は世界の船を入港させることに腐心した。

船舶保険が必要になり、波止場の喫茶店3000軒がビジネスの場になり、その中心的喫茶店「ロイド」が後の「ロイド保険機構」となり、やがて預託するための銀行が生まれた。

概容をまとめればこういう話だった。最後に、「アントワープ、リューベック、コペンハーゲン、テムズ川と、海の世界史通りに航行してきた皆さんは、今回大変勉強になったことでしょう」と宮崎先生は講義を終えた。

最終回は、世界一周にまつわる地球規模のオーシャン時代を話してくれるという。解りやすい世界史に、僕は船内の売店で、「海からの世界史」(角川選書383。¥1600)を買った。

 

15時頃から、波はいよいよ大西洋らしくなってきた。今にも船底を叩きそうな荒れ模様だ。部屋に吊してある妻の創ったミニブイが、左右に揺れている。窓はしぶきで水平線が見えなくなってきた。操舵室のビデオカメラ映像を見る限りでは、未だ舳先に波を被ってはいない。前に進んでいても、向かい波に押し返されているように感じる。展望風呂は、本日閉じますとアナウンスがあった。

 

18時になって、前方の鉛色の空に白い割れ目が出始めた。うねりもいくらか、治まってきたようだ。西出さんから、今晩の愛知県人親睦会に、アルコールを出してもいいだろうかと電話で相談された。乾杯に、アペリティフとして一杯だけなら誰も問題にしないでしょうと答えた。

 

06060100021830分、愛知県人会の親睦会をダイニングルーム「瑞穂」で平マネージャーにテーブルセッティングしていただいた。センター手前サイドになった。大須の伊集院さん、鳴海の早川さん、清洲の早川さん、岡崎明大寺の太田さん、呼続の高木さん、小牧の長谷川さん、大府の西出さん、そして日比野の水野さんと、総勢15名。

鳴海の早川さんの息子さんは、腎臓移植の慶応系外科医だったが、転勤して地元の藤田衛生保険病院に戻ってきたそうだ。そういった親しい先生が僕の近くに欲しかったが、残念と伝えた。

当日の夕食会には、工藤さんと若山さんを囲んだ誕生会?のテーブルがあった。我々は遠慮気味に小声で話し合っていた。だが、そうはいかん人がおったのだ。寄港地で自転車を乗り回している水野さんだ。名古屋弁での地声が大きい上に、アルコールが効いた。場を盛り上げる役は抜群だが、誕生会以上に盛り上がってしまった。

展望風呂のオープンを告げるアナウンスがあった。波が治まったのだろうが、デザートになっても若山さんの席には、ハッピー・バーズディを歌ってくれるフォー・ドルフィンズのバンドは現れなかった。お祝いの音の無いテーブルはお気の毒だった。最後は全員の記念写真を平野正道さんに撮ってもらった。

 

エントランスに出て、西出さんとソファーに座った。デッキゴルフの経験者でもあるT夫妻が通りかかった。西出さんが席を勧めた。

T氏が座るなり、ダンス教室について話し始めた。

「私は、外国船にも何度か乗ってきた。ダンス教室は有料やったが、教えて貰った。此処のダンスはタダやけど、堅苦しいわぁ。どの指をどう伸ばせとか、反らせとか、いうてダンスのステップの楽しさを教えてくれへん。あんな小難しいやり方、どこで通用するんかいな。疲れるようなダンスは、しとうないな、船の中で楽しみたいのに、間違ごうてへんか。私たちは、家内と気楽に、いくつかの種類を増やしたいだけやねん。けど、いまんまんまなら、そないな気が沸いてきぃ~へん。だいたい、日本人しか乗っていない客船で、ボールルームが教室のように踊っているのは、滑稽でっせ。競技とか、コンテストする気で船乗りに来たんと違いますが、な。ははは」

僕と同じ気持ちの人がいたので、ついつい頷いて聴いてしまった。サイレント・マジョリティは案外多いのではないか。パナマを通過したら、デッキゴルフに参加してくださいとお願いして立ち上がった。2040分になっていた。

 

2015分からの一龍齋貞心さんの講談を聞き逃してしまった。

 

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