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2010年9月26日 (日)

060522 アントワープ


4時、右下肢が攣った。遂に来たかと、起きあがる。痛む足を引きづって、ドライヤーを探し、電源を入れる。熱風を大腿側内部に当てる。数分我慢して、冷えた筋肉を暖めることで、緊縮した筋肉を弛緩する。これが僕の対処療法。確かに、部屋が冷えてもいるのだ。室内の空調の目盛りを最大限右に回して、暖房とする。

 

まどろんだが、結局は7時に洗顔することになった。睡眠は充分取れている。本日は、ブルージュに一人で行くことになるなと思いつつ、妻に同行しないかと打診してみる。ヨーロッパで、「水の都」といえば、サンクトペテルブルグや、オランダだ誰の頭にも浮かぶのだが、アントワープから1時間、大西洋側に戻る方角にあるブルージュも、水の都とか、「北のベニス」とか言われている。

 

「ブルージュ」という都市の名前には、格別な思いがある。かつて、明治乳業を担当したとき、アイスクリームの新製品に「ブルージェ」とネーミングをした。「ハーゲンダッツ」というドイツ系ネーミングの米国商品が、日本では非常に手強いアイスクリームになりかけていた。同じ博報堂の千葉篤アートディレクターが日本市場導入を成功させたブランドである。

それ以前に日本市場を席巻していたのは、明治乳業が販売権を得ていた米国の「レディ・ボーデン」だったが、販売契約の終了時に更新をせずに、明治を離れて独自に日本市場で販売することを通達してきた。かつてのヤナセとVWの関係にも似ていた。そこで、明治乳業がこれまでの売り上げ実績の20億近くを補充するため、市場に出す「レディ・ボーデン」と「ハーゲンダッツ」への対抗品だった。

急遽、開発された商品は、ミルクと空気のバランスを何種も吟味し、選定された。そして、その濃厚な味をイメージさせるため、ヨーロッパでの湖水もしくは運河で、酪農圏に入る国を候補に挙げることになった。明乳は、「ブルガリア」ヨーグルトで他を圧倒してきた企業である。これまでに商標登録されていなく、しかも、語呂のいい都市の名前として、ブルージュが候補の筆頭となった。商品化されたが、遠隔地であることと不安定気候の点から現地ロケには至らなかった。代替地として、豪州のブリスベンから飛んでハミルトン島に近い小島でロケ撮影をした。起用したタレントは、紆余曲折を経て郷ひろみ夫人になった。

数年は明乳の売り上げに貢献した品であったが、その後は、選択と集中という経営資源の効率化を狙い、一転して「彩」という和風の商品名の商品群に統一されていった。品のいい古都、女性に好かれる景観という都市「ブルージュ」に、自ら一度は足を踏み入れたいと決めていた。

公表されたバスツアーでは、「ブルージュ」のほかに古都ゲントも周遊することになっていた。「ブルージュ」の街を自由にゆったりと歩きたいので、個別行動をとることにする。鉄道で1時間の距離である。

ツアースタッフの藤川君にそのことを話すと、親切にも、時刻表のコピーを手に、直通列車の時間を教えてくれた。アントワープ駅までは、埠頭から地図の縮尺距離で、2キロ半、歩いて15分と見た。

 

スケルダ川を上って、船は、北ヨーロッパ最大のアントワープ港に接岸していた。ダイヤモンド取引量世界一を誇るベルギー北部の都市、アントワープ。ダイヤ取引に関わるのは、かつてユダヤ人が多かったのだが、今ではインド人が6割になったとか。ダイヤ産業への投資銀行も5行の中で、インド系の銀行が3行もあるそうだ。まあ、妻たちには、目の毒だから、03年次のクシャダスの宝石店以来、注意が肝要だ。それにしても少し寒い。重ね着をして出よう。

 

朝食では、3年ぶりに、宮崎先生に出遭った。

「おひさしぶりです」

「北海道から成田経由で、ロンドンからルアーブルへ一気に飛んで昨夜泊まって、今朝がアントワープです、船とは大違い、ははは」

03年では、初対面の食事の席で、いきなり、「トルコの床屋に行ってきましてね」から始まった。世界史を語る先生は、さすがに地球儀を自分で転がしている。トルコのクシャダスから乗船した先生と、数日後に、僕とネプチューンバーで飲んでいた。気さくな、この先生のお陰で、僕の世界史嫌いが治ったのだ。先生によって、代数が嫌いになったり、物理が嫌いになったりした僕は、丸暗記を強要される受験歴史が大嫌いだった。日比谷高校の生徒は歴史が強いだろうな。今回も解りやすく世界の変化を話してくれることを期待したいものだ。

 

ブルージュに出掛ける話になった。

「独りで行ったら、って言ってるんです」妻が先生に言う。

「そうです、旅は適度に緊張のある冒険ですよ。出来るときにそうする、ぜひ行ってらっしゃいませ」

妻を連れて行こうと誘ったわけではなかったが、予防線を張られた。

そこへ、美子さんが横の席に滑り込んできた。

「うちの旦那でよかったら、一緒に行くよってさ。あの人、3年前のブルージュ、うろ覚えだから、もう一度見てきてもいいって」

ならばと、荘輔さんと二人で行くことにした。荘輔さんは、膝の皿を打撲していて、僕のほうは右足を挫いている。ゆっくり歩くしかないが、女性の歩くテンポとは違うだろう。

雨具を入れたディバッグを背に、イミグレを出た。この埠頭は、ナポレオンが造ったそうだ。

Dscf1965 ノートルダム大聖堂の脇道を巻いて、路面電車の走る大通りを道なりに駅へ向かう。妻と美子さんも後ろから歩いているが、彼女たちの行く先は知らない。どこへ行くのだ?と訊くと、駅でチケットを買うところまでを見届けるのだと返ってきた。荘輔さんと目配せして、構わず歩を早める。37分発の列車に乗るためだ。ショッピングビル街を過ぎると、前方に駅らしき建物が朧気に見えた。毎時37分の列車が、ゲントを経てブルージュに直行する。これに遅れると、1時間も駅で無駄に費やすことになる。

5分前だ。駅に走り込んだ。左にチケット売り場のカウンターがある。ブルージュまでのリターンチケットを買う。二人分で49ユーロだった。ホーム番号を聞くと「2」だという。階段を駆け上がる。

列車の中に入る。日本語が聞こえた。女性が4人いた。向こうから声をかけてきた。

「どこまで行かれますか、えっ、ブルージュ!私たちも、一緒だわ」

「わあ、よかった、降りる駅、見逃さないで済むから」

 

Dscf1969 外国列車の気分を味わいたいからと、日本語が聞こえない距離に座る。ふろ、窓の外を見ると、なんと、妻と美子さんが立っていた。ホームまで駆け上がってきたのだ。嬉しいと照れくさいが入り交じって、パントマイムで会話しているうちに二人が左側に消えていく。列車が走り出したのだ。ベルもない。アナウンスもない。時刻通りだった。

そういえば、日本に比べて、駅のレイアウトがシンプルだった。チケット売り場以外、目立ったモノがなかった。だから、急いでいても瞬時に見分けがついたのだ。初めての旅行客にも、戸惑いのない駅のレイアウトこそ、観光立国になれるのだがと、思った。

Dscf1971 Dscf1972 ロングレールを使っているのか、振動もなく、実に滑らかな走りだ。何事もなければ、1023分には着く。というのも、ルーアン駅からバリまで列車で行くとした高嵜さんが、電気故障のため、列車が停車してパリまで行けなかったという話があったからだ。車掌が来た。チケットに年月時間を刻印された。

沿線はどこも同じ風景だと言い合っていると、線路脇に、突然、風車が迫ってきた。オランダではないが、と言いながら、やはりシャッターを押していた。

 

ブルージュ駅には正確な時刻に着いた。やはり、駅はシンプル。改札はなかった。観光都市らしく、50分で一周するというシティバスや観光バスが駅前に停まっていた。ガイドブックには、ザンド広場から右折するようにとあったが、公園の緑の中を歩こうと、コースを右手に取る。「私の水の公園」というプレイトを見つける。ガイドブックでは「愛の湖の公園」となっていた。ザンド広場への近道だろうと、勘で歩いていると、突き当たりに水面が見えてきた。

Dscf1975 Dscf1983 Dscf1990 「ここは、3年前歩いた」と荘輔さんが思い出した。湖水は、T字型の行き止まりになった。白鳥が十数羽、絵葉書のように泳いでくれている。馬車が蹄の音を立てて、走り込んでくる。車の通行を禁止しているこの街だからこそ、一瞬のうちに中世の時代に入り込んだ気になる。

オープンテラスのレストランで店員が、黙々とテーブルクロスを敷いている。生花をテーブルに置いていく。もうすぐ、かき入れ時のランチタイムが来る。

Dscf2024 狭い土産物屋の並ぶ通りを歩く。土産物を買って来いとは言われていないが、僕は、いつも観光地を訪れた記念にキャップを買っている。何処を歩いていても、眼はブルージュの文字が入ったいいデザインのキャップを探していた。数軒覗いた先で、壁にキャップが多く飾ってある店に入る。あった。キャップを手に取っていると、背中から声がかかった。

「同じデザインのスエットシャツも一緒に買ったら」荘輔さんのその一言で、セットにした。僕の買い物は、これで終わった。

あとは、マルクト広場に出ることだった。

Dscf1994 Dscf1996 小路を抜けると少し広い道に出た。角に「たぬき」という日本食レストラン。その向かい側は、ダイヤモンド博物館だった。そういえば、アントワープにも同じ名前の建物が駅の側にあるのだが、妻たちは、入って見ただろうか。

 

そんなことを考えていたら、いきなり、日本語の言葉が通りの向こうから鮮明に抜けて聞こえた。総勢、30名ほどの団体が歩いてきていた。実に姦しい。なるほど、異質な音だ。日本語や韓国語のこうした破裂音の声がレストランの中に響くのは、異国人にとって、五月蠅いのがよく解る。それに比べ、中国人の言葉は、フランス語に似ていると言われるのは、あの四音の発音が柔らかく耳に響くのだ。

それにしても、日本人の歩き方は独特だな、と目で追ってしまった

短足だから、ちょこちょこと背を丸めて歩くので、頭が上下する。過ぎ去る姿は、大人でありながら、修学旅行の一団に見えるのだ。団体行動だから、店を覗くこともなく黙々と歩いているが、誰かが店に首を突っ込むと、どっと特定の店に入り漁るように買い込む。

豚が餌を与えられて、餌箱に顔を突っ込むようなことをしているんだな、僕らもきっと。こういう団体観光客の姿を目にしたのも久しぶりだった。

 

Dscf1987 Dscf1997 ブルージュの意味は、「橋」だ。おそらく、ブリッジの変形ではあると思っていたが、此処、ブルージュは、運河の水路が市内を取り囲んでいて、北のベネチアとも第2のフィレンツェとも呼ばれている。水路を入れた写真を撮ろうとフレームを見ると、セットスタジオではないかと思えるほどに美しい。いわゆる絵葉書の風景である。「屋根のない美術館」と言われているのも納得。

ブルージュの豪商から出たのが、後にフィレンツェの支配者となる銀行家、あのメジチ一族で、そのメジチ銀行は、いま女子修道院になっているとガイドブックにあったが、どこか判らないままに終わった。

 

ブルージュの目抜き通りとでも言える商店街に出た。オード・ブルグと読む標識を左折して、ガイドブックの勧める町歩きの起点、ザンド広場へ戻ってみる。

そこには、サーカス団が来ているのかと思ったほどに、大きなテント村が出来ていた。トレーラーの荷台に載せた大規模な移動遊園地が出来ていたのだ。数台のゼネレーター・カーが裏に隠されていて、見せ物小屋からお化け屋敷、メリーゴランドや大回転チェアが設営され、バーガーショップまである。コンボイのようにこれらが車輪をつけて街々を移動してくるのだから、まさに「街に祭りがやってくる」だ。広場の中心にある噴水は、急造の遊園地の中に隠れてしまっていた。

 

Dscf2006 Dscf1999 P1120177 このザンド広場から再び、ギルドホールと鐘楼のあるマルクト広場へ向かってみる。商店街の要所に飾られているフラッグには、白鳥や馬車、鐘楼などシンボルが描かれてある。

各地区から商人が集まったという名残は、商店の看板に見ることができた。カンペールを探すことをやめた街ほど、靴屋が目につく。多い。何故だろうと荘輔さんに投げかけると、石畳がこれだけ多いんだから、靴底も減るんだろうや、に納得してしまった。

Dscf2008 道の先に見えてきた高い鐘楼も、裕福になった市民の象徴なのだそうだ。街の真ん中に高い塔を建設しようと思い立ったが、当時は教会支配の時代だった。このため、本来ならば、時を告げる鐘楼を市民が建てることなどは考えられないことだったのだが、此処、ブルージュの市民たちは、自立の象徴としてそれを建ててしまったのだ。市民誇りの鐘楼である。

 

Dscf2010 丁度、カリヨンの音が響いてきた。鐘楼からだ。マルクト広場に出た。ガイドブックでは、是非見るべき大変美しい広場だと書かれてあったのだが、あいにくと、広場には、鉄パイプの桟敷が何段にも組み込まれていて、カメラを向けても、工事の鉄枠は外しきれなかった。一段と鐘が大きく鳴った。昼を何処でとろうかと荘輔さんに投げかけた。

土地の軽食屋、ブラッセリーを探してみるが、どうも入りにくい。

多くが20と書いてある中で、セットランチ16ユーロの手書き文字が眼に入った。足が止まったのを見逃さなかったウエイターが近づいてきた。

オープンエアーのテーブルに座ろうかと荘輔さんを促したら、ウエイターは、中に入りなさいなと勧める。店の片隅に案内された。落ち着ける静かな席だった。メニューが何冊も差し出されたが、セットメニューでいいかと尋ねると、勿論構わないと大きな身ぶりをする。ベルギーに来て飲まないのは、この街に失礼だよねと荘輔さんに言うと、大きく頷いた。ビールを頼む。スモールか、レギュラーかと訊くので、スモールだと答えると、このウエイター、スモールでないほうがいいと言う。大抵の男性客は、オーダー通りにスモールを出すと、量が少ないじゃあないかとクレームをつける。だから、最初からレギュラーにしておけと勧める。商売が巧いなと荘輔さんが、OKを出す。

Dscf2013 やがて、丸い大きなグラスに濃い琥珀色の液体を運んできた。レギュラーの量は500ccだった。このビールが実に美味かった。さすが、ベルギービール。ウエイターの勧めた通り、スモールでは物足りなかった。お通しも出てきた。塩味の強いポテトチップスに、やはり塩味の効いたオリーブだった。荘輔さんが睨んでいる。素直に、ここは彼に従って、口にすることはやめた。

窓外を見ると、観光客の群れが、カテドラルや州庁舎の側に一斉に駆け込んでいる姿がある。広場に雨が降り出していたのだ。室内に案内されたのは、グッドタイミングだったのだ。いや、ウエイターの心遣いが解った。彼が外を指差して、肩をすくめている。喜んでくれたかと言っている。

スープが出てきた。カップが大きい。日本で出される3倍はある。これがまた、実に美味しかった。トマトソースをベースにしているが、海老が味を深くしていた。この時ばかりは、「禁塩」を忘れて堪能した。メインデッシュは荘輔さんがビーフシチューで、僕がサーモンを絡めたパスタ。パスタもサラダボールのような器で、3人前に近いボリュームだった。デザートは、チョコレートムース。

二人で、54ユーロ。満足できる昼食だった。

 

 

Dscf2016 クルーズというほどでもないが、運河を走る水路から街を観てみようかと鐘楼の脇を通り抜け、ボート乗り場に向かう。

ところが、1カ所は、チケットを買った客が、乗り場で10数人も並んで待っていた。ボートは着いているが、船長が居ない。これでは、時間がかかると見て、2カ所目に移動した。ボートが出払っていた。最後の3カ所目。客が一人もいない。我々だけでは発進しない。数人が集まるまで待たねばならない。やめた。ボートで巡る場所は、みんな歩き終わっているんだから、駅に戻ろうと荘輔さん。

アントワープへの直行便は、1403分。二人のこれまでの速度から測れば、充分間に合うと判断した。少し遠回りしたものの、駅への方角に間違いはなかった。来たときに帰路は9番ホームだ、と調べておいたので、さも、乗り慣れているような態度で、ホームの階段を上がる。

14時には列車はホームに滑り込んできた。列車の腹に1,2という表示。数字は2等車という意味に取った。念のため、荘輔さんは、1の車内を見に行った。カメラに撮ってきた車内は、3列、1列という変則的な座席構成だった。それが意味するものが、なんであるかは判らないままになった。静かに発車した。

歩き疲れたのだろう、うとうととした。ダイヤ通りの発車だったから、到着時間もきちんと23分になるだろうと安心して居眠った。

 

Dscf2029 アントワープは「アント・ウエルペン」というのが、現地での音だ。日本の旅行業者もガイドブックも、現地で通じる音表示に改めた方がいいのではないか。イギリスも、オランダも無いのだ。ニュー・オリオンズはなく、にゅー・オーリンズ、マドリッドではなく、マドリード、サンフラン・シスコと切るのではなく、サン・フランシスコ、ロスという日本的な省略よりは、LAのほうが通じる。

アントウエルペン・セントラル駅に帰り、ノートルダム大聖堂でルーベンスの絵を見ようとした。17時まで大丈夫、開いている。高さは123mのノートルダム大聖堂は、200年も費やして造られたゴシック建築である。

聖堂の扉の前で、にっぽん丸の平野カメラマンがカメラボックスに腰を下ろしていた。バスツアー組がカテドラルの中に居ると判った。入場料、2ユーロ払って中に入る。

Dscf2036 Dscf2045 薄暗いカテドラルの中で、商船三井客船の青い小旗が頭の上を揺れている。ガイドが掲げた旗だ。なんと、3つのグループが堂内にいたのだ。帽子を被ったまま、教会に入っている日本人観光客をヨーロッパ系の観光客が眼で咎めている。誰も注意しない。

 

Dscf2049 Dscf2044 門外不出を決めた宗教画「キリスト昇架」「キリスト降架」「キリスト復活」「聖母被昇天」、ルーベンスの描いたこの4枚は、此処に来なければ見られない。世界中から観光客は来るのだが、あの「フランダースの犬」のネロ少年も、この画を見たさにカテドラに辿り着く。カテドラの前には、「フランダースの犬」の物語に因んで、日本のブリジストンタイヤが贈呈した石碑があった。日本でのアニメ番組の提供企業は、カルピスが良く知られているのだが、なぜ、ブリジストンタイヤだったのだろうか・・・。

 

Dscf2031 Dscf2035 歩き疲れたこともあり、夕食前に大風呂に入りたいね、となった。市庁舎へは寄らずにフルン広場から海に向かって歩いた。どこかで捻った足が少し痛む。荘輔さんの痛めている半月板はどうだろうか気になった。ゆっくり帰りましょうと声は掛け合ったが、互いに速度は落としていない。途中、にっぽん丸の船客に出遭った。大きなスーパーマーケットがこの先にあるという。そこで、食料の買い溜めをして来ると、手を振って去っていった。少し、船食の質が落ちているので、秘かに食べ直しをしているという噂が広まっていた。03年次に比べれば、確かに食材が落ちている。

イミグレに突き当たる道は、1本外れていた。赤いファンネルを見たときには、ようやく辿り着いたという充足感があった。本日は、21893歩だった。

 

展望風呂で、思い切り手足を伸ばした。ふくらはぎをバブルの噴出口に長い時間当てておいた。時間ギリギリまで歩いているのだろうか、風呂は空いていた。

 

夕食は、菅井夫妻と「反省会」と称して、赤・白ワイン、ビール、日本酒とそれぞれが異なったアルコールを口にした。亭主だけで歩くと、女房連れの時に比べて、3倍は行動範囲が広がると言ったら、反発を食らった。しかし、事実だった。下船した寄港地では、歩くチャンスは1回しかないと思って歩く。今日は、昼食にしたら雨が振り出し、歩き出した時には雨も上がって、駅のホームに立ったら電車が入り、無駄な時間を費やさずに済んだ。下船した人の中には、電車に足留めされた人がいたり、岩が落ちてきたという災難にあった人もいたり、ガラス窓が枠ごと頭上から落ちてきたという人さえもいたらしい。その誰もが、怪我もなく無事に帰船している。

すべて、ノートルダム大聖堂のオーラの御蔭か。

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