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2009年7月 3日 (金)

060518 イギリス海峡


八点鍾が鳴った。キャプテンアナウンスが天井のスピーカーからから流れた。


にっぽん丸はビスケー湾を通過して、フランスのブルターニュ半島の角を回り込み、イギリス海峡に入ってきました。
 波がやや高いですが、思ったほど船体が動揺していないのは、追い波・追い風に助けられているからです。もし、逆方向に走っていたら大きく揺れていたでしょう。波が高い理由は、北大西洋にある低気圧が980hPaに発達して、アイルランドの方向に向かっているからです。それに伴って、南西方向からイギリ ス海峡に向かって強風が吹き込んでいます。スコットランド地方などイギリス北部のお天気は大荒れとなっていることでしょう。追い波だとはいえ、船が揺れることもあるのでご注意ください。

ただ、西側にある高気圧が東に進んでいますので、今後にっぽん丸が行くフランス、ベルギー、ドイツでは好天に恵まれることを期待しています。


  本日はノルマンディーのあるコタンタン半島を回り込んで、セーヌ湾に入り、ルアーブル沖に22時頃に到着、セーヌ川を上るために待機します。夜は錨を入れる音が響きますのでご了承ください。そして明朝、08時頃、水先案内人を乗せてセーヌ川を約80海里(148km)上り、ルーアンに向かいます。
 アントワープ、グリニッジでも川を上ってゆきます。ヨーロッパ経済の発達は、川を利用した水運に支えられてきたといっても過言ではないでしょう

 

今朝は気温14℃、海水温11℃と、さすがに北に上がってきた。3mの追い風で船足は快調だが、もし、この風向きが反対だったらドッタンバッタンだろうと、幸いなことに揺れのない航行を伝えたが、まだ今航海の船客には大きな揺れの免疫が出来ていないことが気がかりのようだ。たしかに、今回は大西洋に出たのに歩けないほどの揺れは来ていない。ただ、風向きがいつ変わるかで、揺れには心して欲しいということだった。

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朝食は830分ぎりぎりに入った。食べ終わりかけた頃に一龍齋貞心さんが僕のテーブルに座った。ご贔屓の方が大勢さん、声をおかけでしょうから、ネプチューンバーにお誘いするのはもう少し経ってからと思っていましたと言うと、私は飲めないのですと、意外な答えが返ってきた。ならば、食事をいつかと言い添えて席を立った、

急いでデッキゴルフの準備をしなければ、仲間を待たせてしまう。バンテリンを肩と腰に塗って、デッキゴルフに向かった。


白組でスタートしたが、誰が味方か判らないまま、順番に促されて玉を打ち出した。出出しのバタバタは昨日と同じだった。

追い風だから、後部デッキは寒い。プレイの途中で打ち終わるやいなや、慌てて着替えに帰る者、トイレに走る者が出る。風に煽られ、足元をふらつかせながらのデッキは、なかなか予断を許さない。静止している玉を微妙な角度で打ち分けようとするベテランには、この揺れが実に面白い。ビリヤードにもゴルフにもない、ハプニングが起きるからだ。ゲーム展開が戦術通りにはいかない。赤と白が右舷左舷で分かれるほど、差がついてしまった。赤の松田キャプテン組に、時間切れで負けた。痛みのあった喉は、診療室から貰ったうがい薬と抗菌トローチで効いたようだ。

2回戦も時間制限で開始。同じく白組になったが、1番ホールで敵に徹底的にマークされて何度も弾き出され、目玉(敵に2回連続してフレームアウトされた場合、3回目は攻撃されないという救済処置)を数回繰り返したが、動けないまま、長い時間足止めされた。大きく出遅れた。ベテラン工藤さん、高嵜さんもミスが出てしまう。更に僕のミスが続く。ミセス松田、山縣さんの二人をカバーする役も果たせない。完全に劣勢に立たされた。最後、敵は松田さんだけが残ったが、やはり、昨日のように、ホームゴールへのぴたりと入るナイスショットで、赤組は全員フィニッシュ。

休み明けから、僕のデッキゴルフは連敗が続いた。冷え切った体を展望風呂に飛び込んで温めたいが、未だ開いてはいない時間だ。


 

昼食は、初対面になる年配のご夫妻と一緒になった。後から東夫妻が同じテーブルに座った。東さんは、既にMOPASから委託されたカメラマンであることが知れ渡っている。当然だが、話題は「東康夫の航海日誌ブログ」となった。日本国内に発信したブログがライブラリーでプリント公開され始めたからだ。

「既に地中海の先のマラガを離れても、まだアジアのシンガポールまでしか読めないのは、どうしてなんですかねえ」と質問される。東さんは困っていた。


次には、「航海する楽しさを伝えてくださっているのに、先生が日本からの書き込みメールにいちいちお返事書くのも大変ですねえ、東先生との交換日記と勘違いされて(笑)」と同情されてしまった。確かに、この奥様の言われるのも尤もだ。日本の留守家族からの書き込みという新しい試みは、飛鳥には未だないのだ。ブログのメールに返信することまでが、カメラマン東さんの役目だとは思ってもいなかったことだろう。たとえ、彼が、元報道記者であろうと、ウエブマスターではない。

今回乗船を受諾した折りに、東さんは3年前とは違うモチーフを思案していた。そして、観光寄港地よりも、乗船客の喜怒哀楽を伝えようかなと僕は電話で聞かされていた。


これまで東さんのワールドクルーズやオセアニアクルーズ航海日誌では、彼の卓越した船舶知識や取材体験を以て、寄港地を含めた船の旅を教えられてきたが、実際には、3階の東ギャラリーの写真に特定の船客の顔が被写体として写ってくると、それに対して喜ぶ人、すねる人、嫉妬する人、媚びる人が出ていたらしい。このために、東さんは、群像やシルエットで撮るという東さんらしい気遣いがあった。それを今回は、楽しい、嬉しい、笑い合う、驚き合う船客の表情をモチーフにしてもいいのかなと、話してくれていた。

 

ところが、どうやら思わぬことで東さんの頭を悩ませたようだ。ウエブにアップさせる写真の枚数がこれまでのようには使えない、原稿の文字数も限られたらしい。

「写真が小さくて枚数が少ないので、前ほど船の様子がわからないと娘たちから携帯メールがありましたわ」と、同じテーブルになったご婦人の言葉は、口を結んだ東さんを頷かせた。

枚数が少なければ、船客の顔出しにも限りがある。乗船前に狙っていた、船客の喜怒哀楽を伝えたいという狙いは、寄港地でのディスティネーションも載せるとなると、ますます余裕がない。航海日記は、まだ体験者の少ないクルーズの楽しさを、留守家族だけではなく、潜在乗船意欲層に伝えたいという意図を持たせているものだと考えたい。

そうなのに、現実は、留守家族やMOPASファンから寄せられたメール交換にも、毎回東さんが応えるという予期しない作業が増えてしまったようだ。


QⅡの乗船体験もあるし、ヨットで太平洋横断クルーズもされたので、クルーズに関する知識は余人を持って代え難い方だが、写真を撮って原稿を書くほかに、船客の家族に責任あるコメントを書くという作業は、余計な心労を増やしているのではないかと思い始めた。それよりも、ご年配の奥様とのやりとりを聴いていると、船旅の様子を心おきなく伝える環境を以前のように創ってあげてほしいものだ。そう思った。

 

話はそれで終わらなかった。さらに、驚くことに、なぜか、ドルフィンホールで催されているメインショーのステージにカメラを向けられなくなったという。オーディエンスの方々にとって、東さんのシャッター音が耳障りだということがその理由らしい。「耳障り」ということ自体が、誠に以て失礼な言い方ではないか。しかも、MOPAS側から委託を受けて、船内のイベントを紹介すること、いや、記録として残す「職務」を遂行しているのだ。長野オリンピックの時の新聞社の報道担当者でもあった。シャッター音が、アスリートの選手に与える影響など、充分過ぎるほどに把握している人である。「耳障り」という言葉がよく口を突いて出たものである。たとえ、フラッシュが不用意に光ることがあったとしても、こうしたホールでは、プロの露光計算は船客の比ではない。高感度で被写体を捉えるだけではなく、PCで色調整まで毎晩されているのだ。心ない船客のクレームだとしたら、恥ずかしい限りだ。物腰の柔らかい東さんは、怒り心頭を抑えて、淡々とこのことを吐露された。しかし、僕の目には、東さんの顔に皺が増えたような気がする。

 

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午後から、波は穏やかになってきた。地下のシアターで映写される映画「ジャンヌ・ダルク」は、既に朝のデッキゴルフの時間で終わっていた。16時からの映画「ルマン」を観ようとしたが、ベッドで横になっているほうを選んだ。ルーアンからモンサンミッシェルへのツアーを控えているからだ。妻は、町子さんの「アートクラフト」教室にせっせと通っている。考えてみると、デッキゴルフ以外、ホントに食事とPCと昼寝という毎日になっている。

夕食前に、高嵜さんの部屋を訪ねた。デッキゴルフのメンバーと7階のリドデッキで集まる「ホールインワインの会」について話した。これまでに“ホールイン”を成功させた提供メンバーのワインは、少なくとも13本ある。1回の親睦会で飲み切るには、多すぎる。達成した回数の記録はリスペクトしながらも、その換算価格は、船内価格の10%支払いでいいことにしようや、という案が高嵜さんから出た。賛成した。翌朝、顔を揃えたメンバーの前で諮ろうということにした。

 

Dscf3571 今晩は、「地酒の夕べ」だ。日本各地の銘酒が17種類ほど並べられるだろう。飲みたい酒の番号をウエイターに伝えると、デキャンターに入れてきて、注いでくれる。先回は、これで、デッキゴルフの仲間が一人酔いつぶれてしまった。日本酒好きには、制動の効かない夜になるのだ。下戸の者には、突然テーブルの向こうから湧き上がる笑い声が、対岸の花火のように思える日である。

 

一龍齋貞心さんと夕食を一緒にしたいと電話した。意外にもお酒を飲まない人なのだ。

貞心さんとは、東京の黒門町「本牧亭」や日本橋の「日本橋亭」、また浅草軽演劇などに出演しているのを知っては出掛けて交流を重ねてきた。

今晩いろいろな話の中から、えっと驚くニュースがあった。落語発祥の地、下谷神社の話から、近くの谷中の全生庵で行われる811日の「圓朝忌」の怪談話になり、圓弥さんの名前を出した途端、「先日お亡くなりになりましたよね、圓弥さんねえ…」「えっ」と妻。「私より若いんですよね、彼は…」圓弥さんは、妻と同じ藤間流の踊りの弟子仲間であった。先月、にっぽん丸が出港してしばらく後に、他界したというではないか。

妻は、しばらく言葉を失った。

貞心さんが気遣って、話を変えた。お風呂と湯屋の違いから始まり、ふろふき大根の意味を教えてくれたり、講釈師の席には、昔、刀置きがあったという話に聞き入ったりと、彼の個人的卓話ですっかり、妻の気持ちは元に戻った。辺りを見回すと、もう客は誰もいない時間だった。ロス・インディオス・タクナウ・ファミリーのラストコンサートを聴くために、ドルフィンホールに向かったのだ。

 

僕たちは、部屋のビデオ中継でそれを聴きながら、パソコンを打った。明日からのモンサン・ミッシェルツアーのための準備を始めた。バスでの移動時間が長いので、服用する薬から、「ラシックス錠」(利尿剤)を抜いた。

 

ナイトシアターでは、「嵐が丘」が始まる時間だ。船は、投錨したのではなかろうか。どうやら、セーヌ湾に着いたようだ。

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