060525 リューベック
明け方に錨を上げて、河口を遡った。きれいな港町、トラヴェミュンデに入った。リューベックへは遠いのだが、それだけに落ち着いた保養地だ。
ツアーバスの出る日だから、朝食は、8時15分までに入らなければならない。
テーブルに着いてみると、辺りはちらほら。食している人がまばらだ。これだけ早めに済ませたということは、オプショナルツアーやオーバーランドツアーの参加人数が多いということだろう。オーバーランド組は、ベルリンからプラハを経て、ロンドンへ渡ってしまう4泊5日、贅沢な31万6800円也。その間、我々は、コペンハーゲンを回る。
2階ロビーでは、パスポートの返却がなされている。9時発のシャトルバスには、まだ充分な時間がある。
下船した空は、雨雲だった。妻が、ギャングウエイにある貸し出し傘を2本持ってきた。シャトルバスは、田園風景を見せながら、アウトバーンに乗った。約20分で古都リューベックに着いた。帰りのシャトルバスに、もし乗り遅れたら、埠頭までは鉄道しか足がない距離だった。
シャトルバスの中で、藤川君が、本日は、宗教的な祭日であり、土産物屋を含め、多くの店舗が閉じていることを予め了承しておいてくださいと予告。今回のツアーコースは、土日祭日が少し多すぎないかと、誰かが皆の不満をぼそっと代弁した。
街に入ると、尖塔が何本も目に入り始めた。リューベック・セントラル駅を右に見ながら、シャトルバスは観光バスの駐車場に入った。船側から事前に示されたシャトルバス停車位置は違っていた。ラディソンサスホテルからは、橋一つ離れていた。案内図を宛にして戻ってくると、迷う者が出るだろう。さすがの藤川君でも、それについて注意はしなかった。
「バルト海の女王」と呼ばれた古都は、南北2km、東西1km、周囲を運河と川に囲まれた中之島で、世界遺産に登録されている。現在ドイツで最も観光客を集めている州だそうだ。
下車して、街のシンボルであるホルステン門に向かった。が、あいにくと、全面的な改修工事の真最中で、工事天幕には、その無粋な工事をみせないようにと、ホルステン門の原寸サイズの写真シートが降ろされていて、景観を保っていた。ここがそれであるという観光客への申し訳の処置と受けとめた。我が国でも、こうした策が観光客へものせめての姿勢だろう。2つの塔を左右に載せた市城門で、建築中から弱い地盤にめり込んで傾きだしていたのだという。ドイツ版ピサの斜塔になりかねなかった建物なのだ。改修中であっても致し方ない。街のシンボルが傾いたままでいいはずがないというドイツ気質がいいではないか。
門から緩やかな坂のホルステン通りを歩き、すぐ右手のペトリ教会に入ってみる。藤川君の話では、無料だが、献金をしていただければ申し分ないとのことだったので、献金箱に入れて、教会の階段を上ろうとしたら、女性の手が制するではないか。きちんとした料金所があり、入場料をというわけだ。あの献金箱は、自分の手の下せない管轄外のもので、ここに払って欲しいと言う。但し、先に入った日本人の団体と同じグループならば、団体扱いをしますが、と。
本来なら個人で3ユーロだが、2ユーロでいい。それも献金してくれたのだからと4人で6ユーロだけしか受け取らなかった。こちらも恐縮してしまい、お礼を述べた。妙なスタートになったものだ。
手にしたガイドブックでは、エレベーターに乗るなら有料だが、階段を歩くなら無料と記されていた。ガイドブックも改訂しておいた方がいい。
我々はエレベーターで上がった。最上階は、360度視界が開けていて、川に浮かんだ観光用のクルーズボートや、これから行くマルクト広場で市場が開かれる模様や、赤い屋根の街、その中に高く聳える尖塔が眼下にあった。
教会を出てから道を横断して、そのマルクト広場に入った。祭日のせいか、マルクトは、まさにマーケットを開く準備で大童だった。帰りにもう一度寄ってみようということで、マリエン教会の世界最大級のパイプオルガンを見ようとしたが、今日は宗教的な祭日であるため、礼拝が行われていたため、遠慮した。外にあるデヴィル像と並んで写真を撮り、その裏手に向かった。
裏のメンク通りという筋が、昔ハンザ商人たちの館だったというが、静かな煉瓦作りの建物が軒を連ねているだけだった。ペトリ教会からヤコブ教会までのブライテ通りは、普段なら一番人通りが多いのだろうが、今日は、ひっそりとしていて、我々、日本人と他の観光客だけが所作なく歩いている。
再びマルクト広場に戻ってみた。広場に出店の店員達は、それぞれ、伝統的な衣装に着替えていて、祭りの日らしくなっていた。ロートシュポンという赤ワインのワインショップは修道僧の衣服で、パン屋も毛皮屋もお香屋も弓屋もスープ屋も、フイゴを吹いて金属装飾細工をする職人も、中世の衣装である。直径2,30cmの木材を素材に木彫りされた鷲や梟などをディスプレイしている男は、木こりの格好だ。ロビンフッドがぶらりと森から遊びに来るような中世の世界観を創って、客を楽しませようというわけだ。
名物のマルチパンという砂糖菓子がある。1407年飢餓になった当時、市政府がパン職人に、倉庫に残っているアーモンドを粉にしてパンを創らせたのがその元だが、土産用に袋に入っているのは、豚や熊や兎の形をしていた。可愛くて食べられないといって、買うのをやめたのは美子さん。
その代わりというのは、妙だが、出店のソーセージが、炭火焼きでいい匂いを振りまいていた。妻は、そのソーセージを美子さんと買っていた。日本では考えられない、6,7本分のボリュームが1本なのだ。僕は、好物のソフトクリームが買えないかと探し回ったが、残念ながら、中世の世界では、売っていなかった。
11時30分のシャトルバス発車時刻が迫っていた。カフェでお茶することもやめて、駐車場に急いだ。一龍齋貞心さんも町子先生も慌てた。これに乗り遅れると、船内での昼食がとれない。やはり、みな同じ気持ちのようで、満席となって出発した。
うとうとして眼が醒めた。バスは、もうトラヴェミュンデの港に近づいていた。「こっちの街のほうが、きれいだね」「人が多く出ていて、お店も開いてるじゃあないの」
おやおや、停泊した港は、バルト海を望むドイツ有数の保養地なのだということをご存じないようだ。今日は休みだからこそ、人手が多いのは当然で、その日のために、レストランもお土産店もかき入れ時なのだ。
「キール運河を出て、バルト海のリゾート地、トラヴェミュンデに寄港します。そして、世界遺産の古都リューベックを楽しみます」
せっかくの寄港地である。なぜ、商船三井客船側は、ガイドブックに、こう書かなかったのか。
午前中の自由行動は6802歩だった。ギャングウエイの下で、水野さんが自転車を畳んでいた。ここからリューベックまで走ったという。バスで20分、電車でも20分。この距離を2回迷って、1時間半で着いたという。体力を賭けた観光を続けている。
レストラン瑞穂で、昼食をとって13時30分には、再びイミグレを通って下船した。
ここは、リューベックから20分、北の最終駅。ヨットハーバーであり、海岸線のプロムナード沿いに観光クルーズ船も多い、先回のニューオーリンズのような雰囲気。古い灯台もあれば、高層ビルのホテルもランドマークになっている。その先は、白砂一面に、ビーチに色とりどりのレンタル・ビーチベンチが広がっている。対岸には、パッサート号という4本マストの帆船が係留されていた。土産物屋には、古い灯台の置物や、パッサート号の文字が入ったキャップも売られていた。
地元の観光客やヨットマン達が、そっくり返って見上げる姿眼の先にある、日章旗をつけた8階建てのビルのようなにっぽん丸が、誇らしげに思えた。
意外にも菅井荘輔さんが、「デッキゴルフやってみたい」と言い出した。
「女もすなるデッキゴルフなるもの、男も一度は、せずばなるまい、て」照れながら言ってくれた。
今回、僕がデッキゴルフに誘って、美子さんのその夢中さ加減を呆れたように眺めていた荘輔さんが、してみたい、ならば、すぐにも、気が変わらぬうちに、と夕暮れのデッキに連れ出す。妻も誘って、4人で8個のパックを使う。徐々に面白くなってくれたようで、最後の1手違いで、僕らが勝ったものの、実に愉快な時を過ごした。これからも時間があったら、誰もいない、この夕暮れにやろうとなった。
大風呂に浸かった後、菅井夫妻の部屋でアペリティフを飲む。そのまま、ダイニングルームへ。
今晩は、船内イベントは無しの日、ノーアクティブティデーだ。ゆっくりとパソコンに日記が打てる。
食後に3階のフォトコーナーを通ると人垣が出来ていた。今日のハンブルグ・ツアー組も、つい先ほどの出港ダンスに興じていた姿も、プリントが掲示されていた。速くなった!
…それにしても、東ギャラリーは、なかなか再開されない。どうしたのだろうか。
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