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2010年11月 1日 (月)

060527 ザ・サウンド

八点鐘が鳴った。

ルウェーとデンマークの間にあるスガゲラック海峡のデンマーク寄り、ユトランド半島の北西端の沖6海里(11km)を南西にむかって航行中です。明朝8時頃からテムズ川を上る為の航行管制に合わせて、スピードを調整しています。

昨晩から今朝にかけて、この航海のヨーロッパ・シリーズでは一番緯度が高い海域を通過しました。ちょうどベーリング海の緯度に相当します。この航海を通じて一番緯度が高くなるのはこれから先のアラスカです。

今年のヨーロッパの春は、低気圧とそれに伴う寒冷前線や温暖前線が頻繁に通り過ぎ、例年よりも天気が変わりやすく寒いと港湾関係者が言っていました。緯度が60度近くになると、経度の幅が狭まり、極地に近くなればなるほどお天気も移り変わりが激しくなります。
現在の天気図を見ると、イギリスの北西に低気圧があり、スコットランドからフランスまで温暖前線と西の方向に寒冷前線が延びています。これをくぐり抜けな いと高気圧の下に入れないでしょう。ただし、これから天気が大きく崩れる心配はなさそうです。

極地に近く、目まぐるしく変わる天候なので、お天気を約束できないのが残念です。

デンマークの西海岸の景色をしばらくご覧いただいた後、イギリスに向かいます。北海の航海をお楽しみください。

 

すこし北に昇ったスカゲラク海峡を航行中であると、キャプテンのアナウンスは続く。黒海へ抜けるためには、デンマークの親指のような先をぐるりと回らなければならない。今航海、ヨーロッパでは一番高い、北緯58分に上がった。これは、アジア側で言えば、ベーリング海に近い高さである。地球儀を頭に入れてくださいという。経度が高くなればなるほど狭い範囲なので、天候の変化が速い。従って天気の保証がなかなかし辛いのです、と。速度は17ノット。明朝テムズ川に入るパイロットを乗せる関係から、速度を落としているのだそうだ。

綿雲が全天を覆い、曇り。西の風11m。右前から1mの波が来ている。気温は9℃。

 

朝食でひさしぶりに東さんが一緒の席に着いた。昨日は、衛兵交代を撮ったはずである。「東ギャラリーは、どうなったんですか?早く見せてくださいよ」

一番訊きたい質問を投げた。かなり多くの人から僕に質問されていて困っていた。モルジブ出港から3階のインフォメーション・デスクの壁は額が外されている。四つ切りのポジ写真がプッツリ消えている。船客から渇望されているのだ。東さんのご苦労はお察しするに余りある。同じ寄港地を歩きながら、東さんは、ウエブサイト用の航海日誌に配信する写真と、帰国直前のフィナーレの夜に船内で投写するハイライト写真を写し取っておかねばならない。

ところが、同じ観光スポットで、自分の撮った写真と比べてどう違うのか、妙な期待感さえあって、待ち望んでいる。そうした船客の眼に対抗もしなければならない。同じロケーションで課題を与えられた先生と生徒のような、楽しみな戦いをしているのだ。しかも、最近は船客の手にするカメラも、高品質なデジカメである。シャッターチャンスとコンポジションさえ巧く捉えれば、プロ顔負けのショットが得られるから、やりにくい。だからこそ、被写体のためなら対岸までタクシーで回り込む。限られた時間内に、プロならではのカメラスポットを探し続ける。重い機材を一緒に同伴されている冨美子さんのご苦労もある。

デジカメの影響で、従来の色調補正のダークルーム作業も自分の船室でパソコン処理する時間が加わった。寄港地の間隔が短くなれば、航海日が少なくなる。いわば、メッセージの編集に、相当な時間を費やす。体力も要る、目も疲れる。睡眠時間さえ削られると苦笑する。

「僕らは、常に70点を保っていなければならないのですよ」

最後に口にされた東さんの言葉だ。打者で言えば、ホームランバッターではなく、チャンスに強い3割バッターということか。「下手な鉄砲、数打ちゃあ当たる」式で、200人近い船客が、一斉に同じ方向にカメラを向けている。シャッター音だけを数えるなら、報道カメラ並みのシャッター回数だ。だから、難しい球が飛んで来ても、どう受けて、どう刺すかの美的センスを自分に課す。どういうメッセージを込めるかだ。あの東ギャラリーは、プロカメラマン・東康生のアイディンティティでもある。だからこそ、再開を強く望む声は大きいのだ。

 

 

朝食を済ませて船尾の甲板に急ぐ。デッキゴルファーは勢揃いしていた。先攻白組は、高嵜、山縣、工藤、萩原、黒川。赤組は、松田夫妻、西出、菅井、菅谷の面々。幸いにも白組が勝った。

2回戦には、高橋、横田、ゴンちゃんが遅れて加わり、総勢14人となった。インストラクターの黒川君が1314番パックを急造することになった。ここまで参加人数が多くなると、打順の待ち時間が長い。ゲームもリズム感が無くなり、緩慢になりがちだ。

11時半頃だったろうか、そんな空気を破るかのように、デッキに備え付けられた小さなスピーカーから、アナウンスが流れた。

 「左舷、水平線上に、飛鳥が、航走中!!」

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パンフレットでは見ているものの、自分の目で見る飛鳥Ⅱは、初めてだ。偶々、飛鳥Ⅱを撮ろうとして妻が後部デッキに来た。

「そのカメラでは無理だ!僕のカメラを持ってきてくれ!300mmだから!」

いつもなら、カメラを袈裟懸けにしてプレイしているのだが、その日は、山縣さんと松田さんだけしかカメラを持っていなかった。慌てて妻は船室に走った。プレイをしていても、飛鳥の船足が気になっていた。

Dscf2341 Dscf2353 カメラが来た。まだ、右舷側に捕捉できる距離だった。人数の多い分、幸いにも、打順の間隔がある。撮りながらプレイをする。時々、みんなの眼もパックから飛鳥に移る。こうなると、時間内では終わりそうもない。案の定、時間切れでドローとなった。

 

まだ間に合う。6階の操舵室では、どうしているのだろうと、駆け上がってみる。

Img_1093 P1000172 Dscf2364 操舵室にいた船客に訊いてみた。挨拶の汽笛を鳴らすが、飛鳥Ⅱは応えないのだという。しかも、無線連絡で挨拶を試みたが、先方は、船長が会議中だそうだ。

にっぽん丸側から飛鳥との距離を縮めてみた。側面から1200mまで接近した。備え付けの10倍以上の双眼鏡を手にする。ファンネル近くに船客が6,7人出てきている。船尾のプールサイド最上段デッキに白服姿がやはり、78人立っている。

2回目の汽笛を鳴らす。遅れてかすかに汽笛が返ってきた。操舵室にいた船客たちが、おお~と声を漏らす。時折、霧に包まれて飛鳥が霞む。霧がドラマチックなシーンを演出しているようだった。飛鳥は195ノットで飛ばしている。我々の入港するテムズ川には当然ながら、浅くて入れないだろう。サンクトペテルブルグから出航しているらしく、今の予定では、ドーバーに入港するらしい。我々は昼過ぎに着岸すればいいのだが、飛鳥は朝には入港していなければならないのだと誰かがいう。だから、相当に速度を上げているのだそうだ。

Dscf2352 何処かで船体にトラブルがあったというニュースも飛び込んできた。いまは、船客同士のネット交信は無理でも、日本の留守家族を経由して事情が出来るのだから、更に詳しく判ってくるだろう。

 

しばらくして、飛鳥との距離を離した。むしろ我々は、テムズ川のパイロットの乗船時間に合わせて、速度を緩やかにしていくのだ。船内が異様に盛り上がったこの間の併走劇、30分だった。

 

 

さて、ロンドン入国後のタイムスケジュールを組み立ててみる。夕食帰船するまでの時間内に、オールド・ボンドストリートを往復出来るかどうかである。

テムズ川の浮き桟橋に接岸する。やや時間があって迎えの通船でグリニッチの陸地に降りる。シャトルバスが素早く発車するとして、ピカデリーの三越に着いたとして、そこからオールド・ボンドストリートのカンペール・ショップにタクシーを走らせたとしても、果たして閉店時間前に辿り着けるか。否だろう。

それなら、明日の大英博物館ツアーはキャンセルしておこう。カンペール・ショップも、大英博物館も、なんとか自分でコースを時間配分してみよう。ツアーをキャンセルすることにした。部屋に戻りながら、果たして1店舗しかないのだろうかと疑ってみた。ロンドンにカンペール・ショップが何店あるか、スタッフに調べて貰った。コンヴェント・ガーデンにもあることが判った。ピカデリーから歩ける距離だ。

 

昼食で菅井夫妻とロンドンの自由行動について話した。1日目、菅井夫妻は、野菜市場を探すという。我々は、コンヴェント・ガーデンのカンペール・ショップまで歩くと告げた。閉店時間ぎりぎりに飛び込むつもりだ。過日の「ローマ三越店」よりは直営店だから品数は間違いなく多いはずだが、三越の18000円台よりは廉価であることを願いたいものだ。

 

1330分からの宮崎世界史がドルフィンホールで始まった。

本日の講義は「シンドバッド時代から鄭和の大航海まで」。イスラムがアジアの海も征して、広州から東南アジアにまで大きな影響力を持ったことを説いた。特に、NHK特番で取り上げた中国の鄭和船団に関しては、「1491年」が、フィクションであると喝破して宮崎論を貫いたという話が面白かった。

 

今夕は、にっぽん丸特有のオレンジナイトである。2003年次の時は、確か、バミューダに向かう6月の大西洋上だった。大揺れの翌日で、話題は船酔い話ばかりだった。

オレンジとは、商船三井客船のファンネルの色を指すのだが、その由来を船内新聞「スター&ボード」が教えてくれていた。

そもそも「大阪商船三井船舶」とは、大阪商船と三井船舶が合併したからである。銀行名が、太陽神戸だったり、三井住友になったり、三菱東京とか、元の会社名を残すスタイルは欧米的だが、「大阪商船三井船舶」という社名は、「船」が左右に二つもある社名で、2003年次の船内から日本へ発信していた航海日誌では、「三井商船」と記述して、広報担当の川崎さんに修正を指摘されていた。

大阪商船は、大阪の「大」の白色、三井船舶は、三井の「三本線」の白色。このマークで世界の海を走ってきたわけで、ロゴマーク、コーポレートカラーでは意見百出ではなかったか。

僕がCIを担当したなら、どうだろう。「三」本線の中央に、現代的な筆文字で、「人」と描かせる。「空」と「海」と「水平線」のラインに「人」が重なり、“世界人と交流できる平和な海”をアピールしたかも。

 

『大阪商船三井船舶はトップ企業であり、トップにはマークは必要なし』という考え方を加福龍郎専務が主張した、と商船三井の100年史に記述があるそうだ。その理由が奮っている。英国の郵便切手には国名が印刷されていないという事例を挙げて、ノーマークを押し通したようだ。それは、一例に過ぎず、世界に冠たる企業群となるには、いかなる企業といえども、ロゴマークはアイディンティティとして必要である。郵政省はどうあろうが、ユニオンジャックがそれの証左である。結局はノーマークとなったが、ここからが面白い。コーポレートカラーを重視したことだ。

889 大阪商船・坪井五郎専務と三井船舶・鈴木久之助常務が考えあぐねて、決めたのが目の前に置いてあった煙草の「光」のパッケージカラーだったという。それがオレンジだった。理屈をつければ、海原に光輝く日の出であり、水平線に沈む夕陽だと言える。もしもテーブルに置かれていたのが、平和のシンボル、鳩の「ピース」だったら、ファンネルの色は、オーシャンブルーになっていたのだろうか。

いずれにせよ、結果オーライである。白い船体に燃えるオレンジのファンネル。かなりの遠距離からでも、まさに日の丸の配色である。

そのオレンジカラーを各自が衣装に配して夕食に臨むのが、オレンジデーに課せられている。そうしてにっぽん丸の乗船していることを喜び合おうという趣旨らしい。

630分、2階のエントランスでレストランの入口に列ぶ船客の衣装を眺めていると、オレンジのドレス、シャツなどなど、上手く採り入れていることに感心する。

 

西出夫妻と出遭ったので、4人テーブルを頼んだ。丁度、いい機会だからと、愛知県系親睦会の打ち合わせをする。大西洋に出ると揺れるので、それだけは避けようということで、61日のカジュアルデーに決めた。西出さんと一緒だと、名古屋弁に戻るのを妻は笑っている。白ワイン3杯、赤ワイン1杯。いい気持ちになった。

 

1830分、ドルフィンホールのメインショーは、狂言「縄綯い(なわない)」。博打に負けた主人から、太郎冠者を人質に差し出し、使役に供することを貸し元と約束したことによる、問答の喜劇。茂山千五郎、茂山茂、佐々木千吉の茂山狂言会の皆さんは、ロンドンで下船して日本に帰国するという。別れを惜しまれる感謝の拍手だったように思えた。

 

明日のために、ロンドンマップを見て、自分なりに簡略化した地図と所用時間、目的地への所要時間と周辺のランドマークを記入して、歩きやすい簡略化した地図を作った。文庫本でも読もうとしたが、睡魔が襲ってきた。25時、ダウン。

 

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