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2010年7月 1日 (木)

2007.05.20 モン・サン・ミッシェル

朝、6時のモーニングコールが2回来た。機械的な声ではない。生の声である。60名に電話するのだからツアースタッフも大変だ。

0階の食堂に降りていく。高い天井のレストランは、気持ちがいい。しかし、ダノン・ヨーグルトの国なのに、それはなかった。その商品の日本発売は、僕が担当した。新鮮な野菜をと見回したが、サラダもない。パンとスクランブルエッグ、スクイズされたフレッシュ・ジュースとコーヒーしか取れない。やはり、それだけの予算を組んでいないことを察する。

早々に部屋に戻ってディバッグを背負う。入り組んだ廊下のため、部屋に戻れない人や鍵を開けられない人が焦っていた。アテンドする。

正面玄関に出ると、地面が濡れていた。清水チカちゃんによると、12時近くに雨が降ったらしい。早くに眠ったんですねと返された。

 

バスはモン・サン・ミッシェルへと走りだした。ところが、しばらくすると、窓に激しい雨が叩きつけてきた。みな不安顔になる。

ガイドの後藤さんが解説する。この辺りは天気の変わりやすい地域で、1日に四季があると言っても不思議ではないのですと。一日に四季があるとは、3年前にセント・アンドリューズで聞かされた言葉と同じだった。モン・サン・ミッシェルの土地の天候は崩れにくい処ですからと、慰められる。

 

窓に容赦なく雨粒がはじける。車内は科目なってしまった。トイレ休憩で停車したのを挟んで、3時間、畑の向こうに、忽然と不思議な山が見え始めた。

Dscf1843 山に見えたのは、モン・サン・ミッシェルの城のシルエットである。

モン・サン・ミッシェルの広大な干潟は、湾を含めて世界遺産となっている。

 

おいでおいでと手招きするように、その山は、徐々に徐々に大きくなってきた。

幻のような、異様な光景であることは間違いない。蜃気楼の向こうに浮かんだアニメの世界の大きな張りぼてのようでもある。モンサン・ミッシェルは、かつて潮の満ち引き差が15メートルもあった。英国にも小島に立つ城があるそうだが、日本の厳島神社のあ廿日市市とは姉妹都市なのだそうだ。

Dscf1861 現実に引き戻すのは、人工的な橋である。ヨーロッパの江ノ島や蒲郡の竹島である。巡礼者が潮に呑まれて命を落としたことから、血続きで渡れるように道路が出来たのが、1877年頃だったという。約1000メートル、この橋を走って、城の下にバスが停車した。橋とは言えない堤防である。半島化してしまっているのが現実である。タンゴといわれる泥砂が30万トン堆積してしまって、潮の流れを壊してしまっている。このため、国家プロジェクトで、昔の島の状態に戻そうとしているという。堤防を橋桁にして、潮流を止めない方策も考えているとか。

 

城壁の旗がバタバタと音を立てている。雨は止んだが、強い風は残っていた。

 

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門を入ると、砲台と砲弾が置かれて あった。 緩やかな坂道を歩くと、左手にかの有名な伝説的なオムレツ屋があった。メニューは30ユーローとある。

イタリアと同じで、狭い参道の両脇には、昔ながらの職人店や土産店が軒を連ねる。一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと巡礼の気分で石畳を上る。

 

 

Dscf1871 Dscf1870 最上階には、修道僧が歩きながら瞑想にひたるというアルハンブラを思い出させる回廊があった。なるほど、周りを取り巻く円柱は修道士の歩くリズムに合わせた間隔で立っているのだそうだ。天井は木製の船底をデザインしている。そして、中庭は、「エデンの園」を喩えているという。「天空の神の国」である。

モン・サン・ミッシェルは、中世の研究センターだったとも言われる。数学、天文学を修道僧は学び、この回廊の中央は、薬草園として、予防医学の研究も行われていたようだ。そして、巡礼者の治療に当たっていたと伝えられる。回廊の周囲には、バラのモチーフにした彫刻が彫り巡らされており、かつては、真っ赤に塗られていたというが、いまは、色褪せているというより、既に年月を経て、白くなってしまっている。14世紀のころ、バラは、罪を知らないマリア様の純潔を表しているのだと言われている。その後、象徴は、白百合に変わっていった。

 

Dscf1874 大天使ミカエルが、夢を信じない聖オベールの額に印をつけるレリーフは、この城を訪れる者たちを釘付けにしている。フラッシュがひっきりなしに瞬く。

フランスの西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶこの小島に大天使ミカエルが

町の司教だったオベールの夢に大天使ミカエルが現れ、「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じた。ただの夢だと思っていたオベール司教に業を煮やしたミカエルがオベールの頭に指を突いて告げた。翌朝、オベールの頭に穴を開けて、その要請が夢ではなかったと悟らせた。「天から露が降りた場所を乾かして、そこに建てよ」と言った。その場所は、ケルト人が「トンブ山」と呼んでいた岩山だったが、島の頂上に小さな礼拝堂を建てた。それまで陸続きだった岩山は、一夜にして海に囲まれる孤島と化した。そして修道院を造り、その回りを増築し続けて、やがて麓に街を造った。こうして、デコレーションケーキのような姿が出来上がったのだ。

Dscf1887 Dscf1877 Dscf1878 増築に増築を重ねた城であるから、ロマネスク様式からゴシック様式へ改修した

時代毎の特徴ある柱、梁のアラカルトが見られる。岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた痕跡は、深層部に発見されているという。

門の片隅にあった砲台と弾は、英仏戦争の砦になった証しだが、歴史に翻弄されたモン・サン・ミッシェルは、フランス革命後の18世紀には、四方を海に囲われていることから、監獄島にもなった。ナポレオン3世の勅命で閉鎖されるまでに、囚人は1万人以上が幽閉され、「海のバス ティーユ」と言われる時代があったのだ。

再び修道院として再開されたのは、修道院創設1千年記念にあたる1966年ので、13年後の1979年にユネスコの世界遺産に登録された。03年の世界一周クルーズで立ち寄れなかった妻の切望した場所である。

 

Dscf1873 Dscf1872 食堂は天井が高く、その天井は、やはり船底のように、中央で高くなっていた。天上の丸底は、ノルマンディー地方に上陸したバイキングの船底技術を用いたもの。ここが、あの旧約聖書にある「ノアの箱船」の大きさを現しているといわれる。隅には当時の煮炊きをした釜戸跡があった。

この「ノアの箱船」で思い出されるのは、平和のシンボルとされている鳩とオリーブのことだ。国連旗もオリーブで地球を囲んでいる。宮崎先生の本からの受け売りだが、ノアの箱船こそ、鳩とオリーブを生んだと一般的には思われているが、実はこうだ。

 ・・・人類の罪を怒り洪水を引き起こした神も、箱船に乗せたノアと動物たちに気遣い、信心深いノアたちのために、やがて天から降らせていた雨を止めた。台地が乾き始めたとき、ノアが空に放った鳥は、最初はカラスだったという。それから1週間後に飛ばした鳩が、低地に育つオリーブの葉をくちばしにくわえて帰ってきた。ノアは、水が引いたことを察知したというもの。・・・・・・・

この物語の原型は、シュメール人の洪水説話「ギルガメッシュ叙事詩」によるもので、オオガラスが鳩の役であったそうだ。カラスは死肉を食べるので、ユダヤ人は忌み嫌い、鳩に入れ替えたのだという。日本の誇る煙草「ピース」も、カラスだったら果たして世界的なデザイナーのアイディアだからといって、お役人は採用しただろうか。信心深い「ノア」の話をふと思い出した。

 

Dscf1886 Dscf1924 Dscf1881 一番興味深かったのは、古代のエレベーターだった。城から城下へ、斜めの石垣に滑り降ろす橇があり、それを大きな滑車が人力で引っ張り上げられる仕組みが考えられてあった。まさに大車輪であった。これは、囚人たちの労力によって、彼らの食料を下から引き揚げていたという。計算によれば、2トンの能力があったとされている。修道院から戦乱の砦となった時代には、武器を運んだのだろうか。

 

礼拝堂の横にある大テラスに、観光客が出て、ノルマンディーの海岸を見晴らしている。風が強いので、人の入れ替わりが激しい。

Dscf1896 Dscf1917 ここから、撮ったのかどうか忘れたが、遥か沖合いに、もうひとつの島が霞んでいた。モンサン・ミッシェルとは、ミカエルの山という意味だが、三山あったと言われる内のひと山は、海中に没したという伝説がある。今でこそ、この城の上空からの景色を見て感嘆するが、当時の巡礼者たちには、想像も出来ない光景だっただろう。

 

 

モン・サン・ミッシェルは、夜になるとライトアップされるようだ。海の浮かぶ幻の城としては、フォトジェニックであるに違いない。七つのホテルがあると聞かされたが、余り目に付かなかった。冬には、周囲が雪で覆われるそうだ。こうなると、もう、額縁を持ってきて眺めるしかない。干潟の先には、草を食べている羊の群れがよく見られるが、この草は、満潮時海水に没しても生育する草で、羊の飼育には、最適だという。こちらでは、その羊肉を「プレサレ」と称しているとか。

 

Dscf1895 尖塔に立つDscf1893Dscf1892聖ミカエルの像が内部に安置されてあった。帰りがけに、望遠レンズに聖ミカエル像を捉えておいた。

 


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参道の土産店でシールドを買うつもりだったが、湯人、家族のためにはクッキーだわと、妻に押し切られた。「プーラおばさんのクッキー」だった。

 

 

モン・サン・ミッシェルを後にしたバスは、近くのレストランで昼食を取るために停まった。ここでは、食べ損なったという不満顔の我々に、オムレツを食させてくれた。テラスの向こうには、堂々としたモンサン・ミッシェルの姿が眺められるのが売り物のレストランだった。

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