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2009年6月

2009年6月 1日 (月)

060517 ビスケー湾沖

今朝は、時差の調整で針を30分進める日だ。腕時計とデジカメ二台の時間を直す。イルカの大群が窓から見えたと妻が言う。僕が起き上がった時には、居なかった。間に合わなかった。天井のスピーカーから流れる八点鐘を聞きながら、歯を磨く。

 

八点鍾にっぽん丸はゆったりと大西洋を北上しています。ポルトガル領域から外れ、再度スペインの領域に入ってきました。現在、スペインの北西端にある港町、ラコルニヤの沖50海里(93km)を航行中です。本船から一番近いスペインの海岸までは、30海里(56km)です。
ラコルニヤの起源は、ケルト人にあると言われています。地中海から大西洋を旅していると、大昔からのヨーロッパにおける様々な民族の推移を感じます。

 

今、イルカの群れが本船の前方を元気よくジャンプしました!

 いよいよイベリア半島を離れて、フランス領へと入り、ボルドーの町が奥に位置するビスケー湾を航行します。ビスケー湾は、昔から荒れる海で有名です。そのせいか、夏が近いとは言え、海が少し荒くなっています。冬の間は大時化になることも少なくありません。

 Img_1092 現在、本船の後方からやや強い風波を受けている理由は、北大西洋の北西に995hPaの低気圧があり、そこから温暖前線と寒冷前線が延びているからです。また、 気圧の谷ができて、低気圧に吹き込む風が南からのやや強い風波となっています。幸いに追い風なので、あまり動揺を感じません。ビスケー湾の荒れる海の 「夏版」を体験してください。ただこれ以上、海が荒れることはありませんのでご安心ください。
久しぶりの2日連続の終日航海日です。これまでの疲れを癒してください

 

朝食もレストランの一番奥のコーナーで黙々と口にする。体は、昨夜のバンテリンが効いているようで、デッキゴルフには支障がないように思える。

 

プロムナードデッキを歩いて行くとすれ違いで、寒いからと着替えに戻ってきた工藤さんと出遭う。後部デッキに出ると既にオールスタッフが集まっていた。菅谷さんが手招きしている。僕には赤組の番号順が与えられていた。誰が味方か判らない。急かされるままにスタートラインを打ち出した。唖然とした。敵陣は、高嵜、松田、工藤のベテラン組だった。それに、高橋、横田、ミセス松田の三人。赤組は菅谷、菅井、山縣、中島、萩原、黒川。


今朝の工藤さんは絶好調だった。第2ホールから第3ホール、そして第4ホールを敵無しの無風状態でスイスイと打ち続け、5番ホールにも1打目でワンパット圏内に付けた。僕はといえば、ロングの距離がさっぱり当てられず、たとえ当たったとしても敵玉を弾き出すほどの力もなく、自軍を助けることも出来なかった。

ゲーム展開で言えば、各ホールで赤白が混在しているのではなく、白パックと赤パックがそれぞれのホールで一色になっていた。ワンサイドゲームに近かった。白玉が権利玉(第5ホールを陥れた時点)となってゴールの周辺に集まったとき、1015分となった。時間切れで我々の負けが決まった。


P10300772回戦は、白組が横田、菅井、工藤、萩原、高嵜。赤組は山縣、松田夫妻、菅谷、中島となった。先攻の白が速攻をした。赤の中島さんが意外にも1ホールを苦戦した。白の横田さんは早くに自力で抜けだした。赤の山縣さんが、4ホール目で出し入れを繰り返していた。白組は、全員が権利玉になるのに、時間はかからなかった。

白は工藤さん、横田さん、菅井さんと三人がホールアウトをしてしまった。こうなると、我々白は、高嵜さんと僕の二人で、ゴールに接近してくる敵の赤組を応撃する位置に着いた。敵はミセス松田が上がった以外は4人が残塁している。


何度かの攻防戦を繰り返しているうちに、上がれという高嵜キャプテンから指令を受けた。高嵜キャプテン一人で4人を相手にするという。陽動作戦が取りにくいが成算有りだろうとみて、僕は上がった。その後、敵側の中島さんが上がり、1対3。


高嵜さんが勝負に出た。敵の松田キャプテンを場外に打ち出そうとした力強いショットが無残にもミス。悠々と松田キャプテンが打った玉がゴールの外円にぴたりと止まった。脱帽のナイス・ミドルショットだった。残っていた山縣さんへの格好の台を創った。これで、僕は2戦連続敗戦。休み明けを飾れなかった。


 

昼食は独りだけでいた高嵜さんのテーブルに案内された。奥様は酔ったのだと嘘ぶいておられたが、妻はランドリールームで廣子さんに会っている。そこへ、道子さんが来て、「高嵜さんって、独身?」となったから、高嵜さん、喜んでその気になって言う。「ああ、奥さんではないんだ。彼女とは、船内同居しているだけ」いつものように、とぼけている。街に出歩いているときは、他のご夫妻のように手を繋ぐほどの距離では歩いていない。さっさと先に歩いて、廣子さんがかなり遅れてついてくる。そのせいかと笑ったが、僕も同類だった。


P1000444 食事が終わって、また廣子さんに、妻はランドリールームで会ったという。本当にそうなら、体調が戻られているといいのだが。廣子さんは、卓球にかけては船内随一で、椅子を片付けたドルフィンホールで鋭いスマッシュを決めているほどで、船酔いにも負けない方だと思っている。船は、さきほどよりゆっくりと揺れ始めている。


食後の昼寝をして、1745分のモンサンミッシェル・ツアーの説明会に1階シアターに降りる。今回は、バス2台で60名の参加だそうだ。ツアースタッフは伊藤、平山さんと清水チカちゃんの3人。

 


レストラン瑞穂は1830分にドアが開く。ところが、気の早い人たちは、随分早くからエントランスに集まり、ドアに向って長い行列が出来る。どうもそうして並んで待つのは苦手だ。列が引いた頃合いで入りたいと、少々遅れ気味に出ていく。今晩のドレスコードはインフォマーシャル。ネクタイさえ締めていればいい。カジュアルジャケットを羽織っただけで出掛けた。階段を下りたところで、丁度、高嵜夫妻、松田夫妻、菅井夫妻と一緒になった。


平野マネージャーに8人席を頼むことにした。妻は、事前に高嵜さんから一緒のテーブルにと誘われていたようだった。休み明けの連敗を詫びる意味で、ワインボトル、白赤2本を頼んだ。赤のキャプテンと白のキャプテンが揃ったことだからだ。


和気藹々で話が高まった。食事も終わり、デザートも珈琲も飲み終わった。さて、チェックをしようにも、テーブルにワインの伝票が来ない。この様子を見ていたのだろうか、松田キャプテンが、「私の奢りにさせてもらいましたよ、連勝したのは今日が初めてだったので」。そう、声が飛んできた。詫びるつもりが、祝いのワインとなった。もっと、早くにそれに気付けばと、恐縮してお礼を言った。

 

食後のコース、メインショーには今晩は行かずに、体を休めることにした。体調を整えて、明日もデッキゴルフがしたいばかりに、だ。明日は風が強そうだ。ミスをしないように!と。

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