060530 大西洋1日目
2時、4時、6時と目覚めてしまった。これも、昨夜、服用する利尿剤を増やしたせいだろう。2時間サイクルだ。身体の老廃物を濾過するシステムが判ったような気がする。
八点鐘が鳴った。昨日よりも時差で1時間遅れての9時。朝寝坊ができたというわけ。
『本日から大西洋を一週間連続で航海してゆきます。昨日、50年以上前から使用されていたティルベリーの客船ターミナルを出港し、テムズ川を下ってイギリス海峡に入りました。22時30分頃、テムズ川の水先 案内人が降りた後は、ドーバー海峡、サザンプトン、軍港ポーツマスの沖を通過し、現在はシェルブールの西北西55海里(102km)を航行しています。本 日の15時頃には、大西洋へ乗り出してゆきます。
にっぽん丸はイギリスのグリニッジに初めて入港しました。
停泊場所のすぐ近くには海軍大学、旧王立天文台もあり、航海術発祥の地、そして船乗り発祥の地であることを強く感じました。また、日本の商船の習慣はイギリス海軍を見習ってきたこともあり、この地に立てたことをありがたく思いました。
航空機は、船の呼び名を習っています。キャビン、キャプテン、スチュワーデスなどがそうです。
日本出港から今朝8時までの航行距離が14,951海里(約27,689km)、正午までが15時24分、海里(27,824km)です。今航海の予定総航行距離が30,800海里(57,042km)ですから、航行距離上の折り返し地点も近くなってきました。明日の昼までには折り返しとなります。
大西洋の航海中は、天気の様子を見ながら穏やかな航海となるように進路を決めてゆきます。1週間の航海日を利用して、ヨーロッパ旅行の疲れを癒してください。』
キャプテンのアナウンスによれば、深夜に全速力の22ノットで走り出していたが、明け方からは向かい波のため、18ノットに落ちているという。北の風13m。波の高さは北から1.5m。英国本土の壁が無くなるころには、次第に船も揺れてくるだろうとのこと。気温12.5℃、10.9℃。緯度が高いところには、未だ低気圧の前線が停滞しているので、ニューヨークまでの大西洋上は、毎日の天候を見比べながら、東西南北の進路を判断していくとのこと。やはり、揺れるということへの軽い予告を出している。ロンドン二日間の疲れを癒してくださいというアナウンスだったが、果たして癒せるものかな?
NHKTVも映らなくなっている。中日の成績も、ジーコ監督のワールドカップの戦況も解らない。
朝食の席で、或る方と話していて、やはり同じ意見が出てきた。ヨーロッパ辺りから、食事の評判が悪い。オプショナルツアーでの食事のことだろうと受け取ってきたが、どうやら、それだけの話ではなかった。美食のにっぽん丸というが、それほどでもないメニューになってきた。家庭料理になってきてしまった。フルコースというスタイルを貫き通すがために、品数に変化が乏しくなったのなら、品数を抑えてでも、丁寧な料理に戻してもらいたいものであるという意見だった。家庭料理という意味は、出される料理が、数日前の素材の焼き直し、余り物の活用に思えてきたという。それが、主婦感覚で見えてきてしまったという。文字通り、台所の苦しい状況が読めるのだということ、それが、「家庭料理」になったという意味だと解った。別のある方などは、自室で食べるために、食材をロンドンで大量に購入してきたと言う。
空に碧さが戻り、海に青みが増した。これならきっと、デッキゴルフは快適だろうと急いで4階に上がる。
9時スタートで10人揃っていたのだが、折角だからと遅れたダンシング高橋、フランク山縣両氏も加わった。先攻白組の布陣は、高嵜、中島、菅谷、黒川、山縣、菅井。赤組は、松田夫妻、高橋、工藤、西出、萩原となった。少し、揺れてきた。
ロング・キング松田、マダム工藤に空振りが目立ち、マダラ萩原は、その名の通り、当たり外れがマダラで、白組のキラーコンドル菅谷、ノイジーサンダル菅井に巧く動き回られ、我々赤組は、初戦を苦戦の末に敗北。
2回戦は、偶数にはならないがゴンチャン参加。ダンシング高橋、マダム工藤が抜けたので組み替えをした。白組にゴンチャンが入って、松田夫人、中島、菅谷、高嵜。赤組に山縣、菅井、西出、萩原、松田となった。
ゴンチャンには、二人分の2パックを使って練習量不足を補ってもらおうと考えたのが甘かった。船が揺れているにも拘わらず、ナイスショットをしたときの打球が強くなっていたゴンチャンに、赤のパックは、場外にかなり弾き出された。これが大きな番狂わせとなった。ギターフレットを抑える握力は、スティックを操作するのに都合がいいのかと冷やかすが、本人には理解できていない。両手を上げて吠えるだけ。
ヒール役に徹したゴンチャンのショットが功を奏して、赤組が連敗、これで僕も今日は連敗となった。ゴンチャン侮れないと、負け組は、盛んに首を振る。
第2回目の打ち上げ会を、17時からプールサイドですることになった。
11時になって、船の揺れは治まった。だが、かつてその昔、ピュリタンたちが新大陸を目指した時代の船体を考えれば、大西洋の荒波はジェットコースター並みだったのだ。まだまだ、大揺れが待ち構えているだろう。
昼食を終えた時、本間さんから田中夫妻のご紹介を受ける。田中さんは、拙作(『思いきって世界一周クルーズ』)を「海」(季刊の商船三井客船ドルフィンクラブ会員誌)で知って、書店から取り寄せ読んだ方だった。嬉しいことに、それで今回乗船したのだと言われた。
その田中さんが、何か相談があるという。ガイドが連れて行ったロンドンの或るショッピングストアで、クレジットカードの取り扱いに不審な点があったのだが、と切り出された。
レジの店員が、カードを何度もスライドした後で、機械の故障かも知れないので、と奥にカードを持って入ってしまったという。そして、暗証番号を教えてくれませんかと要求したという。ややあって、通りましたといってカードを返してくれたという。
店員が客の見えないところでカード操作し、なおかつ、番号を訊いた。あからさまに実に危険な行為をした店に腹が立った。かつて僕がメキシコで体験した時と同じ、VISAカードだった。すぐにも、停止したいが、本に同様の経験をされた萩原さんに、意見を求めたいとのこと。
有無を言わず、即、停止をお勧めした。しかも、可及的速やかに住友VISAに電話することを言い添えた。シニアの日本人観光客を狙った犯行である。
6階の通信室から電話をするか、メインエントランス横の電話ボックスからカードで掛けられるが、と言ってしまってから、口を押さえた。そのカードの残金が消えてしまっているかも知れないのだからと、6階に急いで貰った。繋がる先は、日本ではない。豪州で待ち受けるVISAの日本人担当者に、である。
13時15分からはドルフィンホールでは、宮崎先生の3回目の講義「オーシャン時代の始まり」が始まった。
大航海時代のコロンブスの焦りとバスコダガマの成功。スペインとポルトガルの布教を基盤にした勢力図の拡大で、東航路と西航路が黒潮に乗る日本という国との接点を探り始める時代を説いてくれた。日本が意外にもキーとなった時代だったことを知った。
こうした船内講義スタイルは、今でこそ、飛鳥、ぱしび(ぱしふぃっくびーなすの略)でも当たり前に企画され、リタイア夫婦が毎回神妙に座ってテイクノートしているのだが、そもそもは、オランダ船籍のラインダム(12527総トン)が1925年に実施していた。ニューヨークを出航して33ヵ国47港を7ヶ月かけて回るクルーズでのことだった。「世界クルーズ大学」と言われ、航海中に受講した教科が履修単位に認定されるシステムだったようだ。富裕層の“成人大学“と言えるものなのか、以後10年間に7回開催されていたという。この頃、米国からの移民受け入れ制限が始まり、定期船客の減少対策にと、世界一周クルーズ運航が始まった。
これから我々が6月16日に通過予定のパナマ運河の開通が西回り世界一周クルーズの幕開けになっていくのだ。今日の講義は、あのパナマ運河開通のお陰だった。
16時からは、「ルシタニア号、最後の航海」(ナショナル・ジオグラフィック制作)。Uボートの魚雷1発の被弾で、タイタニック号よりも早い、僅か18分で沈没させられた豪華客船を、タイタニック号の撮影にも成功した海洋学者が、その謎を解き明かそうとする潜水するドキュメント。
17時からは「大西洋の女王・QM」。就航を祝う多くの見送り風景から、船内の説明、NYへの入港歓迎風景を収めた同じくドキュメント。船上で楽しむシャッフルボードの他、船内にはスカッシュルームさえあることを知った。
今夜は、フォーマルナイトである。
妻は、2回目の和服を着るため、独りで着付けている。僕は、タキシードにも慣れ、早く身支度することが出来た。2003年の初乗船した時とは違い、晴れがましさも失せて、正直言えば、面倒な日になっている。ドルフィンホールへ通じる狭い廊下に行列するのが、なんともやりきれない。僅か、3時間ほどの時間に、女性たちは、船内の美容院を何日も前から予約する。人によっては、寄港地でアクセサリーを探し歩く。非日常体験とはいえ、自分自信も身についていないのが、滑稽に思える時がある。
ダイニングの入口で平野マネージャーがカメラを下さいと、笑って近づいてきてくれた。二人で撮ってもらった。キャプテンが入ってもう1枚。
センターテーブルでは、出航早々にデッキゴルフに顔を出してくださった赤嶺夫妻と同席になった。もうお一方は、大島紬のネールカラーを着た佐藤夫妻だった。佐藤さんは、あのドーバーに急いでいた飛鳥Ⅱとの交信をされていたので、飛鳥情報も興味ある話だった。佐藤さんは、ドイツに売却された旧飛鳥「アマデア」帰航クルーズにも、飛鳥Ⅱのオセアニアクルーズも、にっぽん丸の南洋クルーズにも、既にリザーブされていた。介護付き高級マンションや質の高い老人ホームに入るよりも、クルーズで過ごす老後の方が、至極健康的で交友関係も素晴らしいと聞いたことがある。それを実践できる富裕層が羨ましい限りである。「根岸の里の侘び住まい」とは、冗談にも口に出せなかった。
妻が少し疲れ気味である。和服の窮屈さを解放させて、横になるように言った。大西洋の荒波で揺れる前に休ませておきたい。
ドルフィンホールでも、瑞穂のダイニングルームでも、気になって田中夫妻の姿を探していたが、普段と違った華やかに着飾った中では、男は、ダークスーツ一色で見失っていた。
田中さんには、エントランスホールで会えた。隅のソファーに座りながら、事の次第を聞くことが出来た。4000円ほどの電話代で、日本のVISAサービスと話が出来た。カード停止と同時に新カード発行手続きも進行中だと言う。他人事ながら安堵した。
ガイドが連れて行ってくれたからとしても、店員や臨時の雇用者にまで信用を与えるものではない。味をしめたら、日本人のシニア観光客が今も同じ手口で狙われているわけにはいかない。観光バスの発車時間が迫っていた時に、狙われたという話もよくあるそうだ。
20時30分からのメインショーは磯村芳子のゴスペル。21時45分からは、一龍齋貞心さんの講談がある。「亀甲縞売出し」は、歌舞伎役者を起用した新製品セールスプロモーション、お馴染みの一席である。どちらにも出ないで、DVDを船室で観ることにした。
DVDは貞心さんから借りた「異母兄弟」だ。東宝出身スタッフによる「独立プロ」製作で、家城巳代治監督の映画。田中絹代、三国連太郎、中村賀津雄、南原伸二、高千穂ひづるという蒼々たる配役だ。ところが、貞心さんの当時の役者名が判らないまま観ることになった。
面影からして、もしかしたら、田中絹代の子供をいじめる本妻の子供役が、彼なのだろうか。三国連太郎の次男役だ。聞かずに借りてしまったのは、うかつだった。
貞心さんが船に持参したのに訳があった。彼の映画デビュー作だと聞かされている。シアターで上映してくれれば当時の話も付け加えようかという趣向だったようだが、船側は、戦争映画は船客の中にお嫌いな方がいらっしゃるという理由で断られたとのこと。おかしなことがあることだ。この映画は、歪められた陸軍大尉の夫に忍従した妻と子供の姿を描きながら、軍国主義の終焉を描いてみせたもの。また、映画そのものは、選択されるべき、娯楽のひとつに過ぎない。嫌いな方は観なければ済むという自由度をもつ。
さらに言えば、今回も実施されるだろう、キッツ島での日本海軍兵への戦没慰霊祭をキャプテン以下の三役が行うのはどう考えたらいいのだろうか。「ルシタニア号、最後の航海」も、死者の顔写真あり、戦争の悲劇であり、また今まさに我々と同じ大西洋を越えようとするときに撃沈された当時世界最大の豪華客船である。
飛鳥なら、これをどう考えるだろうか。映画というものは、戦争そのものの描き方ではなく、そのモチーフを通して、なにを訴えているかが重要な点である。ここにも、にっぽん丸クルーズディレクションの判断基準の曖昧、不明確さが出てきてしまった。今年は、なぜか、サービスの軸がずれてはいないだろうか。エンターテイナーの質も含めて、満室のにっぽん丸が、どういうファンを創ろうとしているのか、見えなくなってきている。
見終わって立ち上がったら、右足ふくらはぎが攣った。長い間同じ姿勢だったせいだろうか、体力が落ちてきたのか、クエン酸系の水分が不足しているのかだ。いつものように、大腿部の付け根にドライヤーの熱風を当てて、硬直化した筋肉を解した。
24時45分、イギリス海峡から大西洋へ20ノットで航走している。ナビ画面には、イギリスのランズエンド岬(カンガルーの尻尾のような位置)下を真西に一直線の航跡が読める。
明日の夕方は、デッキゴルフ2回目の親睦会を、リドデッキプールサイドテーブルで行う。
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