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2010年10月 5日 (火)

060524 キール運河

オランダを越え、ドイツのヘルゴランド湾から645分、錨を上げる。

8時前だが、キャプテンからアナウンスメントが入った。

「昨日の変化のめまぐるしかった天候、また揺れの苦しみは、今日の日のためにありました。明日で、ちょうど、クルーズの半分が過ぎます。キール運河が折り返しだと考えていただいても結構です。8時の時点で、現在まで13,678海里。クルーズ最終の距離、30,800海里からすれば、44%しか走ってのですが、これは、地中海での停泊が長かったせいです

朝9時過ぎにキール運河入り口のロックに入り、ここで水位を調整して門が開き、先へ進みます。海面の高さ差は、エルベ川 1.69メートル、バルト海 1.7メートル。

キール運河は、北海(Holtenau)とバルト海(brunsbuttel)を結び、全長約99キロです。
1895
年に開通し、通峡するのに平均78時間を要します。通峡可能な最大船舶は、長さ235メートル、幅32.5メートル、喫水9.5メートル、Air Draft42メートルとなっております」。

 

Dscf2060 Dscf2061 845分には、最初の水門に入るという。丁度、朝食の最中になるか。エルベ川を遡る。気温は11℃、海水温13℃。昨日までは雨だったようだが、幸い今朝の天気は晴れである。ついている。

沿岸が牧歌的な風景に変わってきた。羊が緑の草の上に白い点々を創っている。その先に、大型の風力発電塔が何基も連なっている。南西の風10m、波の高さは20cm。

脇を一艘のヨットが併走している。キール運河を一緒に抜けるのだろうか。

妻が、思わず、セールを操るヨットマンの格好を見て、「寒そう」という。雪の上にいるスキーヤーに寒そうと言うようなものだ。

一カ月後になるが、毎年6月下旬の「キールウイーク」という時期に、世界のヨットマンが参集するヨットレースがある。その試走かも知れないのだ。

 

いよいよ、また、草原の中を航走するおとぎ話のような光景が始まる。北海とバルト海を結び、ユトランド半島を横切る全長987km、巾102mの人口運河である。ドイツ海軍の潜水艦Uボートの基地があったことで知られるように、北欧への玄関口である。スエズ運河やパナマ運河がウン千万円の通行料を支払うのに比べ、ここは、無料だと聞いた。運河にかかる橋は7本。高さは40mに規定。これは大型船舶の航行を可能にするために設けた高さであるが、5万トンクラスになった飛鳥Ⅱは、残念ながら、ここを通行できない。現在は年間45万隻も通過している。将来は、運河通過の自動化が計画されていて、船舶の位置と速度を示す装置が整備され、投下標識の遠隔制御など、より簡単な管理が可能になると言うことだ。

 

昨夜は遅くまで渡辺登志さんと飲んだのでそのまま就寝してしまった。酔い覚めのモーニング・シャワーとなった。

朝食を終えた時、浜畑さんが近寄ってきてこう言ってくれた。

「萩原さんの今日の昼食は、特別に作ってありますから、ピンクのチップを見せて受け取ってくださいね」

4階のデッキに出てみると、ロングシューター・キングの松田さんが既に居た。スイスイマダム工藤が、不満顔。「誰も出てきーへん」業を煮やして「呼んでこぉ」とインフォメーションに走る。次々に工藤コールがかかる。しかし、部屋にいないとなると、広い船内はなかなか探せないから諦めることになる。偶数の顔が揃った。ノイジー・サンダル菅井とフランク・ヤサイ山縣が来た。

誘っていた西出さんが顔を出した。パックの打ち方を近くにいたスイスイマダムに訊いている。マダムは、西出さんを褒めながら、「やりまひょ、やりぃな」と仲間に誘う。二人に言われて、彼もついにデビューとなる。マダムの主人と西出さんは麻雀仲間で、僕とはイタリア旅行の仲間で、名古屋人会のメンバー。

スタッフの黒川君と6人で見切り発車したら、ユメレン・ファイター横田がカメラをぶら下げて現れた。すかさず、パックの番号を与える。いきなり打つ順番になった。苦笑いしながらカメラを襷掛けにして、打ち始めた。1時間の勝負。

西出さんのデビューは、マダムに散々フレームアウトされ、黒星スタートとなった。

2071 キラー・コンドル菅谷が現れた。ボケ・デーヴィル高嵜がスティックを手にした。スタッフの黒田君に代わり、蘇君が参加することになった。

2回戦。じゃんけんの組み合わせがイレギュラーになり、白先攻組は、松田、高嵜、萩原、山縣、西出。赤後攻組は、工藤、菅谷、菅井、ミセス松田、蘇となる。

 

戦況は、赤の固まり対白の固まりという陣地争いの形相。

途中から雨になった。雹が降ってきた。甲板をころころと白い金平糖が転がっていく。パックが床面に張り付いて動きが鈍い。それでも、プレイをやめようという者が誰一人いない。苦戦しても笑いで誤魔化す。

山縣、西出の二人にゴールしてもらい、松田、高嵜と三人で攻防戦。時間切れをしないよう、急ピッチで二人もゴール。白組は、賭に出た。僕独りが残った。

コンドル菅谷のミスショットを誘い、僕にホームを狙う飛び石ができた。まんまと敵失を利用して僕が上がる。制限時間5分前に全員ゴールという完全勝利。これで僕自身、本日2連勝となった。

 

Dscf2072 川岸は、相変わらず牧草地帯だが、ときおり、フェリー乗り場の近くに住む方々が手を振ってくれる。この圏内のネッターが発信したインターネットで日本の客船が通過する時間を知らされたのだろう、川岸の老夫婦が日章旗を持ち出して、大きく振ってくれていた。なぜ日章旗を自宅に持っていたのだろうか。飛鳥やにっぽん丸が通る度に振ってくれているとしても、年に1度か2年置きだ。余程の親日家なのだろう。

Dscf2074 Dscf2075 予想外の場所で、日章旗を目にすると、胸が熱くなる。懸命に振ってくれている老人の顔を見ていると、なんだか昔から知っていたような気分にも鳴る。ありきたりの手の振り方では申し訳なくなってくる。船の上から、多くの船客が満面の笑みを投げかけた。デッキゴルフのゲームに入ってくれた蘇君が、大声を張り上げた。

「ダンケ、シェーーーン!!」僕らも「ダンケ、シェーーーン!!」声が届くと、川岸の人たちも両手を挙げて応えてくれる。誰かが、「バーム、クウヘ~~ン!!」「ヒルメーシ、クウッタア!!」。川岸には届かないで欲しかったが、8階の甲板では、どっと笑いが湧いた。

しばらくすると、反対の岸では、少年たちが、自転車のペダルを力いっぱい漕ぎながら併走してくれている。窓からは、大きな布を振ってくれている奥さん。犬に引っ張られるようにして走ってくるトレーナー姿の小父さん。

スエーデンの旗をつけたエンジン航走のヨットも、デッキに立った青年がヘルメットを大きく振って抜き去っていく。キール運河は、川幅が狭い分、親しみがグンと湧く。人と人とが確実に通じ合っている静かな交流だ。菜の花畑のイエローも楽しみだが、こうした川岸との交流は、2003年の時にも感動させられた。

 

1145分、船内では、カジノプレイ券を増やすチャンスゲームが行われていた。自分の100$券を元に、簡単なゲームをする。上手くいけば、倍増、三倍増となる。昨夜のカジノで妻が30分足らずの内に、すっからかんになってしまっていた。マダム工藤から200$寸貸で、ゲームに参加する。運良く10400$を手にした。

 

昼食は、2階の瑞穂に神楽弁当を受け取りに行った。ゆっくりと景色を楽しませる航路では、神楽弁当が支給される。船内の何処へ陣取ってもいいのだ。飛鳥の運河通過には、巧くすり抜けられますようにという意味で、鰻弁当が出るという。こうした時に、飛鳥組とぱしふぃっく組が、にっぽん丸組にその違いを教えてくれるのだ。3船制覇しようという船客はまだしも、満室で乗船できなかったという飛鳥組やぱしふぃっく組は、贔屓の船を自慢するため、にっぽん丸ファンは目を背ける光景が起きるのだ。時折、3船の旗色があぶり出される。船内に巨人阪神中日が呉越同舟しているようなものだ。

リドデッキの左舷にテーブルを取った。僕の弁当は、これまで同様、シェフの手を煩わせている。妻の炊き込みご飯は醤油味を効かせてあって茶色。僕のは、白飯で作り分けてくれている。有り難い。ここまでしてくれているのだから、下船時の外食こそ注意していなくてはと自戒させられる。

 

昼食を終えたリドテラスでは、海水が抜かれたプール脇で甲板員がタイルを修理している。廊下では、天井の蛍光灯がチェックされている。穏やかな波のない、こうした観光水域になると、船内のスタッフは、持ち場、持ち場の船内の修理作業を黙々と行っている。絨毯の掃除、階段のステップゴムの張り替え、電球の取り替え、プールの清掃、船窓の清掃などなど、水道・電気・左官工事屋さんが一斉に乗り込んできたかと思えるほどに、繋ぎ服が動き出す。考えて見れば、三ヶ月間、貸し切りのホテルが海を移動しているのだと、あらためて実感する。

 

Dscf2085 3番目の橋を過ぎた辺りから、菜の花畑が広がってくるのだが、菜の花は一部分だけだった。周辺の多くは刈り取られていて、前回のような黄色一面の海は、期待できなかった。考えてみれば、3年前は515日だった。

今回のキール運河通行は1週間も遅い日程だ。それもそのはずだ。地中海での寄港地が多かったことに加え、大西洋岸から内陸の川を遡る航路が組み込まれて、その潮待ちに半日を費やすという贅沢なプランだった。すべてを季節に合わせようとするわけにはいかない。天気も思わしくなかったのだから、ここは、我慢すべき処になった。菜の花畑の件は、同船した現地のパイロットに訊くまでもなく、案外、船側は既に判っていたに違いない。辺り一面のイエローを敷き詰めたような景色を見ていたキール運河経験の船客同士は、今年のクルーズ客は気の毒だわねと言い合っていた。たしかに、菜の花畑は、あるにはあったが、川岸からは遠く、しかも、岸に沿って植えられた樹木に視界を遮られて、カメラには収められにくい距離だった。

Dscf2092 060526_07 東さんは、フライングデッキの先のレーダーのある塔に登りはじめた。なにが何でも見つけて撮ってやるという意気込みだ。確か、足を痛めていたはずだ。随行カメラマンという仕事も大変だ。命綱を腰につけていた。留守家族の読むネットでの航海日誌で貴重なイエローの景色を目にすることだろう。(写真は、東さんから掲載許可を得ました)

 

Dscf2058 ゆっくりと回っている白い風力発電機の林が現れた。ドイツには、1000箇所もあり、電力の19%が風力発電で賄われて、世界一だそうだ。また、この菜種油は、バイオ燃料として使われている。原子力発電ではない国策を試行している。

 

Dscf2100 レンズブルグ鉄橋橋に差し掛かった。「君が代」の曲がレストランから流れてきた。先回同様、日の丸は今年も掲揚されなかった。15時を過ぎたところで、急に陽が落ちた。景色の濃淡が薄くなってしまった。

デビュー戦を飾れなかった西出さんを後部甲板に誘った。デッキゴルフの練習を始めた。パックを真っ直ぐ打ち出すフォームと力加減を知りたがっていた。コースの中にある柱を狙って、ターゲットにヒットする練習をする。さすがにゴルフが上手いだけあって、呑み込みが早い。すぐにも、手強いライバルになりそうだ。

 

17時頃、7つの橋を抜け、ロックに入った頃、天気が崩れ始めた。また雨が降ってきた。ロックでは、20分ほど待機して出航した。途中キール湾にある、第二次世界大戦時のドイツのUボート造船所跡を船は迂回しながら見せて、8時間後にバルト海へ抜け出た。

 

船客は、おおかたが船室に戻りかけた。夕食前に大風呂に行っておくことにする。脱衣室での挨拶も、最近は静かなもので、淡々と黙々とそれぞれが手を動かしている。ツアーでの歩き疲れか、それとも人となりが見えてきたせいか、目礼が多い。

展望風呂というのは、日本船しかないのだが、湯船に浸かって外を眺めるのも一興だ。ロック内で待機しているので、反対側水路を通る貨物船の船橋から、望遠鏡をこちらに向けている船員が居た。我々側はどうってことないが、彼が首の向きを別の方に向けた。女性風呂の方角だ。首を前に乗り出した感じだ。隣の船員に何かを伝えている。その船もゆっくりと遠ざかった。

 

夕食が始まった。この時期になると、始まったという感じかただ。男女ともに、衣服に気遣うのにも肩に力が入らなくなってきたせいか、陸の上での素が見えてくる。普段はきっとああなんだなあ、と親しみを憶える人も出てきた。

 

席について、後ろを振り向きと、名古屋の高木さんご夫妻が並んでいた。

「ご一緒しませんか」高木敏恵さんから声をかけられた。喜んで、とセンターテーブルに移動した。そこへ西出さんが近寄ってきた。「名古屋系親睦会」を開こうと言ったら、西出さんが乗ってくれて、連絡簿作成のために、客室番号を尋ね歩いてくれていることが判った。

ロンドンを出航した日の夕食に“しよまいか”ということになった。レストランの平マネージャーに530日、16名席を「奥座敷(ダイニング瑞穂の左右は、奥まったスペースをそう呼んでいる)」に作って貰えないかと打診した。

今回のクルーズは、奥座敷を好む客が多くて、毎夕、自分たちの定席を持っているので排除できないとのこと。本来は、レストランの入口で、案内するというスタイルを採っているのに、定席を持つのはおかしいと差し込みたかったが、我慢した。センターテーブルのサイドとなった。どういう空気の親睦会になるか、楽しみである。

にっぽん丸船内で、県人会の集まりをしようと提案したのは、我々が初めてとなった。

 

夕食後のメインショーは、「京都茂山千五郎家 狂言鑑賞会」。初めての狂言である。なかなか出掛けてみる機会も少ないので、ドルフィンホールへ出掛けた。

茂山千五郎家とは、井伊直弼のお抱えの狂言師であるという。「豆腐のような狂言師」というのが家訓だそうで、誰からも愛され、飽きの来ない味わいがなければならないという意味が込められている。

600年続いている日本古来の笑いだが、金屏風以外大道具もないこの舞台では、観客に多くの想像をしていただきたいと、「つもりの芸」であることを説明された。さらには、「室町時代の吉本新喜劇だと、お考えくださいませ」、狂言師、茂山茂さんの挨拶に観客席は、空気が和らいだ。

「舟船(ふねふな)」、「仏師」の2題。言葉も判りやすかったし、所作も解りやすかった。茂山さん達の演目の選び方に感謝だった。クルーズの楽しみは、こうして滅多に接しられないカルチャーを見聞できることである。思いがけないヨーロッパの洋上で、鱧が楽しめたり、カイロの夜に、講談が聴けたりと。それいて、日本を離れていると忘れがちな、「子供の日」を鯉幟で思い出させてくれる。

 

高木さんに僕の本を進呈する約束をしていた。426号室のドアをノックした。西出さんには、明日まで待って貰う。

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