060521 ドーバー海峡へ
上げ潮に乗って船は早くにイギリス海峡に出てこられた。深夜2時30分には、ル・アーブルの河口に出た。セーヌ川が蛇行しているので、子午線を行きつ戻りつをして、今は東経に戻ってきた。
八点鐘コメント『昨晩20:00に出港、川の流れに乗って航行し、本日02:30にセーヌ川河口でパイロット(水先案内人)が下船しました。
現在、にっぽん丸はフランスの沿岸から11海里(20km)の沖合い、イギリスの沿岸からは19海里(35km)の沖合いであるイギリス海峡の中の狭い部分、ドーバー海峡を航行中です。
現在、ディープシー・パイロットという水先案内人を乗せています。本船は、この海域を頻繁に航行しているわけではないので、海上交通ルールの変更や、潮流などの自然条件が変わるなど、不案内な面もあるため、ルーアンからリューベックまで乗せているわけです。
本船のルーアン入出港にあたっての本初子午線通過をご報告します。19日08:17に東経に入りました。 そして本日の02:30に東経から西経に移り、03:30に再び西経から東経に戻りました。
ドーバー海峡の最狭部は、フランス側のカレー市とドーバー市の間で、幅は17海里(31km)です。本船の位置は、すでに北緯50度を超え、日本の北海道よりも北、サハリン(樺太)の中央部の緯度に達しています。天気は、イギリスの西側に低気圧があり、まだ春爛漫とはいきません。
本日の航行予定は、現地の潮流と航行管制により、昼12:30頃に川の入口で投錨、夜22:00頃、水先案内人を乗せて川を上り、明朝05:00頃、アントワープに接岸予定です』
まだ天候は変化するとキャプテンのアナウンスだった。西南西の風が10mあるが、追い手と追い波で揺れもない。気温13℃、海水温10.6℃。昨日は、この周辺は、5mの波が立っていたそうだ。
二人とも風邪気味である。少々鼻水が出る。朝食は遅くに入る。早々と食べて出る。部屋に戻り、アンダーウエアを冬用にして、後部甲板に出る。
9時スタートのデッキゴルフ、1回戦。自軍は、高橋、ミセス松田、菅井、萩原、高嵜の面々。美子さんが権利玉を放棄し、敵の3人のゴールを時間切れまで阻止するヒール役になると言ってくれた。ところが、敵は3人、巧い連携で目くらましをし、美子パワーをすり抜けて、1人がホームゴールを決めた。10時15分リミット。この時点で、負けが決定。萩原、高嵜さんの二人が先に上がったことが最大の敗因だった。反省。
2回戦は11時15分リミットでスタート。横田、ミセス松田を円滑に移動させるために周囲をガードし、攻撃する役回りを僕が引き受けたのだが、自分自身が2ホール目の上がりに時間がかかり過ぎ、権利玉の数が時間内に増えないのだ。敵は好調な中島を中心に、巧妙な連係プレイで4ホールへの上がりが早くなった。僕がドボンされ、救出にきた松田キャプテンまでもがドボンして自滅。この時点で劣勢は覆らず、連敗で終わった。反省しきり。
昼食後、12時30分。船は、投錨して、上下船規制のため、潮待ちとなった。
デッキゴルフの打ち上げ会は16時30分、リドテラス右舷テーブル。現在、にっぽん丸以外の船では楽しめないゲームであるため、航海中の時間を目一杯楽しもうという人たちが自然に熱くなる。絆も強くなる。ホールインを出した者が、拍手された分、ワイン代を寄付をする。名付けて、「ホールイン・ワイン」である。
最初は、ビールから始まり、持ち寄ったり、買ったりしたおつまみで、粛々と始まったが、「え?、ワイン開けてないのお?」の菅井さんが拗ねるまで、誰も気がつかずに忘れていた。美子さん、ワインオープナーに悪戦苦闘する。あらためて、乾杯をする。
待ってましたとばかりにワンボトルが空いてしまった。2本目を開ける。まだ何本もあるから、イケイケの空気だ。スタッフの黒川君、田実君、蘇君が加わった。彼らは、勤務時間中なので、ソフトドリンクしか口に出来ない。
ここで、考えてきた各自のニックネームを発表した。何度も、笑いをもらう。喜んで当人から承認を貰った。
披露すると、(俺についてこい、嵐を呼ぶ男を自称する)「ユウジロー山縣」に、(夢の中でもイメージ・トレーニングしているという)「ユメレン横田」、(いつも笑顔の絶えない)「ニッカリット高橋」、(ホールインワン命中率を誇る)「ストレート菅谷」、(カンペールの高級サンダルを履く)「サンダルキック菅井」、(見逃す振りをして殺す)「オートボケール高嵜」、(短いパットの上手い)「ナイスチョット松田」、(ゲートボール審判員資格者の爺や)「ジャッジジー中島」、(既に03年分の試合を消化したので)「バテミス萩原」、(長い距離を刺す)「ロングシューター松田」にタクナウのギタリスト、「ゲンキ・ゴンチャン」。以上が下船までの仮の名前である。エピソードを盛り込んで、再考する場合があることを伝えておいた。06年度の船友は絆の強いメンバーとなった。
場は益々熱くなり、笑い声も高まった。あの冷静な松田さんの喜び方は尋常でない。身体を泳がして笑っていた。いくら騒いだとしても、隣のプールサイドもフィットネス・コーナーにも船客はいないので、お構いなしだった。飲まない菅谷さんと松田さんに、コメントをと振ったのだが、美子さんが話し出した。
ワールドサッカー観戦涼子の話だった。プレミアムものの「クロアチア戦のチケット」を持って飛んだというので、かなりのサッカー狂だと思って聴いていたが、彼女に口から出たのは、
「私、サッカーってどんなスポーツか、全然知らなかったのよお」
聴いたみんなは、どっと体を崩した。もし、熱狂的なサッカーファンがいたら、どうなっただろうか。
バケツに山盛りの缶ビールも飲み干してしまった。酔いも回ってきて、支離滅裂になりかけた。後日、これまでの戦績表をエクセルで提示することにして、お開きとなった。繰越金は1万円強を残す。
次回は、ホールイン・ワインが10本目に到達次第直ちに、夕食を懇談会に変えることにした。果たして、あと9本は誰と誰が達成できるのだろうか。おそらく、キール運河通行の夜だと予測しておく。
夕食は、ほろ酔い気分だったので、奥座敷の席でひっそり座ることにした。妻と一緒に白ワインを飲んだ。差し出されたステーキは見た目にも食欲を誘うのだが、フォークを持ったままで、口に運ぶ気がしない。打ち上げ会で、アルコール腹になってしまったようだ。どなたも同席していないのを幸いに、食事を取らず、エスプレッソを飲んで、すぐに席を立って部屋に帰った。
夕方のワインが効いたせいか、無性に眠い。時間は丁度、メインショーの最中。パジャマに着替え、中継画面を部屋のテレビで見終わる頃には意識を失っていた。
左大腿部内側が攣ったことで、目覚める。ドライヤーを探す。熱風を当てて、バンテリンを擦り込む。3時間は眠ったことになろうか。
明日は、ブルージュまで足を延ばしたい。アントワープからブルージュまでの下調べをすることにした。
「アントワープ」は日本語地名で、現地では、「アントウエルペン」と発音しないと通じないかも知れない。「ブルージュ」もフランス読みで、地図上はオランダ語の「ブルッヘ」も頭に入れておかないと。「オランダ」という国名さえ、現地では「ネーデルランド」だ。ガイドブックでは、アントウエルペ駅からブルッヘ駅までは1時間と書いてあるが、船内で得た地図には、困ったことに、鉄道路線が記入されていない。着岸港からアントウエルペン駅まで歩く距離は、目測で約2km。ゲント駅で乗り換えなのかどうか、駅員に訊こう。列車の時刻表ってあるのだろうか。
寝ていた妻に、明日の行動はどうするのかを訊く。アントウエルペン周辺を独りで歩くわという答え。
24時、船が静かに走り出した。川を遡り始めたのだ。ブルッヘは、右舷側の方向で近い距離なのだが、船はアントウエルペに向かってしまう。だから、明日は、列車で戻ることになる。アントウエルペには、明け方の5時入港する予定だ。
部屋が寒い。足下が冷える。さあ、もう一眠りだ。
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