060528 ロンドン1日目
4時に目覚め、6時に目覚めた。八点鐘が鳴った。
気温は10.6℃。波は1m弱。
リストウオッチとデジカメを手に、時差の調整をする。30分遅らせた。
朝食をとっていると、松田さんが全身でブロックサインを送っている。両手で箒を持って掃いているように、傍目には見えるのだろうが、我々には、「…着岸するのは昼やから、デッキゴルフやるでえ」という招集のサインと読める。
レストランの中に居る仲間に向かって、各自が、その掃き掃除のブロックサインを送りながら、船尾に集合。
昨日は14番パックまで創ってプレイしたが、やはり、10パックまでが限度だと反省。ゴルファーが増えても、今後は、10パックになったら、9時前でも打ち切ろうと示し合わせた。愉しくやるための約束だとした。遅れてきたら、10時頃の2回戦で入れ替えプレイしてもらおうと言うことで合意した。
先攻白組は、山縣、菅井、菅谷、高嵜、萩原。後攻赤組は、西出、中島、工藤、ミセス松田、松田。結果は、権利玉の数で白組は負けた。
テムズ河口に入ってきた。海中に朽ち果てた建物の残骸がそのままにしてあったが、何かは不明。聞くところによると、取り壊す費用も出せないらしく、いまは海図上、浅瀬の目印になっているという。
2回戦は、先攻白組が、西出、菅谷、ミセス松田、中島、高嵜に対して、赤組は山縣、菅井、工藤、萩原、松田。赤組が全員ゴールして、今度は勝てた。終了した時間は11時15分だった。そのまま、昼食時までの僅かな時間を居残り特訓すると言いだしたのは、ミセス松田とフランク山縣、グリーンキャッチャー西出だった。
昼食は、新宿の住まいだという若い藤永夫妻。お二人とは初めてのテーブルとなった。デッキゴルフはトライしたものの、ダンス講習会に時間を取られてしまったという。木島夫妻とはダンス仲間でもあるらしい。
船はテムズ川の河口、グリニッジに投錨した。本初子午線の真下に位置しているのだ。まだ銀行担当者が船に乗り込んできていないという。ボンドへの両替サービスには、どうやら時間がかかるようだ。本日は、バンク・ホリディと重なって3連休である。いくら替えるかが思案のしどころ。ぶらぶら歩いて夕食は街ですることになるかどうかだ。
ほどなくして、妻が1万円分をポンドに替えてきた。3000円で13.8ポンド。レイトは217.33円だった。
浮き桟橋に通船が横付けになって下船が開始された。100人は乗れるという通船は、通常は遊覧船として運行されているのだろう、カウンターバーもあるテーブル席の多い船だった。川の真ん中から、目と鼻の先にあるグリニッジ・ピアに着いた。あの「カティ・サーク号」が保存係留されている。紅茶を競って英国に運び込んだ快速帆船だ。船の模型を造る東さんにとっては、垂涎の場所だろう。
奥の小高い丘には、グリニッジ天文台があり、子午線を跨いでくるぞという船客が、天文台へ向かって歩き出した。僕は、何が何でも早くに街中にある目的の靴屋に着きたい。
ロンドンの中心街に向かうシャトルバスは15時30分に出た。グリニッジは中心街から南東に位置する。テムズ川に沿って走る。辺りは、名古屋の中川運河沿いか、東雲辺りを走っている感じで、華やかさはない。途中に、ジャマイカ・ロードという標識があった。移民者たちのエリアではなかろうか、住民の多くは黒人たちだった。
徐々に、街の中に入ってきた。ロンドン・ブリッジを横目に見ながらしばらくして、橋を渡った。テムズ川の川岸に係留した観光船が目に入ってきた。ウエストミンスター寺院へと続く風景だ。都市に川があるとなぜか、落ち着く。関西の友人が、東京には川の風景がないという。川を埋め立てて高速道路が街の中に走っているのは、東京だけだが、昼間でもトラックが街の中を走っているのは、オリンピックで急ごしらえした道路建設の失敗だと。たしかに、江戸時代、日本の起点となった日本橋は高速道路の下に隠されてしまった。歴史がオリンピック工事の下敷きになった。
対岸に大きな観覧車が見えてきた。正式名は「B.A.ロンドン・アイ」である。ミレニアムの年に記念で造られ、ブリティッシュ・エアウエイズがスポンサーになっているからだ。空調の効いたカプセルには、25人まで乗れる。今回は、乗る時間もなかろう。つまりは、もう乗る機会もないロンドン・アイを遠くから眺めた。
川縁から右折して橋を渡り、トラファルガー広場を経て、ピカデリー・サーカス裏のロンドン三越前に着いた。ここまで要した時間は45分だった。
日曜日なのに閉店時間を1時間延長して、三越側は、にっぽん丸船客を待ち受けてくれたようだ。ローマ店にはあったのだからと、急いで店内を探したが、フェラガモ以外見当たらず、カンペール・ブランドは一足も置いてなかった。トイレを利用しただけで、街に出る。
ピカデリー・サーカス駅から東に、コンヴェントリー・ストリートを歩く。
黒塗りのロンドンタクシーも、時代には勝てないと見えて、カラフルに塗り分けられて、全身広告カーとなっている。テレフォンボックスも、四辺をアドボードで固めている。いずれは、日本もこうしたメディアを活用し始めるだろうなと重い、パチリ。
レスタースクエア駅前のシアターでは、映画スターの挨拶でもあるのだろうか、仮設の横長スクリーンに予告編を写し出し、TV局の報道カメラが放列を敷いていた。そうか、リメイクした「ポセイドン」だったのだ。もみくちゃになりながら、その人垣を抜けだし、さらに、ロング・エーカーに入った。地図の目印にしていたムジ(無印良品)やティンバー・ランドがあったので、それより1本南下してフォローラル・ストリートへ。
角から2軒目に目的のカンペール・ショップはあった。オールド・ボンドストリート店は休日クローズだったが、ここは開いていた。しかし、閉店時間ぎりぎりだった。それでも、ついに、3年がかりで直営店に辿り着いたのだ。
ところが探し当てた店は、拍子抜けするほどに間口も狭く小振りだった。中央の細長いテーブルの上に、定番から最新デザインまで、メンズとレディズが2列、自社制作のデザインシューズの片方だけをずらりと並べてあるだけだ。そして、奥まったレジの背後のラックにシューズのボックスが入れてあるだけ。文字もパンフレットも無い。たったそれだけ。店内は実にシンプル。
探していた「Pelotas (173114006)」はあった。アテネにそれはなく、ポルトではサイズがなく、ローマの三越では、価格が高いからと買い控えてしまったシューズだ。2003年次のクルーズでは、寄港地で買えなかったダークブラウンのそれは、結局、日本の上野アメ横で見つけて買った。今回、履いている。当然だが、二足目はスポーティなライトブラウンに決めていた。
ところが、ここで再び暗礁に乗り上げた。サイズ42は、残念ながら売れたばかりだと言われた。しばらく何処かへ問い合わせていたが、にこやかな顔でこう言った。
「明朝、来てくれるなら大丈夫だ」。明日は、大英博物館やら、ほかに自由行動のコースが頭にある。やむをえない。この場所を目的地のスタートにしよう。「10時30分の開店時間には必ず来るから頼む」と店を出る。まずは安堵した。
時間がある。周辺をぶらついてから、コヴェルト・ガーデンへ足を向けた。若者たちが押し寄せている館内は、様々な雑貨が売られていて、アメ横みたいだ。
買いたい物があるとすれば、ロンドンを描いた絵を探してみることだった。あちこちを回っているうちに、独特のペン画があった。遠近法を破ったパースペクティブなロンドン風景で、彩色はヤマガタに似た作風だった。自宅には、昔、ニューヨークの近代美術館前の路上で画学生から買ったペン画がある。WTCが描かれている。それと対にするロンドン記念にと、1枚買った。16ポンドだった。
帰り道に別の店で、また目にとまった画があった。サッカー選手ばかりを描いてあった。サッカーに熱いイギリスである。もうすぐワールドサッカーの開幕だ。動きや表情がデホルメされて見事に描き切れている。その絵は、1000ミリの望遠レンズで捉えた動的なサッカー選手の写真からおそらくトレースした後に、油絵のタッチで描いた独特の画風だった。ロナウ・ジーニョとロナウドの2枚。10ポンドだった。
ソースのきつい食事は駄目なので、野菜主体に「サブウエイ」のサンドウイッチを食べてもいいのだが、間に合うことなら、三越前からシャトルバスで帰り、減塩の船内食を食べたほうがいいに決まっている。来た道を帰り急ぐ。
17時15分のシャトルバスは、一足違いで出てしまっていた。ところが運良く、もう1台のシャトルバスが向こうから姿を見せたではないか。三越入口に設けられた「にっぽん丸サービス」係、つまりミキ・エージェンシーの社員に打診したところ、このバスに乗ってくださいとのこと。
乗っていいというが、半信半疑だった。妻と二人、たった乗客2名様で、大型バスをハイヤーしたことになる。次の21時15分まで、何処で時間を潰すのかはノーアイディアだったので、有り難く乗せて頂いた。ドライバーは、無線マイクに怒鳴っていた。客が多いと聞いたのに、どうして、二人のためにグリニッジまで走るのだと、営業所にぼやいていた。我々のために済まないねと声をかけると、彼は、あなた方の問題ではない、心配しないでくれと笑って答えた。帰りのルートは、見慣れない道だった。ところが、信号もスムースで、近道を走ったせいか、スピードを出したわけでもなく、実に短時間でカティ・サーク号の横に到着した。おかげで、グリニッジ桟橋から17時15分の通船で帰船できることができた。
目の前にある歴史的帆船、カティ・サーク号。僕の好みのスコッチだ。八角形のボトルに入った21年モルトの琥珀色の液体。バーボンならば、斜め格子切り子のボトル、「I・W・ハーパー」と、蝋で封印した「メーカーズ・マーク」。
ウイスキーはともかく、このカティ・サーク号、紅茶の新茶をいち早く届けようとしたティ・クリッパー。日本で言えば、八十八夜、5月の2日の新茶を待つロンドンの商人へ競って運んだものだ。木造帆船の細い船体で、中国福建省からロンドンまで99日間で走破したというのが、当時の驚異的快速。カティ・サーク号の最高速は15ノット、飛鳥2が最高23ノット。にっぽん丸は最速で21ノット、巡航速度は18ノット。
我々は、この日数で、アラウン・ザ・ワールドをしている。東さんが、撮っておきなさいよと言ってくれた舳先のシンボルこそ、カティ・サーク号の魔女。
スコットランドの民話にあるナニーという魔女の「短い下着」が、カティ・サークという船名の意味である。下着である。色っぽい名前なのだ。後に、このカティ・サーク号は、オーストラリアを往復するウール・クリッパーになっていく。
夕食で案内されていった先は、山縣夫妻のテーブルだった。今日の山縣夫妻は、グリニッジ周辺を撮り歩いていたという。「家庭を割く」なんてことは微塵もない、仲のよいご夫婦である。奥様は、被写体になる場所を絶えず探していらっしゃる。シャッターを心ゆくまで切り終わる間、じっと黙って待ってあげている。おしどり夫婦である。趣味のカメラ機材を詰めたバッグは、相当に重い。だが、それを背負うことで、腰痛に効くのだという。背骨が後に引っ張られるからだとTVの健康番組でみたことを思い出させた。
彼が手にするカメラは、デジタルカメラではないのだ。ネガタイプのフィルムで、かっちりと撮りあげている。寄港地で毎日100枚以上獲っている僕らでも既に2000枚近い。だから、ネガタイプのフィルムマガジンを弾丸のように込めてシュートしている。ネガフィルムを探して買うなどは時間の無駄だとバッグには、その弾丸が詰まっている。家族でスライド上映するのが楽しみだというが、現像も整理も大変そうだ。写真キチガイと言われたコンクール荒らしの亡き父を思い出す。
山縣さんは、訥々とした語り口で真面目そのものだが、いたずらっぽい目をしたときは要注意だ。関西人らしく、ユーモアのある話術で、爆笑させられ、周囲を驚かすからだ。姫路に帰ったら、優しいおじいちゃんなんだろうな。
栄養士の免許をもつ奥様の千津子さんからは、腎不全による食事療法を聞くことで、参考になる話が多い。夕食の時間は、あっという間に過ぎた。
慌ただしかった昼下がりのロンドン市内は、靴屋の往復だけだった。しかも、明日、出直しというおまけが付いた。
菅井さん夫妻も一緒に歩きたいというからには、時間の無駄は避けたい。就眠前に、明日のコースを確認して置こう。靴屋と大英博物館と念のためにオールドオックスフォードにある二軒目のカンペールショップ、出来れば、スワロフスキー(SWAROVSKI)のジュエリー店とハロッズの店内歩き、それに何処かのパブでエールビア。すべてを回るには、大英博物館でどれだけ時間を費やすかに依る。
いつものように、自分の手で簡略化した行動地図を作ってから眠った。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 060601 大西洋3日目(2010.12.24)
- 060531 大西洋2日目(2010.12.15)
- 060530 大西洋1日目(2010.12.15)
- 060529 ロンドン2日目(2010.11.15)
- 060528 ロンドン1日目(2010.11.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント