060519 セーヌ川~ルーアン
先回も寄港したル・アーブルの沖で投錨した。浅瀬であるために満潮時を待ちながら、運行許諾を得るという時間があるためだった。
八点鍾『天候 : 天気:曇り 気温:15.0度 海水温:17.6度 南西の風 8メートル
朝8時過ぎにパイロットが乗船し、ルーアン港に向けセーヌ川を航行中です。雨が降ったり、止んだり晴れ間がのぞいたり、と変化の激しい天気です』
セーヌ河口からルーアンに遡るのは、約80海里(148km)だという。東京港から日光辺りまでの距離を大型船が航行するのだ。船体の底は2mと聞いた。このセーヌ川の源は東南フランスのラングル高原で、ドーバー海峡に流れ込むまでの川の長さは776kmというから、日本の信濃川の約2倍になる。3年前は、このル・アーブルから、北の海岸線にある断崖、エトルタ海岸へバスツアーに出た。今回客船での川上りは、ミシシッピー以来である。パイロットを乗せて、ゆっくり、ゆるやかに航行する。都電や市電の速度である。これからルーアンまで8時間だそうだ。
デッキゴルフを開始する時間に、雨が降り出してきた。ショットの練習を試みた。水たまりは玉を滑らせて距離が稼げるが、濡れた綿と乾いた面が交互に入り交じるラインでは、急停止をしてしまうので予測が出来ない。苦戦が予想される。高嵜さんと話して一旦様子見、待機となった。
最初の橋が見えてきた。オンフルールへ向かうバスで渡ったお馴染みの橋だ。世界一を明石海峡大橋に譲った、ノルマンディ橋である。
時間が空いたので、今航海初めて、ライブラリーにPCを持ち込んだ。打ち込みを始めた直後に、そろそろ再開するそうですよ、とミセス高嵜が伝えに来てくださった。PCを部屋に戻し、キャップを被って、後部甲板に急いだ。
徐々に仲間が集まってきた。床は相当に溜まり水があるが、再開決定。甲板部のスタッフが応援してくれて、雨水をスイープしてくれた。6人でスタートして、途中、横田さん、高橋さんが参加する頃には、ゲームは熱くなっていった。床面の滑りをコントロールできた者がゲーム展開を有利にし、結局は権利玉の多かった白組が勝ちとなった。
川岸からは、小学校の先生と子供たちが並んで手を振ってくれる。庭先から窓から、年配のご夫妻がやはり手を振って見送ってくれる。腕に力を込めて振ってくれれば振ってくれるほど、感激度が増して胸が熱くなるのはなぜだろうか。黙視している距離感が縮まる。目がズームしていく。プロムナードデッキから、岸に呼びかけている大声が聞こえる。誰かも興奮しているのだと感じた。
昼食で2階の瑞穂に入る時間、入口でパスポートの返却があった。
昼食を食べ終えて、しばらく部屋で休んでいると、今度は、ミセス工藤から、後部デッキ召集の電話が入った。松田、高嵜両氏は待っていると。高橋さんも呼び出されていた。白組は、高橋、工藤、松田、萩原。赤組は、山縣、菅井、ゴン、高嵜という8名の組み合わせとなった。
一進一退の攻防が激しかった。最後は、あたかも詰め将棋のような展開で、ゴンチャンの1手ミスが、松田キャプテンの上がりを誘った。白の全員上がりで終わる。赤は、山縣、ゴンの二人が残塁?となった。面白い、いいゲームだった。
船は、途中、イルズとかいうビクトル・ユーゴの生まれ故郷を通過した。ゲーム待ちの間にセーヌ川を、筏のように船体の長い運搬船が日産車をルーフに積んで下っていった。バージというものだそうだ。川は、鉄路よりも振動が少ないから車を傷つける恐れがないのだろう、また運送費用も安価に済みそうだ。幅広いセーヌ川は、運送に適した川、まさに「運河」なのだ。
日の丸を船尾に翻したにっぽん丸が、満載の日本車を見送ったのだ。この光景を撮っておこうとカメラを取りに動こうとしたら、打順が来てしまった。やはりカメラを背中に掛けておくべきだった。
デッキゴルフは3時にアップした。部屋に戻って、モン・サン・ミッシェルへ出掛ける準備にとりかかる。
16時30分、パスポートと「乗船客身分証明書」を持ち、下船する。ツアーバスは2台。総勢60名の「世界遺産、モン・サン・ミッシェル1泊2日ツアー」がスタートした。ツアースタッフは、清水智香子さん、平山美和さん、伊藤さんの3名で、8号車の現地ガイドは後藤さん。一路、ドーヴィルに向けて86kmの行程である。
シャトルバスで自由行動をする山縣夫妻は、今日はどんな楽しみ方をするのだろうか、何を撮るのだろうか。高嵜さんは、鉄道でモネの庭園に出向くと言って、シャトルバスの列に並んでいた。
寄港地のルーアンは、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた街である。ビクトル・ユーゴは「100の鐘楼の街」と書いたらしいが、モネも此処のノートルダム大聖堂を描いた。現在は中心部に10万人、その郊外に20万人。東部ノルマンディマルチーム県の中心的な都市である。
ノルマンディというのは、ノースマンが創った国である。バイキングの首領・ロロに公爵位を与えて、フランスが和合を計った土地である。と、3年前、宮崎先生の解説で知った。
バスは、と言えば、快調に飛ばしていたが、天候の先行きは怪しい。
雲は黒く濁ってきている。動きが速い。やがて、風が出てきた。
しばらくすると、風雨が激しくなってきた。車窓に当たる音が大きくなってきた。ドライバーのウインドーは前を走る車が消えてしまうほど、雨が叩きつけている。
ドーバーの街には、夕方着いた。ヨットハーバーから、カジノの建物を左折して、「ノルマンディー・バリエール」の裏手に出た。右横にはバリエールのカジノが地下で繋がっている(03年次の世界一周クルーズ本には、水着で砂浜に出られる地下道があると書いたが、聞き違いミスだった)。右手には整備された砂浜が広がっている。人はいないが、未だ明るい。強い風に煽られて砂が顔に当たる。目を閉じると帽子が飛ばされている。
ハワイのようなレンタルパラソルやベンチではない。カラフルな箱形のチェアが、ミニチュアの置物のように白い砂浜に整然と並べられてある。絵のようだ。
カメラを手にして砂浜の中央まで走る。撮るだけで急いで戻った。バスが発車する時間になったのだ。
途中、着替えのコテージにそのスターの名前が書かれてあったので、パチリ。ここは、毎年、映画祭が行われる。トニーカーティスや、エリザベス・テーラーなどが来たら専用になったのであろうか。北のカンヌとも言われるドーヴィルは、米国映画祭はある。ハリウッド・スターが訪れるために、その時期、この辺りのホテルは、どこも予約するのが大変だと聞いた。
栃木のジュン・クラシック・ゴルフクラブに同じスタイルがある。トーナメントプロが泊まる専用部屋がある。コテージは、チューダースタイルの木組みだ。都心から遠隔地でありながら、様々な工夫を凝らし、ゴルフの楽しみを与えてくれるコースだからと、1年前の予約でなければ、なかなかプレイの出来ない人気名門ゴルフ場である。また、そのプレイヤーズのネームプレートの部屋に泊まるのも楽しみのひとつになっている。
おそらく、この海浜コテージもそうした類の楽しみを創っているのではないか。さらに、~タバタバタ~タバタバタ~で、お馴染みのフランシス・レイ監督「男と女」で車を走らせた砂浜でもある。砂と海があるだけで有名になってしまうのは、我が国のNHKドラマで、一気に観光名所になってしまうようなもの。そう、ヨン様の歩いたポプラ並木だってそうだ。その気になれば、どの路地でも自分がドラマの主役になりきれる。開発投資のかからない観光地が出来上がるのだ。
ツアースタッフは、「ノルマンディー・バリエール」ホテルで下車した。60名の部屋割り作業の準備だ。その間、バスはドーヴィルの街を周回してくれた。少し奥に、競馬場がある。ここは、馬の養育でも有名だ。かつて、カネボウ化粧品のCM撮影のロケハンで、ここまで足を伸ばしたが、本格的な競馬場としての施設は、パリに戻る位置にあるロンシャンのほうが絵になった。
ドーヴィルに集まったブランド・ショップは、パリから列車で2時間、買い物には実に効率的な場所であるという。しかも、行列を創る騒がしい日本人もいない。実は、此処の客筋に合わせて、商品のバリエーションもパリより多いのだと、密かに教えてくれたガイドの大宮さんの顔を思い出した。奥方連からは、小さな歓声が上がったが、亭主たちは都合のいいことに、こうしてバスで走り回ってくれている間に、その店が徐々に閉店していくのが確認できた。男共は、眼で相図しながら、それを指差してにやついている。
バスが停まった。ホテル前広場の木々が3年の間に大きくなっていた。まさか、もう一度訪れるとは思ってもいなかった。そして、超高級なこのホテルに自分たちが泊まるとも思っていなかった。お茶だけでも、と入った人が、朝食の値段を知って驚いたというホテルである。
チェックインをし、部屋に入ると、広いとは言い難いが、気持ちの落ち着く壁やベッドカバーの配色だ。バスローブは重すぎるほどに厚手だ。風呂上がりの身体の水分を充分受け止め、しかも、身体を冷やさないのだろうと思った。見るからに年代物と思わせる什器類だ。そこに、ホテルに必要な設備であるTV受像機を入れ込むサイズ選択に苦労が見える。100年以上の時代の重さと最先端のプラズマサイズの軽さと、どうマッチングさせていくのだろうか。
夕食の1階、いや0階に向かう。どれほどの食事が出るのだろうかと、楽しみにしたが、フルコースではなかった。どうやらシニアの日本人向けに、簡略化したオーダーをしたようだ。正直なところ、物足りなかった。いやいや、予算的に省いたのだろう。此処に泊まらせることが主目的だとしたら、致し方ない。確かに、スープは美味しかったと書いておこう。離れた他の客のテーブルとは、およそ異なっていたことは判った。
食後もまだ、陽は明るかった。二人で3年前に歩いた道を歩こうと外に出た。ブティックの並んだ通りは、既に閉まっている。カフェでアルコールを飲んではしゃいでいるのは、どう見ても観光客ではない、地元の人たち。
人通りのない場所に来ると、やはり寒くなった。噴水のある広場を通り過ぎ、「マーケット」に突き当たった。昼の賑わいを想像しながらヨットハーバーまで足を伸ばしていた。二人だけで、誰もいない異国の夜道を歩いたなんてことは、何年ぶりだろう。
ちょっとロマンティックな気分を持ち帰ってきたのだが、身体を温めようとバスタブに浸かった妻は、戻ってきてから無口だった。デスクでメモをし終わって振り返ると、妻はベッドの上で眠りこけていた。あの重い厚手のバスローブを着たままだった。よほど疲れが溜まっているのだろう。
モン・サン・ミッシェルに行きたいと言ったのは彼女だから、中途半端に起こさずに、そのまま眠らせた。
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