060515 ジブラルタル海峡
今朝は身体が重く感じる。点けっぱなしにしているテレビの航跡ナビを見ると、ジブラルタル海峡の通過を船客にみせるためだろうか、周囲が明るくなるまで、時間調整のために何度も航路が行きつ戻りつつ、していた様子が見て取れる。
3年前は、ヘラクレスの柱を巧く撮れなかったので、このまま起きて狙いたいとは思うが、なんとも身体が重い。身体を横にして眠る。
八点鍾『今朝、6時20分から7時30分にかけてジブラルタル海峡を通過し、地中海から大西洋に乗り込んできました。
現在位置は、ジブラルタル海峡の真ん中にあるタリファ島から西側へ14海里(26km)を航行しています。海峡通航を明るいうちにお見せしたかったのですが、あいにく日の出が7:時11分と遅く、雲も重くたれ下がっており、両岸をよく見ることができませんでした。
マラガを出港後、朝6時まで3時間半ほど、時間調整をしたのですが、ポルト入港時間に間に合わせるには、これが限界であったことをご了解願います。
スペインのカディス湾の東に、トラファルガー岬があります。1805年のトラファルガー沖海戦は、イギリス艦隊とフランス・スペインの連合艦隊が戦い、ネルソン提督率いるイギリス艦隊が勝利を収め、ナポレオンのイギリス本土侵攻計画を打ち砕きました。
ジブラルタルは、スペインからイギリス、オランダ連合軍に奪回されたイギリスの領地です。
このため、ジブラルタル港は英国軍の軍港となっています。モロッコ側のセウタという港町は、飛び地としてスペイン領となっています。
大西洋(Atlantic)の意味は、神話で「巨大」を意味するアトラスから取ったという説と、新大陸発見の夢をはせた大航海時代の「西の楽園」を意味するという説があります。
ポルト港が8時入港の為、ヨーロッパ大陸の西端、ロカ岬は、深夜の通過となってしまいます事もご了承ください。』
やはり、時間調整していたのだ。それはいいのだが、僕の体は、疲れが抜け切らない上に、室内の冷房にやられたようだ。喉が痛いし、下肢は今にも攣りそうだ。朝食に出掛ける気にはなれなかった。ドント・ディスターブの札をドアーキーにぶら下げた。
妻は、美容院に予約が入れてあったので、9時には出掛けた。僕は、デッキゴルフを休んだ。35戦連続出場が絶たれた。ニューヨークでは、あの松井も骨折したことだし、航海はまだまだ先が長い。1日くらいは、体を休めておこう。
9時過ぎにはトラファルガー岬を通過した。10時に、6階のラウンジ「海」で、スープ&ブレッドのサービスを受ける。美味しいと思ったスープはやはり、塩味を効かせてあったので、今後は避けたほうがいいなと思った。スコーンが出ていた。コーヒーよりも、オレンジジュースの朝にした。ヨーグルトまでは、さすがに出てなかった。ヨーグルトにいつも振りかけて服用している日本冬虫夏草は、このため飲み忘れてしまった。
1階の診療所へ降りた。1ヶ月毎に、田村ドクターにBUNの数値を検査してもらっているのだが、今月は少し遅れた。序でに、喉も診てもらう。
オーバーランド・ツアーの食事が続いたにも拘わらず、BUNは前回と同値で、上がっていなかった。毎食、メニューを気にしてくれた藤川さんのお陰としておきたい。足のむくみはある。カリウムの数値が少し上がっていた。血糖値は下がり、体重も、歩いた分下がっている。喉には抗菌剤入りのSP明治トローチと、うがい液が出された。
調べ物がしたいので、5階のライブラリーに入った。いつものように、一番手前の席に座ると、東さんがパソコンを使って、撮った写真の色調調整中だった。そうそう、東さんが日本に向けて書いているMOPASのHPプログも、本日からプリントされて船内に公開となった。この日記に書いていたことが、実現したことは喜ばしい。
12時30分、遅れての昼食となった。体調の悪いときは、ひっそりと窓際で二人っきりがいい。平野さんも心得た方で、そういう場所を案内してくださった。先回は大西洋に出た途端、揺れも荒々しくなったのだが、本日は、ぬったりとした穏やかな波で、揺れを感じない。
ご飯ものは食べたくなかったが、幸いにして今日は、冷や麦だった。冷や麦を頼んだ。顔を見てダブルで持ってきてくれた。ひんやり、するりと喉には有り難い。食べ終わってから、部屋に戻ってまた休む。眠っていた耳に、突然、天井からアナウンスが響いた。
「イルカの大群が、船の左右に見えます!………いま、360°船の周囲は、イルカだらけです!」
悔しいが、起きあがれない。案外そうしたものなのだ。こういう時に限って、現れるのだ…。耳で聴くだけの情報。カディス湾より北部の沿岸になるのだろうか。あれほど、イルカ、イルカと走り回っていた妻も起きない。やはり、疲れているのだろう。
考えれば、デッキゴルフばかりではない。先回は、トルコを出てから、エーゲ海を抜けてナポリまで、ずっと航海日だったのだが、今回は、その間の寄港地にアテネはある、マルタがある、そしてオーバーランド・ツアーのイタリア縦断を入れた。そして、昨日の二日間歩き回ったマラガだ。あれから3年も経っている。体力は落ちる。そう考えると、年長者のリピーターにあの元気さがあることに尊敬の念さえ抱く。この歳までの彼らと比べれば、僕とは体の鍛え方が違うのだろう。航海の1ヶ月を越えて、ようやく自分にブレーキをかけることになった。身体は正直なものだ。夕食まで休んだ。
内山さんに、ロンドンまでの寄港地に、カンペールショップが何カ所あるか、その所在地情報を頼んでみた。ネットで探せば簡単に探し出せるのだが、と言い添えた。
夕食のテーブルは、山縣夫妻の席に案内された。アルハンブラ・ツアー組だった。後から座られたご夫妻も、同じだった。ブイヤベースが昼食だったが、期待していたものの、不味くてがっかりしたと両夫妻とも大きく頷く。
あの長い道のりはどうでしたかと水を向けると、左のご夫婦は、ガイドの歩くペースが速すぎて疲れたという。「僕は、写真を撮りながら歩いていたので、ツアーグループを見失ってしまいましたよ」山縣さんはいう。奥様の言葉を借りれば、「置いてきぼりになったのよ」と。にっぽん丸グループの後ろ姿を見失い、分かれ道の左右を反対に歩いたために、迷子になったのだそうだ。婦人警官を掴まえたり、土産物屋に入ったりして、身振り手振りで道を尋ねたという。バスは見当たらなかった。
食事の時間のはずなので、近くの食堂のウエイトレスにバスの絵を描いて時計を書いたそうだ。どうやらそれが功を奏した。にっぽん丸のスタッフにどう繋がっていったのか、わからないが、連絡が付いてスタッフが飛んできてくれたそうだ。
僕が妻をリスボンで数分間置き去りにしてバスを発車させてしまったことから考えれば、傷は浅い、浅い。笑いあえるほどの想い出創りみたいなものです、そうですね、で笑って終わった。
山縣さんがいうには、ツアーガイドが、そのとき自由時間後の集合時刻を伝えなかったそうだ。だから、これから先の予約してあったツアーバスはすべてキャンセルしたそうだ。
「マルべーリアの海岸へ行った方がよかったかな」と山縣さん。「あちらのコスタ・デル・ソールには、ヌーディスト村が夏になるとあるそうだよ」と、昔の珍道中で行けなかった体験を話すと、奥さんが、「ある人は、マラゲタ・ビーチで、トップレスの姿を見てきたと喜んでいましたわよ」と笑う。O型の明るい奥さんだ。「ところで、今朝のデッキゴルフでは、僕、2度目のホールワインをしましたよ、萩原さん」という。休んでいたので、目撃できなかった。山縣さんはとても嬉しい顔をした。いよいよ、彼もデッキゴルフに嵌ってきた。誘ってよかった。氷河を背にしてもプレイしましょう……。
廊下で遠藤さんから、思いがけずアルハンブラの絵葉書を何枚もお土産に頂いてしまった。イタリア旅行をご一緒した折り、モナコでフィルムが切れた遠藤さんに、せっかくだからと記念写真を妻が撮って差し上げた。そのお礼だという。アルハンブラ欠乏症の妻には、なによりのお土産になった。人に暖かくすると、暖かいものが回ってくる。そうなるものだと教えられた。
妻は、ひさしぶりに会った町子さんと立ち話をして帰ってきた。
今夜は、一龍齋貞心さんの講談「忠臣2度目の清書き」の席がある。東京公演の時、二人で日本橋亭に出向いて聴いた演題だ。パスしても、貞心さん許してくれるよね。今夜は身体を休ませる日です。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 060517 ビスケー湾沖(2009.06.01)
- 060516 ポルト(2009.05.06)
- 060512 .マジョルカ島沖(2009.04.01)
- 06.05.09.シエナ~サンジミアーノ(2009.05.05)
- 060515 ジブラルタル海峡(2009.05.05)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント