060531 大西洋2日目
昨日より、さらに1時間遅らしの時差である。2時、4時、6時に規則的に目覚める。昨夜同様、利尿剤を飲んだ。2時間サイクルだ。なんとなくトイレに起きることが毒素を流れ出させているようで、安心感に繋がっている。現実は、腎機能が弱っているから、薬で輩出しているにすぎないのだ。実は、下肢のむくみがひどくなっている。血行不良なのか、かゆみが出てきた。ロンドンパブで気分良くビールを飲み過ぎたせいだろうか。寄港地で、塩分の強い物は、ブルージュでの昼食以外、口にしていない。
朝7時、インド洋並みの静かな波である。操舵室の天気図の読みが最適な判断をしているということだろうと、独りで拍手する。空は青く、ふんわりと白い雲が浮かんでいる、穏やかな朝だ。ナビの画面は、相変わらず、真西に一直線を描いている。航跡までが、インド洋から紅海に向かう進路に似ている。
八点鐘が鳴った。
『今日も、無事に朝8時を迎えることができました。にっぽん丸は、大西洋に乗り出してきました。アイルランドの南西側240海里(444.5km)を、西に向かって快調に航行しています。
昨日の朝、思った程スピードが出なかった為、プロペラの回転を利用した発電システムを解除し、負荷を少なくして航走スピードを上げています。その代わりにディーゼル発電機を使用しています。
水平線上に積雲がありますが、良いお天気です。昨日、大西洋に出たところで、波が高くなりましたが、予想していたよりも今朝の海象は良好です。しかし、お天気は下り坂で、このまま真っすぐ、北緯50度付近を西に向かうと、その先には北東方向に向かう995hPaの低気圧と、そこから延びる前線が控えており、明日から明後日にかけて南風が強まり、波が高くなることが予想されます。それを避ける為に、にっぽん丸は、進路を南に向けています。
弓なりに北極と南極に近い航路をとることで、距離は近くなります。これを大圏(GREAT CIRCLE)航路といいます。その航路をとると、140海里(259km)距離が短縮でき、7時間の余裕が生まれます。が、今回は荒天を避ける為に、南に進路をとっています。
尚、1912年4月14日に沈んだタイタニック号の沈没地点付近の通過予定時間は、6月3日15:00です。』
18から19ノットで快調に航走中である。キャプテンのアナウンスによれば、真横から南下し始めるとのこと。現在は天候に恵まれているが、明日以降には、波が高くなる怖れありということだ。この昼辺りの距離が5.400海里、全コース30.800海里の折り返し点となるそうだ。
デッキに出てみる。寒くはない。風も気持ちがいい。後部甲板に集まったデッキゴルファーの服装も秋冬、まちまちだった。
なぜか、今朝も時間ぎりぎりにダンシング高橋が遠慮気味に顔を出した。
先攻白組の布陣は、山縣、高嵜、西出、工藤、高橋、萩原。赤組は、菅井、松田夫妻、中島、菅谷、ゴン。
今朝は、スタートから、敵のロングシューター松田が、一気呵成に1,2,4,5番ホールを成功させて権利球に成り上がる。お見事。
ロングシューター松田が快調で暴れ回ると堪ったものではない。我々は次々にコーナーに弾き出されて、場外に憤死の山?ボロ負けだったが、辛うじて時間切れで終わった。ホール上がりしたのは、赤3個、白2個で、赤組の勝ち。
10時からのプレイやーには、ゲームの途中参加や離脱する人には、ゲームを遠慮してもらいたいという意見が出た。対戦メンバーの組み合わせにバランスが崩れてしまうことに不満があったからだ。チームプレイの面白さを満喫したいからという意見が圧倒的だった。朝9時からプレイは、船内イベントプログラムだが、2回戦目はその限りではないからだ。盆踊りの練習で途中離脱することが判っている高橋、中島、横田3氏は、外れた。
先攻白組は、菅井、ミセス松田、工藤、萩原、高嵜。赤組は、菅谷、西出、ゴン、山縣、松田。
今度は、どういう風の吹き回しか知らないが、前回のロングシューター松田のように、僕が、一気に4ホールから5ホールまで行き着けた。後は、時間まで友軍をサポートするためにゴール回りで阻止の役を果たすこととなった。とはいえ、無駄な2度のミスで、敵にも5ホール通過を許した。我々白組は4人がホールアウトし、ナイスチョット松田が独りで、権利玉となった松田・菅谷・西出・山縣と、ヒール役に徹したゴンチャンを迎え撃ち、ホールアウトした。見事というほかない。20分の時間を余して完全勝利。本日の戦績を1勝1敗とした。
この同じ時間、船内のドルフィンホールでは、盆踊りの練習が行われており、それが終わると2階のエントランスホールで、恒例「竜王祭」の出演者募集が行われる。今年の船には、2003年組の竜王、宦官、大西洋、赤鬼役が、それに2004年組オセアニア組の太平洋役が乗船している。ダブルキャストになってもいいくらいに揃っている。どういう配役になるか、石橋さんは楽しみより、悩むほうか。
遂に、3階のインフォメーションデスクの壁に、「東ギャラリー」が再開された!
ルーアンのセーヌ河口遡行から、キール運河、コペンハーゲンまでの写真が飾られた。この間、期間が空いたので、フォトセレクションには苦労されたでしょうが、問題がどう氷解したのかは、ともかく、再開おめでとう、有り難う、です。
「コペンの衛兵交代」。昼食も取らずに?あの子供の登場をじっと待ち続けたのでしょうか。子供が衛兵をちらっと見る、瞬間の悪戯っぽい表情が、実にほほえましい。僕だったら、シャッターを押さずに見てしまっていたかも。
スペースの関係で、セレクションから外れてしまったフォトも見たいものだが、それは、帰国寸前のフェアウエル・パーティまでお預けなのでしょうか。
デッキランチ日和である。波は地中海よりも穏やかで、不気味なほどに快適である。長袖のポロシャツ1枚で寒くもなかった。
昼食は、高橋夫妻の隣のテーブルに座った。妻とミセス高橋は、ブイ制作で一緒のようで、本日が仕上げの最終回のはずだ。そのまた隣のご夫妻には、デッキゴルフについて質問された。デッキゴルフへの関心は嬉しい限りだ。ウオーキングする人や同じ階のダンス教室の人たちの目にしか留まっていなかったと思っていたのだ。理解者の中から1人でも愛好者が増えることは願うところだ。勧誘を含め、質問に応えた。
寄港地ニューヨークの情報を読みたいと、インフォメーションと図書館に行くが、数冊あるガイドブックは既に消えていた。コピーを取っているならと待つが、駄目だった。心ない人が、勝手に自室へ持ち出してしまっているのだろう。
夕食前に、第2回目のデッキゴルフ打ち上げ懇親会があった。
場所は、7階のリドデッキ、プールサイドだ。大きな声で話しても笑い声が響いても他の船客に迷惑もかけないし、気兼ねなく楽しめるという理由で、その場所を選んだ。高橋先生のフィットネス教室が終了する時間が15時15分を待って、全員集合と決めてある。
キール運河がワイン賞金の区切りになった。船が大西洋に乗り出したのだから、これが大きなリセット期だという意見に従った。これまでに貯まったワイン賞金をビールやソフトドリンクに替え、つまみも売店で買ってきた。会費は不要だ。手早く6テーブルをセットして、懇親会を始める。
此処で以下のことが協定された。
1,9時から10時までは船内教室である。船客は誰でも参加出来る。時間内は、クルーズスタッフ、黒川さんの指示に従う。
2,教室時間内では、ホールインワインの規定は該当させない。
3,時間内では、使用ホールの制限も、参加人数の制限にも従う。
4,10時以降は、有志による同好会と考えてよく、我々の規定で進行する。
5,時間を円滑に進行させるため、打順前に、自分番号のパック前に立つこと。
6,握手を以て、スタートとし、握手で終える。
7,次回の打ち上げ会は、パナマ運河通過、太平洋航行時とする。
8,太平洋戦は、4人1組のリーグ戦で優勝チームを決定する。
9,世話役は、高嵜さんに継続お願いする。
東さんには、この親睦会に来てくださいとお誘いしてある。遅れてリドデッキにご夫妻で現れた。全員で歓迎して、席に座って貰った。
「自分が乗ったので、平均年齢を下げたのだ」と、山縣さんが平成元年生まれを言い張って笑わせる。「松田、高嵜、東の三人は、同年生であります」と、高嵜さんが発表する。「大正12年生まれだよ」と吐露した菅谷さんは、仲間内で最高齢の83歳だった。「キラーコンドルは最年長の鳥なのだ」誰かが戯けて怒鳴った。どっと笑い声が上がった。「デッキゴルフ歴の最年長は、彦根のスイスイマダム、工藤さ~ん!!」。ハイテンションになったところで、カメラマンの東さんが、「乾杯を写真に撮りましょう」となった。
乾杯の紙コップを高々と上げる。東ギャラリーに登場はしないが、にっぽん丸のウエブサイトには載るかもしれない。女性たちから、顔は写さないでよね!とは誰も言わなかった。
新しい仲間、仙台の高橋、名古屋の西出、姫路の山縣、福岡の横田、4氏から、自己紹介を含めたひとこと発言があって、夕食までの限られた時間だったが、充実した顔で満ちた。
次回の懇親会は、太平洋へ出た時と決まった。東さんご夫妻は、この異様な連帯感をどう受け止めただろうか。04年度のオセアニアでの風説があるだけに、ここに、綿入れを着込んだ本間親分と、タキシードのカマーバンドでウエストを締めた塚田ギャング、それに革ジャン・ジーパンの一匹狼の小林という03年組の怖いお兄さんたちが同席していたら、このデッキゴルフ同好会をどう喜んでくれただろうか。帰国後の南太平洋クルーズは、稲光が轟くほどに、盛り上がるだろう。既に高嵜さんは乗船予約済みだと聞いた。
ロビーで高橋夫妻、菅井夫妻と一緒になったので、夕食は6人テーブルを平さんにお願いした。ビル建築の設計をやってきた高橋さんとの話題は、建築家・安藤忠雄の話になった。高校の時、建築デザイン方面に興味があったからだ。一時期心臓を悪くしたという高橋さんは、カテーテルの話で荘輔さんとも話が通じた。
食事には関西の十割蕎麦が出てきた。僕のそばつゆは塩分控えめになっていると話すと、ミセス高橋が「創味」というそばつゆが美味いですよとのこと。なんと、高橋さんは、蕎麦打ちをする人だった。仲間と蕎麦畑を持って、収穫から臼曳きまでしているという本格派だった。実に羨ましい話だ。
熱海に道具を持ち込んで僕も時々下手の横好きをしている。卒論合宿で家に学生を泊まらせた時は、参った。食べる量と速さに打ち手の自分が追いつかなかった。焦って菊練りが上手くいかない玉は、蕎麦がきになってしまった。へとへとに疲れ切った蕎麦の話でも盛り上がった。
いい酔いだった。ふぐのひれ酒をお代わりした。珍しく、ご飯を断った。
盛岡で食べる「かぜ(ウニ焼き)」の美味さや、贅沢な「(台に載せたままの)下駄ウニ」があったらなあと話した。仙台の河北新報裏のライオンズマンション1階にある「みのむし」のお通しは、東京の者には、実に贅沢なものになる。
デッキゴルフには、駆け引きがあって面白いとなった。メンバーの一人一人の性格で、攻撃の仕方が違うのが判るという。確かに、03年時には、本田親分の口三味線攻撃に多くがやられた。僕が苦手な局面はこういう敵玉に囲まれた時だとまで、酒の勢いで吐露してしまった。ひれ酒は効いた。話に夢中で、デザートを口にしたのは、僕が最後だった。
ニューヨークでは荘輔さんが、ナイヤガラのオプショナルツアーに出掛ける。このため、美子さんは、我々と一緒に自由行動することになった。
盆踊りがドルフィンホールで催されている時間だった。行ってみると、リピーターの参加が少ない。初めて組は、案内されたように浴衣と下駄を用意し、夫婦揃いの浴衣姿が多い。二人で嬉々として踊っている。先回ビギナーだった我々もそうだったのだなあと思った。そうらん節、炭坑節、東京音頭などを前日に予習してから踊った。盆踊りは、僕自身、小学生の時から大好きだった。家の前の広場が、草野球場になるときもあれば、木下サーカスのテントが張られるときもあったが、夏になれば、櫓が組まれる盆踊り会場だった。
ドルフィンホールが、踊りの他、祭り気分の盛り上がりに欠けている。見慣れた、いつもダンスフロアーで櫓太鼓が叩かれているだけだからだろう。味気ない。地方の公民館で僅かな人数で踊りの練習をしている風景に似ている。窓や柱にそれらしい飾り付けがあるわけでもない。デッキランチの時の提灯くらいぶら下げたらどうか。
踊りの輪に、西出さんは見つからなかった。ネプチューンバーに出掛ける約束は、さほど強いものでもなかった。今夜は止めておこうと、部屋に戻った。
船は、大西洋に出て、いくらか揺れてきたが、まだゆっくりとした波動の揺りかごレベルだ。船底をドンと叩かれるようなピッチングもない。操舵室の航路取りが巧いのか、天候に恵まれているのか。有り難い。
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