060512 .マジョルカ島沖
朝8時、スペイン領海のバレンシア湾に入った。そして、バレアレス諸島の沖を航海中である。今日は曇りだ。風はほとんど無い。気温も海水温度も同じ17℃。水平線は、まだ寝ぼけた手書きのライン状に見えている。イルカが見え始めたというアナウンスを久しぶりに耳にした。
八点鍾『現在、バルセロナの南東90海里(167km)、バレアレス諸島・メノルカ島の沖22海里(41km)を航行中です。
久しぶりに全天曇り空です。北アフリカのジブラルタル海峡付近から停滞前線が横たわっており、午後から夜にかけて本船の上空を通過するので、天気は下り坂です。しかし明日のマラガは、良い天気が期待できそうです。
本日の航行予定は、バレンシア湾を南下して2003年世界一周クルーズで寄港したバレアレス諸島のマヨルカ島の北岸に10時から13時頃に接航します。その後、16時から17時15分頃までイビサ島の北岸を航行します。
今朝8時の経度が003度44分ということで、経度数が少なくなってきました。今夜22時頃、本初子午線(prime meridian)である経度00度00分上を通過し、東半球から西半球に入ります。
本初子午線は、イギリスのグリニッジ天文台を通過する経度線で、地球における座標軸の東西の基点です。本初子午線から東西に180度。時間にすると、日付変更線まで12時間。すなわち1時間が15度となります。
現在、船内時間はスペインの夏時間に合わせているので、グリニッジ標準時からは2時間進んでいまして、日没時間が遅くなります。本日はマヨルカ島の風景と本初子午線通過体験をお楽しみください。』
朝食は、これまでで一番遅い8時20分入りだった。急ぐ先に、見慣れた姿があった。一龍齋貞心さんだった。お久しぶり、と声を掛けて、挨拶。昨年の11月、日本橋亭で会って以来である。
今朝は、9時から阿刀田夫妻の講演「短編小説の楽しさ」と朗読があるため、デッキゴルフは昼からの自由参加、有志のみということになった。
以下は講演の概要。
そもそも、「小説」とは中国語だという。「大説」が政府高官の高説や宣言などとすれば、小さな説なるものは、如何でしょうかと謙って話すレベルだと、阿刀田さんは、まず謙遜しながら説明を始めた。地中海文化華やかなりし頃、「ロマンス語」というものがあったそうな。庶民が話していた言葉で、それがイタリア語になり、スペイン語になっていく。「大説」という神の言葉などは、ラテン語文字で書いたものだ。文字は男が書き、女性は語ったのだ。それだから「物語」こそは、庶民の出来ることだった。「ノベル」という言葉も、新しいもの、珍奇なものという意味が含まれているし、「フィクション」という言葉になれば、まさに作りもの、嘘が混じるということになる。「小説」とは、ことほどさように、いかがわしい、疑わしいけど、面白いモノ、想像力をかき立てるモノ、非現実の人生を楽しむものという受け止め方をしてもらっていいのです。
小説には、長編小説と短編小説がある。長編小説は、長い物語の中で嘘を突き通せない。そのうちにばれてきてしまう。従って、あっても不思議ではないこと、あったかも知れないことが主なモチーフになる。そして長編小説は、その時代の歴史であるとも言える。それに比すれば短編小説は、礼儀正しい、お邪魔しない、お手間を取らせない。読み終わっても、短い時間であるから、時間を盗まれた気がしない。自分は、人の会話すら短編のネタにしたことがある。しかし、どのような小説も映画も、大人の鑑賞に耐えるようなストーリー性が重要であると考える。阿刀田さんは、そう言いながら、「では、家内、阿刀田桂子の朗読で、「日魚と漏電」を聴いてください」と奥様を舞台に招いた。
「小説家は言葉を大切にします。日本人の言語力、文化力は世界に引けを取らない。英国はシェクスピア以降、誰を輩出したか。我が国は、紫式部、清少納言、世阿弥から森鴎外、ノーベル賞作家となった川端康成にしろ、大江健三郎にせよ、歌舞伎・能からシェクスピア劇まで翻案する演出家の蜷川。いつの時代を切っても、蒼々たる人材が現れる。是非とも、世界の旅の中で、日本をも見直す眼を持って、帰って来ていただきたいものです」朗読が終わった後、彼は力を込めて、こう締めた。
終えた10時15分、プロムナードデッキを歩くと、マジョルカ島の北岸を通過していた。しかし、先回寄港した側は、地中海側で、バレンシア湾側は、険しい岩肌をさらけ出していて、僅かに一カ所漁師町らしい家並みが見えるだけだ。裏側は、カメラに納めるような姿をしていない。妻は、不調のプリンターに思いあまって、再び通信室の出口部長に相談に向かう。
昼食後の13時から、有志だけでデッキゴルフをやることになった。
欠席は、菅井、工藤、横田、高橋。参加者は、高嵜、松田、菅谷、萩原、中島、山縣の6名。昼からのせいか、皆のプレイする気分がゆったりしている。
そんなとき、イルカが一頭、群れから遅れて泳いでいた。はぐれたのか、焦っているなと、口々に言いながら、指先ながら囃し立てる。船と併走しているが、スピードが追いつかない。徐々に後退していった。「鯨も発見!」と、操舵室からのスピーカーが教える。しばし、ゲームを休憩することにした。船が傾いたからだ。鯨を追って大きく旋回したのだ。、一頭のマッコウ鯨は、旋回した航跡の輪の中に捉えたが、この鯨も弱っているようで、泳ぎがもたついている。船客もそれほど騒ぐこともなく、静かに見守っていた。静かな、穏やかな午後である。
ホールインワインが出た。菅谷さんが、最多の5回目を出した。これで、ワインボトルを奢る者は、菅谷5回、ミセス松田1回、萩原1回、工藤1回、高橋1回、横田1回と、10本が貯まった。僕自身は、12勝4敗3引き分け。通算19勝7敗7引き分けとなった。
夕方、イビサ島の北岸を通過するときには、船客はフォーマルウエアや和服に時間を費やしている。今晩は、カクテルパーティを経てディナーに入る。いや、初めて乗船したときは、カクテルパーティと言うから、立ち席であちこち回りながら、日頃挨拶できなかった方や、ご紹介したい人を互いに会わせあったりするとかしながら、自由に会話を交わせるひとときかと期待していたものだが、どうやら、日本の豪華客船でのカクテルパーティというのは雰囲気を楽しむ形だけであって、ホールで催されるそれは、立食でグラス片手に人の輪を泳ぐというのではなく、数人の間を蝶々のように、自分の衣装を観てもらおうと歩くのでもない。ただ、晴着を着てのおすまし姿でどっかりと座る。そのいい席にも早く行かないと座れないと急ぐ人がいることになる。早くから廊下に列をなすのが、席の確保のためだと知ってからは、フォーマルデーも大袈裟なこととは考えなくなった。

座ったら、運ばれてくる4種類のカクテルから好きなモノをチョイスして口にすればいい。船長の挨拶の前には、既に近くに座った方々と互いに飲み酌み交わしている。パーティと称しながらも、あらためて乾杯の発声もない。いつも、不思議でならないと思うのだが。正装を記念写真に収めるべく、カメラマンを目で追いかけて手招きする。カメラマンもこの時間は、ビジネスタイムとばかりに、急いでフラッシュを焚いてくれる。
10分ほどキャプテントークがあって、すぐにこれまたダイニングに移動。案内されたテーブルに座ったら、ちょこまかと動くのはみっともないとして、姿勢を正している。
座って立って座って終わり。これはパーティスタイルのセレモニーなのだ。東さんは、紙製のタキシードを寄港地で見つけ、フォーマルデーに出たとか出なかったとか、彼の著作の中で昔に読んだことがある。このフォーマルナイトの日本的趣向が何とかならないモノかと毎回思うのだがと、苦笑いする海外赴任の経験者がいたことも記しておきたい。
メインホールでのことだが、この頃、我々の中での話題のひとつも、序でに今夜は記しておきたい。「メインショーの途中で退席しないで欲しい」と注意が出はじめたことだ。
カメラのフラッシュ撮影を禁じるのは解る。エンタティナーの眼に光が射すから、芸に集中している彼らに礼を逸することだ。また、立ち上がっての撮影も、ズームの効かないデジタルカメラでは、両手を上げたりすることで、後ろの人への配慮を欠くことになる。
しかしながら、その芸が期待に反していれば、たとえメインショーでも退席するのは、それが観客の評価であるとすべきだという意見。プロであるなら、引き留められる魅力を持たせることだ。退席は、むしろ、エンターティナーへの無言の評価と受け取るべきではないか。我慢して聴くことを強要することではないのだ。帰国下船間際のアンケートという事後評価を待つまでもない。厳しくあるべきだと思う。むしろ船客へプレゼンテーションしているものだからである。それは、ショー企画者への今後の問題提起でもあるのだ。なぜなら、すべてのエンターティメント、カルチャースクール、レクチュアーは、旅行費用に含まれたものであるからだ。こんな意見さえあった。「(ロス・インディオス・)タクナウがいかに素晴らしいギタリストであってもね、MCも兼ねてるヴォーカルのタカコが、ステージで身内(自分の夫)を褒めちぎって進行するってのは、客の側が馬鹿にされているような気分になるわな」。
僕も言った。「船に乗る多くのエンターティナーが、持ち時間の中で、いちいち、持ってきたからCDを買ってくれと舞台から頼むのも、プロ意識不足だね」。もっと多くの曲を聴きたいと思う客には、その旨を書いたプレートでも、入口、出口に掲示しておけば済むことだ。それが、“プロ”としての矜持だろうと思うからだ。販促の序でに聴かされたのでは敵わない。
ディナーに続いて、一龍齋貞心さんの席がラウンジ「海」で始まった。演題は正確には知らないが、「荻生祖来の豆腐屋」とでもいうものだった。芝・増上寺門前の豆腐屋・上総屋七兵衛が長屋暮らしの学者に奴豆腐を売る。しかし、貧しくて豆腐にかける醤油さえ買えないこの学者・荻生惣右衛門に、情け深い七兵衛がご飯の代わりに毎日おからを届けてやった。ところが風邪で行商に出掛けられなかった数日の間に、学者は姿を消えてしまった。数年後、類焼で焼け出され豆腐屋へ、建て替えのために大工が訪れた。金は済んでいるし、当座の生活費にと金まで置いていった。明けて新年、大工が連れてきたのが、あの「おから学者」。出世した荻生徂徠だった。豆腐の未払い4匁が40両に、おから代が一軒の店を寄付したという祖来の恩返しを話に仕立てたもの。芝増上寺御用・徂徠豆腐由来の一席。
今夜の一龍齋貞心の講釈を聴けば、プロの芸が判ろうというものだ。まくらまでの時間配分といい、声の張り、客を引きつける話術といい、さすが。観客に迎合しないで自らの芸に誇りを持っている。目頭を押さえたり、鼻をすすったりする人がいたほど感動的な語り口で、ひさしぶりに名人芸を聴かせてもらった。
21時56分頃、航路ナビで見ると、北緯38度47分で、本初子午線00:00になった。いよいよ東半球から西半球に入った。船内時計は、スペインの夏時間を採用しているため、グリニッジからは2時間の差がある。この0000を何人もの船客が固唾を呑んでカメラに収めているはずだ。TV番組にシャンネルを回すと、NHKの映像が写りだしていた。明日は、マラガ。オプショナルツアー不参加。ブラブラ歩きのひさしぶり自由行動日。また野菜市場かな?
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