060523 北海
これまで服用を外していた利尿剤を昨夜は飲んだ。そのせいでもなく朝4時に目覚める。ゆっくりだが、うねりは大きく揺れ始めていたからだ。6時、7時、うとうとする。窓外は、広い範囲で霞んでいる。
船が大きく揺れている。久しぶりの揺れだ。今回のジブラルタル海峡通過が波静かだったから、初めての船客は、驚いていることだろう。この揺れは、紀伊水道から神戸に入る時以上の揺れだ。
朝食にレストラン瑞穂に出ていくと、やはり、人が疎らだ。
妻の様子も変だ。どうも食欲がないようだ。チョイスしたものを殆ど口にしないで残してしまった。先に帰ると言い出した。そうさせた。
八点鍾のアナウンスが天井に響いた。
『昨晩、アントワープを出港後、川を下り北海に出ました。
にっぽん丸は現在、アムステルダムの南、ロッテルダム港に至る河口から北西方向20海里(37km)沖を北北東に向けて航行中です。
昨日、アントワープの港長が入港歓迎の訪船をしてくれた時の話では、本船が接岸した岸壁は、ナポレオンが最初に造った200年以上前の歴史的な岸壁だそうです。
アントワープ港は、内陸都市の中心部まで大型船が行き来することができ、物流の規模ではヨーロッパ第二の港と言われています。日本の港にはない、水運のスケールの大きさが想像できます。アントワープに至る川の名前は、ベルギー語でスケルダ(SCHELDE)川と言います。フランス語名はエスコー
(ESCAUT)川と言い、フランス領土であった時代を偲ばせます。
この川はオランダ領土も通っている為、本日の02時:15分頃、ベルギー人の水先案内人とオランダ人の水先案内人とが交代しました。そして04:時頃、河口付近の荒天によりボートが使えなかったため、水先案内人をヘリコプターで吊り上げて下船をさせました。
当初の予想よりも天気が悪く残念ですが、今日の天気図では西側に高気圧が張り出しているので、回復に向かうことを期待しています。
今夜21時30分頃、エルベ川の河口で錨を入れてます。そして夜明けを待って、明朝06時30分頃、水先案内人が乗船、09:時頃から、いよいよキール運河航行です。どうぞお楽しみに。』
朝食を終えた後、4階のプロムナードデッキに出てみる。ピッチングとローリングをしている。果たしてデッキゴルファーは現れるか。防寒の用意をしてゴルフデッキに向かう。
9時少し過ぎになると、工藤さん、高嵜さん、松田さんが現れた。菅谷さんもニコニコしている。今日の床面の変動を楽しみにしているようだ。
デッキゴルフが開始された。欠席したのは、中島、横田、高橋の3名だけ。もちろん、「ユージロー」あらため「フランク山縣」も、元気に姿を現した。ギタリストのゴンチャンも来た。これでシアターに行くのを諦めた。9時からの映画は、「不滅の恋、ベートーベン」(1994年米国映画)だった。
床面は、これまでになく、よく滑る。濡れているわけでもない。むしろ乾いている。パックが倍の距離を走る。用心しないと、フレームアウトして自滅しかねない。船尾の波を見ていると、うねりは、やはり大きい。日章旗は、大きくはためいている。プロムナードデッキから前方を見ると、水面が荒々しく上下動している。船がお辞儀をしているのがよく判る。
床面をかがんでパックを見つめるのに、誰も船酔いをしない。水平線など、誰も見ていないことが幸いしているのかも知れない。結果は、・・・2連勝できた。
終えてそのまま、ドルフィンホールに入る。
11時15分から12時まで「入国説明会・ツアー説明会」が行われるからだ。タックス・リファンド(これまでに寄港地で多額に購入した者に還元される)の説明や、英国グリニッジ入港でのテムズ川桟橋の変更と、コペンハーゲン・ロンドン間のオプショナルツアーの先行説明会となった。
昼食を、やはり妻はパスした。瑞穂の入口で案内されるのを独り待っていると、後ろに高橋さんが来た。奥さんの姿が見えない。理由は、同じだった。では、男共で食べようと一緒のテーブルを頼む。
13時30分から14時30分までは、ドルフィンホールで、宮崎正勝先生の第1回目の講義。「地中海帝国と東の紅い海」
フェニキア人は、実は地中海文明の基礎を広く築いた人種であり、ローマ帝国は、実は海を制した国であったという講義だった。
妻は全く起きる気力もなかった。インフォーマルの夕食まで、身体を休めさせた。
身支度をして夕食に出て行くことが出来た。気分転換に、今航海で初めて、カジノに出掛けてみないかと誘った。船客に与えられたカジノ券の封筒を持って、ルーレット台に立つ。妻は、瞬く間に、チップを失っていった。まあ、気分転換が出来たのならいい。隣のディラーの方をみやると、「ヒット!」、「スティ!」。山縣さんと工藤さんの声だ。工藤さんはしぶとく、山縣さんは苦戦していた。山縣さんは、カードが好きだ。
高嵜さんの部屋に電話する。呼び出し音が何度も続くが出ない。既に、行ってるのかなと、ネプチューンバーを覗いてみる。高嵜さんの姿はなかったが、渡辺登志さんが、僕を見つけて手招いた。カジノにいる妻へ、飲んでくることを告げる。
カウンターの止まり木に座る。ボトルキープしてある焼酎の「紅乙女」をお湯割にしてもらう。高嵜さんは、「紅乙女」を飲んで、ほんの少し前に部屋へ帰ったという。行き違いになったのだ。
登志さんが踊らなくなった理由を知る。腰痛で動けなくなっていたので、今度これに乗るためにリハビリをしていたのだという。元気に下船しても、3年間は長い。平均年齢が70歳のクルーズ客だ。この間に、皆いろいろあるのだ。
毎朝、プロムナードデッキを歩いているという。もう一度、華麗なソシアルダンスの足運びを見たいものである。
「貴男の本、あちこちの本屋で探したよ、見つからなかったんで、旅行業者に頼んで、手に入れたわよ」「そうだったんですか、有り難うございました」。
今回の06年度版も是非、出しなよ、と言ってくれる。
企画出版といっても出版社探しになかなか「難航」する。約束は出来ないが、今回のクルーズも毎晩メモを書き続けていると打ち明けた。
ゴスペル歌手の磯村芳子さんの横で、水野さんが嘉田さんと飲んでいた。二人とも愛知県人。熱田区出身の水野さんは、自転車を持ち込んでいる。寄港地の街では、風を切って走っている姿をよく見かける。今の自転車は2台目だという。訳を聞くと、ルアーブル港で下船して、パリへ残すところ20kmという地点まで走り込んだ時、自転車が壊れたので、買い換えたのだ。
「ワールドクルーズ中に何度アクシデントがあろうが、自転車を買い足してでも、自分の足で漕ぐ」という。凄いバイタリティだ。
そんな話を聴きながら、登志姉御が両手を握って何度も言う。
「身体を大事にしてくれ、とにかく透析になる時期を遅らせるんだよ」
彼女は、最愛の人を亡くしているのだ。
「元気な姿で、来年会おう、07年の南洋クルーズで会おう!」
森田バーテンダーの見ている前で、カウンターに腕を持ち上げられて、指切りをさせられた。「軍資金の見通しも暗いなあ」と返すと、「金は天下の回りもんじゃあ」と一喝されてしまった。
何処をどう回って、自分のほうに来てくれるのだろうか。
「イヤ来る、きっと来る」。「宝籤で当てるか(笑)」。
「買わない奴には、当たらないよ(笑)」
「パットは、ショートしたら入らない!!」
「ホームランは、打席に立たなきゃあ、当たらない!!」
傍にいた客に、矢継ぎ早に、囃し立てられて、その気になった。
そうだ、申し込んで、駄目なら、いつでもキャンセルは出来る。
酔いも手伝って、意気揚々と廊下を歩いて帰った。
明日は、キール運河だ。ゆったりできる。
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