060514 マラガ2日目
今朝3時過ぎまで起きていた。日本へのメール、イタリア周遊の写真整理、下船中の航海日誌の書き込みなどをしていたからだ。二人とも7時30分に目覚めた。朝食は、ぎりぎりの遅組になった。急いで朝食をすませ、菅井夫妻との下船時間を9時10分とした。幸いナイスタイミングで、迎えのシャトルバスが来て、12分には発車した。コンクリートだけの何でもない岸壁である。昨夕に歩いたから判っている。15分はかかる。だから、シャトルバスの運行は、結構船客には喜ばれている。
日曜日だから市場は閉まってい
るかもしれないが、と前置きしながら、菅井夫妻がきゅうりを買いたいという。マラガ市民の台所といわれるアタラサナス中央市場へ直接行くことにした。昨日、場所は確かめてある。妻と菅井夫妻には、先に歩いて貰った。僕は、17年前に泊まったホテルを探したかったからだ。別の道を早足で歩いた。マニュエル・ガスティンという海岸通りの角のホテルは、既に別の会社に変わっていたようだ。
市場に向かった。やはり心配したように市場は、蛇腹の鉄格子で閉ざされて、人の居る気配もなかった。休みだった。朝が早すぎるから、街はまだ眠っている。グアダルメディナ川を渡って、人通りもない街を歩いた。川のこちらは、再開発地域となった新市街地だと聞いている。港周辺が歴史的な地域であることに比して、こちらの風景は、新建材を使った高層ビル公共建造物、アパート、ビジネスオフィスが建ち並んでいる。それまでの煉瓦や石造の建築物は、壊されて新しい街作りが進行しているのだ。
スペイン国内に多くの支店を持つデパート、エル・コルテ・イングレスに立ち寄ようかと近づいたが、閉まっている。正面ドアのシャッター前に、ガードマンの車が駐車してある。開店時間は10時とあるが、どうも妙である。どうやら間の悪いことに、本日は休業日らしい。菅井夫妻が楽しみにしていた子供用の衣服を買うことも、僕がカンペールを探すことも出来なくなった。
残念だが、気を取り直して、あの循環観光バスに乗ることにした。そのバス停を観光地図で確か
めると、郵便局だった。大通りを挟んだ先だ。着時間が判らない。急いで渡った。
やがて、 真っ赤なバスが停まった。無天蓋の2階建てワンマンカーである。東京の丸の内でも走り始めた。
チケットはドライバーから直接買うのだ。1日24時間、乗り降り自由で、ガイドブックによれば、一人13ユーローだった。ところがドライバーは、15ユーローだという。値上っていた。レシートと赤いヘッドフォンを渡された。
我々は、2階に上がった。頭が抜けていて気持ちがいい。座席に設置された番号、8番にすれば、日本語の案内が聴ける仕組みだ。
循環バスのコースは、港とは反対の方向へアンダルシア通りを走った。バスセンターに着いた。ここでドライバーの交代をするのだ。しばらく待つことになったので、降りてみた。何台ものバスが入れ替わりに入っては出ていく。長距離バスもあるようだ。大量の荷物を抱えて待つ家族がいた。眺めているうちに、あの喧噪なムンバイのバスセンターを思い出していた。売店を抜けて、歩くと、かなり大きなショッピングセンターがある。明かりがついている。此処は開店している。もし時間があれば、またこの巡回バスで戻って来てみようと、バスに戻った。
マラガ駅を通過してグ アダルメディナ川を渡り、旧市街のアラメダ・プリンシパル通りに戻って来た。我々のシャトルバスの発着所となっているマリーナ広場を横切り、パセオ・デル・パルケを走り、波止場とパラレルに海に突き出る道を走った。リゾートマンションが建ち並ぶマラゲータビーチを回って、静かな街に入った。闘牛場は初めてかと3人に訊いた。頷く。それならば、と闘牛場前でバスを降りた。
街に貼ってあるマタドールのポスターを見かける度に注意してスーベニール・ショップも探している。有名なマタドールの出演するポスターに、観光客の自分の名前を擦り込んでくれるサービスがある。マラガには、ないのだろうか。
バス停の正面がゲートだ。開いている。入れそうだ。中に足を踏み入れると、頭の上から、「ウップステア!」という声が掛かった。観るなら上に上がれと老人が指を立てる。階段を上がりきると、円形の観覧席には一団の先客がいた。そういえば、観光バスが1台着いていた。合点がいった。この観光バスの出遅れた乗客と見なしていれてくれたのだろう。アメリカ人の観光客に4人のアジア人という取り合わせもあるかと、誤解されたままに我々はとぼけていた。やがて、歴戦の闘牛士たちのコスチュームなどが飾られたミニ博物館のような部屋に案内されたが、それがさすがに遠慮した。暴れ出した牛から逃げ込む時、よく、身体ごと柵の中に身体を放り入れるシーンがある。高さが2m弱の退避柵の幅は、思ったより狭く、しかも下はコンクリートだった。飛び込んだ拍子に打撲や骨折をしたりはしないのだろうか、菅井美子さんが心配していた。
観客席を太陽がふたつに明暗と切り分けた円形劇場で、繰り広げるマタドールと牛との真剣勝負。いや、「神聖な真実の一瞬」である。ソンブラ(日陰)席と、ソル(日向)席、その中間席の3種類が設定されている。マドリードで観た座席は、ソンブラの2階席辺りではなかったろうか。
ここマラガでは、闘牛場の背後にマンションビルが建っている。自宅の窓から眺めていられるあのお宅は、ゲストが押しかけて大変なんだろうなと、妻に話しかけたら、彼女は、アレナの色がきれいだと連発して、シャッターを切っていた。
確かに、そうだ。アレナという砂場の色が美しかった。血を吸い込んでくれる役目を持ったこの砂は、ローマの剣闘士が猛獣と戦ったあのコロセウムに敷かれていたことで、円形のスペースを指すのだが、それを囲むように座席が設けられた大規模な室内ホールがそう呼称されるようになった。今では、舞台より下がった平地の特設席までをアリーナ席という。
尤も、闘牛場の砂は、更に特別なモノだと聞いたことがある。舞い上がり易いとマタドールの目に災いするということから、砂ホコリが立ちにくい性質のものを入れているのだと。確かめようにも我々のガイドはいない。米国人観光客のガイドに訊くわけにもいかない。そうそう、この闘牛というのは、カウボーイから始まったとも言われている。牛を誘導する際に群れから外れた牛や気の強い牛を棒で引っぱたいて、移動させたり懲らしめたりした。それがヒントになって生まれたんだよと、国際会議に出てきたアメリカ人が教えてくれた。初期の闘牛スタイルは、馬上から行ったとか言っていた。確かに、馬に乗っているピカドールは槍を刺して、牛を疲れさせる役だから、あながち間違いでもなさそうだ。
スペインの主要闘牛場は、マドリードの他にバルセロナ、セビリア、バレンシアなど7カ所だと書かれていたから、ここマラガの闘牛場は、セカンドクラスなのだろうか。
今日は、黄色い砂地に太陽の光が影を創るという時間ではなかったが、妻は闘牛場に足を踏み入れることが出来たことを喜んでくれた。ほっとした。
実は、今回のオプショナルツアーで、グラナダのアルハンブラ宮殿にも行きたかった妻を僕がキャンセルさせてしまったからだ。山の上で噴水という、アラヤシスの中庭は贅沢な仕掛けた中世の知恵は凄いと思うが、そこまでのだらだら道をぞろぞろ長い列をつくって登っていく、あの山道は疲れるだけだ。こういって止めさせたからだ。闘牛場に入れたのはラッキーだった。
次の循環バスを待つ。「闘牛の肉は食べられるの?」「いや、食べられないことはないが、聞いたところによると、硬いそうだ」
15分ほどで、赤バスが首を曲げて道に入ってきた。今度の下車駅は、ビブラルファロ城の頂上だ。住宅街を抜けて山を登りはじめたら、額に雨粒が当たり出した。2階席から1階席に下りる。
頂上からアルカバサの
ローマ劇場まで徒歩で下りるか、そのままバスでカテドラルまで乗って行ってしまうか、意見が割れた。停車時間の間、下りたり、乗ったりを繰り返していた。この時、ステップを少し踏み外した。足を軽く挫いてしまった。黙っておいた。歩いて下ろうと提案したのが僕だった。実は、トイレを探していたのだ。毎朝飲む腎不全の薬には、利尿剤の錠剤が含まれている。慌てて用を足して、砦の坂道を下ったのだが、今度は、昼食は一旦帰って船で食べたいという美子さんの希望。街中のレストランでもいいかと思っていたから、慌てた。ならば、12時15分までに船に帰り着かねばならない。
ところが、シャトルバスの発着するカテドラルに辿り着いたが、バスが来ない。どうやら、午前中のバスの発車直後だったようで、埠頭を歩いて船に戻るはめになった。ラッキーの裏にアンラッキーが待っていた。この時ほど、船が遠くに感じたことはなかった。疲れた。
昼食を取った後、朝見たスーパーマーケットへ買い物に行くことになった。再び、4人で循環観光バスに乗りこんだ。バスセンターで下車して目指すマーケットに近づくと、人が多い。やはり、日常生活品の販売だから、休まないのだよと喜んだのは、束の間だった。なんと、地下のスーパーマーケットは休みだった。営業していると思いこんでいた明かりは、辛うじて開いていた1階のバール系のレストランで、人出が多いわけは、2階に続くシネスクリーンの列だった。万事休す。
舗道にある大きなワインボトルが目に入った。「今夜は、飲むぞ~!!」ワインボトルを叩いた。よく見ると、それはワインボトルの回収容器だった。なんだか、微笑ましい街のデザインに少し救われた。
バスセンターから、波止場方向への循環バスに乗った。マリーナ広場で降りたが、既に、歩く足は引きずっている。4人とも、言葉少なく、ここから船まで歩きたくない気分だった。タイミング良くシャトルバスが来てくれた。有り難かった。万歩計は、14555歩を示していた。タラップを歩いている時、グラナダ帰りのツアーバスが2台着いたところだった。
何はともあれ、疲れを取りたいと展望風呂に急いだ。夕食前ということもあって、数人しかいなかった。聴くとなしに聞いてしまったのだが、アルハンブラ宮殿ツアーは、日中35℃までになったという。あの道をとろとろと行列して歩いたのでは、さぞかし、お疲れだったろう。食事が不味かったと互いに言い合っていた。パエリアかブイヤベースだろう、あそこでは、選べるほどにレストランはなかったと記憶する。妻を行かせなくてラッキーだったと言えるか…。
夕食は、偶然にもアルハンブラ帰りの木島夫妻、それと岡本展一夫妻が同じテーブルになった。とろとろだらだら坂道の話から山歩き、トレッキングの話になった。木島さんは、山仲間と結構歩いているのだという。来年はニュージーランドの山を歩こうと思うという話から、ツェルマットの話に流れた。かつて、我々は、ツェルマットの村からケーブルとゴンドラを乗り継いでモンブランへ上がったことがある。妻も話しに加われた。
インターラーケンやらグルノーブルになると、僕のスキー仲間との話になったが、岡本夫妻は、南アルプスなど山歩きをされている実に健脚のお二人だと知った。今の自分の足の弱さが情けなかった。今夜は、バンテリンをかなり擦り込んで休まないと、真夜中に足がつるに違いない。
ベッドで、本を読む。逢坂剛の「幻のマドリード通信」をマラガ寄港から読み始めた。スペイン内戦時代をベースにしたポリティカルミステリーの短編である。かつて我が社の広報室にいたスペイン教祖・仲ちゃんが逢坂剛である。それを航路に因んで読んでいる。「ジブラルの罠」から「カディスへの密使」へとだ。
そのジブラルタル海峡へは真夜中に接近する。真夜中に足が攣ったら、起きてヘラクレスの柱が見られるかも知れない。
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