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2009年3月16日 (月)

060511.リベリア・ラパロ~モナコ

 早朝に雨が降ったらしい。屋根も路面も濡れて光っている。ホテルはチグリオ湾のある東リビエラ海岸に位置している。ポルトフィノ半島に続く湾の向こうに、昨夜遅くに投錨していた3隻の大型客船とメガヨットは、7時半のこの時間、既に消えていた。

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  朝食のレストランは、プールサイドの上階にあった。1908年に建てられたホテ、グランドホテルブリストルは、あのムッソリーニやチャーチルといった政治家にも利用されてきたらしい歴史的なホテルだという。

 

 

 藤川君がテーブルに着いた。「せっかく、リビエラという場所にいながら、朝に出て行くだけだね」と投げかけおいて、「ツアーの案内にあったリビエラというのは、このラパロが代表するのですか?つまり、リビエラに行ってきたというと、ラパロを指すのですか?」額さんに向けると、彼女は困っていた。食後、ロビーにある観光冊子を何冊も手に取ってみると、リビエラという文字は見当たらないのだが、この辺りが、ポルトフィノ・コースト(portofinocoast)という呼称が読める。リビエラ海岸でも超高級別荘地で、入り江に各国の超豪華ヨットが停泊し、有名人の豪華別荘が多いとか。

 

 

Dscf1535 Dscf3160  ホテルを出たバスは、山の上から昨日の曲がりくねった道をヨットハーバーまで下った。バスが停まった。

「では、ほんの少しではありますが、写真を撮るなり、お歩きください」

藤川君が笑顔で言った。ほんのしばしではあったが、ラパロの街を歩いた気分になった。ひさしぶりに潮の香をかいだ。

 

 バスは、ラストランで、ラパロからモナコへ向かった。海岸線を見下ろすほどの高い位置を走り続けている。

Dscf1540   「下に見えてきましたのが、ジェノバです」との案内に、カメラを向けると、リグーリア海から入り込んだ港から、狭い細長い谷へと延びたなだらかな傾斜地に街は広がっている。コロンブスが青年時代を過ごしたと言われるリグーリア州ジェノバ。ジェノバ貴族が競って建てた大邸宅群、パラッソは世界遺産になっている。そうした歴史的な街ではあるが、真上から眺めるだけで通り過ぎた。海運王国を誇った国が、現在でも地中海第一のコンテナ交易港の姿が海岸沿いに長く広がっていた。  

 

 

Dscf1542 Dscf1544  やがて、サンレモのヨットハーバーらしきものが目の中を流れていった。あっけなかった。サンレモは熱海の姉妹都市だ。サンレモ音楽祭といえば、ジリオラ・チンクエッティの名前が浮かぶが、日本人歌手では伊東ゆかりの時代だった。

 

 Dscf1547 反対の山側遥か北は、オリンピックの行われたトリノになるのだろうか。アウト・ストラーダという高速道路の標識ボードがグリーンからブルーに変わった。イタリアのリビエラ海岸“コスタ・アズーロ“から、フ ランス領域の“コート・ダジュール”に入ったのだ。この「水色の海岸」コート・ダジュール。フランス人ではなく、イギリス人によって開拓されていったという。また、ジェノバ共和国がニースやカンヌをフランスに譲渡しないでくれていたら、この美しい海岸線は、今もイタリアの領土だったのにと、額さんは残念がった。彼女は既にイタリア人なのだ。

 

 

Dscf1556_2Dscf1553  眼下にモナコの風景が目に入ってきた。1641年にフランスの保護下に入り,そして併合された後に独立したものの、フランスとの条約で,もし大公に嫡子が出来ない場合は,再びフランスに併合される運命だったが、幸いも王子が誕生した。現在は、レーニエ3世の長男、アルベール皇太子が大公位を継承している。

 

Dscf1550 “フレンチ・リヴィエラ”の眼下に、にっぽん丸の赤いファンネルが見えた。青い海に赤いファンネル、白い船体。日本が海中に浮かんでいるという想い。久しぶりの船体に乗客が沸き立つ。300日以上晴天が続くという、コート・ダジュールの観光・保養地だ。丼サイズのオニオンスープが忘れられないニースの海岸は、その約10km先だ。プールのある邸宅を探すカネボウのCMロケだったが、ほんの少し足を伸ばせばモナコまで来られたのだ。

 

Dscf15582  見晴らしのいい場所でバスが停車した。なんだか、不思議な喜びで、みんな顔が変わっている。下車して「我が家」をカメラに納める。モナコのヨットハーバーを背に互いに記念写真を取り合う。その船体から糸を引いたように、通船が白波を立てて港に向かっている。昼食に帰船する船客達を迎えに出たのだろう。

 

 やがて、バスはワインロードを下り始めた。王宮の見渡せる展望台でも再びバスが停まった。此処もカメラスポットかと、バスの中は中腰になって窓から覗き下ろす者が多かった。ところが、そこはモナコ公国への入国料を払い込む場所だった。1日滞在で約13000円、半日は半額だという。ここで、現地のガイド、ミセス梶原さんが同乗してきた。「バチカンに次ぐ世界で2番目の小さな国、モナコにようこそ」と挨拶。

 1.95k平方メートルで、人口3万人だが、純粋のモナコ人(モネガスク)というのは、7000人ほどで、他は外国人の居住だという。モネガスクであるためには、先祖代々居住していること、前科がないこと、国籍があること。つまりは、大公の許可証がいるのだと梶原さん。治安の良さが自慢の国であるには、理由があった。公安局では、街中に設置した320台の監視カメラと500名の警察官で24時間見守り、刷りや置き引きなどの犯罪予防をしているからだ。

Dscf1570  所得税も固定資産税を払わないで暮らせる国だということから、この国に住みたいという外国人が多いのだが、滞在許可証を得るには、3つの条件が備わっていないと難しい。多額の預金額、余人を以て代え難い職業、文化的才能。これは、オーストラリアの永住権と同じだが、年齢制限がない分、モナコ公国のほうがまだ緩いと言えるか。いや、3万人の中で、柔道、合気道、空手の教師がそれぞれ一人居れば済むことになるとしたら、こちらのほうが厳しいとも言える。それでも、市民税は支払わねばならないが、法人税は低くしてあるようで、10年間居住していれば、年金も出るそうだ。

 この小さな国土には40以上の銀行があり、国際投資にも強い関心を向けている。モナコ公国は、観光に頼ることなくフランスの穀倉地帯に広大な土地を所有し、小麦相場でも利益を上げている。

 カルロ王国のモンテ(山)というハンディのある狭い国土で、財政を賄うのに大胆な施策をしたというのが、世界的に有名なカジノである。カジノを楽しませる都市計画をジゼル・ガルニエに依頼した。Dscf1588Dscf1590 カジノの客のためにレストランを創り、ゆっくりしてもらうためにホテルを造り、さらに楽しみを大きくするためにカジノの中に豪華な劇場を造ったのだ。「グラン・カジノ」の近くには、「ホテル・ド・パリ」、「エルミタージュ」という高級ホテルがある。ガルニエといえば、シャガールに天井絵を描かせて造りあげたパリ・オペラ座の建築家だ。このモンテカルロという地区は、6地域に分かれている中で唯一自治権を持つ市である。「グラン・カジノ」の莫大な建設費は、カジノの公益費1年間分で償却できてしまったという見事な財政策ではあった。

Dscf1577 Dscf1578 Dscf1606  モナコの「F1シリーズ第7戦、モナコ・グランプリレース」が、今年も2728日に行われる。スタートラインも「グラン・カジノ」の前にも、既にパイプで接合するグランプリレースの観覧席が設営されてあった。世界的イベントが間近に迫っている。2週間後にはタイヤのきしむ音とエグゾーストノイズの轟音が背中の山々に鳴り響くのだ。78周(13340km)の決勝レースを待っている。Dscf1593 スーパーアグリ・ホンダ、佐藤琢磨、フェラーリーのシューマッハなどが熱い戦いの火蓋を切る。その1週間前、つまり来週、初陣を飾るのは、クラシックカー・レースだ。王様がクラッシックカー・コレクターで、それを観てもらいたくて道路を走らせたのが、そもそもの始まりだったからだ。

 銀行が集中している、他国に不動産開発をしている、カジノを建設している、公道でF1レースを実施する。こう並べてみると、モナコの中にシンガポールを見ることができる。

 

Dscf1591 「グラン・カジノ」の横に日章旗が立っていた。「モナコ・ガーデンクラブ」という文字があった。花を愛したグレース・ケリー王妃が設立したとか。王妃の要望で日本人の庭園設計師による本格的な日本庭園もあるそうだが、見る時間はなかった。

 

Dscf1580  昼食を食べたのも、一般道から、崖の中をくりぬいたエレベーターで上がったのだが、岩の多いモナコには、192基の公共エレベーターがあるそうだ。ジェノバ人の要塞だった場所に造った宮殿だから、ヨットハーバーと海の間の絶壁の上なのである。モナコ・ヴィルと呼ばれる地域になる。王宮のある砦には、バスを降りて、やはり、岩盤の中のエレベーターで上がり、さらにエスカレーターで高台に出た。しばらく歩くと、右手に王宮かと見違えるほどに装飾をこらした建造物があった。海洋博物館だという。海洋生物に関心が深かったアルベール1世がまず設立したのが、海洋学研究所で、大西洋諸島、ブラジル、北極の海まで航海を繰り返していたそうだ。

 

Dscf1608 Dscf1609  公的な建物だけかと思ったら、このモナコ・ヴィルには、モネガスクの多くがここに住んでいるらしい。皇居の中に4代目の江戸っ子家族が居住を許されているようなものか。実にオープンである。土産物屋も多くあり、狭い路地には所狭しとTシャツ屋、アイスクリーム屋などが軒を並べて、まさに観光地となっていた。いまは、F1レース記念のキャップがカラフルだ。僕もひとつ買うことにした。

 

Dscf1596Dscf1594Dscf1603  グレース王妃の眠る大聖堂に比べ、王宮は実にシンプルな建物で、衛兵が立っていることでそれと判るくらいである。国民との距離に隔たりがないようにとの外観だそうだが、内部は立派なインテリアであることは言うまでもない。現在のキャロリーヌ王女とステファニー王女は、ここモナコ公国では、二十歳になったら自立しなさいと、親とは別に独りずつ、自分の住居を与えられて住んでいる。その住まいは、海洋水族館から上がってきた右脇の建物だ。

 

Dscf1602 Dscf1599  王宮の入口横には、袴をはいた日本の武士のような銅像が立っている。13世紀末、モナコを支配していた貴族を僧侶の衣装で近づき、衣の下に隠し持った剣で倒し、モナコを敵の手から解放したと言われる国の英雄、グリマルディの像である。国旗にも紋章にも、この男性の姿がデザインされている(梶原さんの説明は、簡単すぎた。敵とは誰だったのか、調べてみた。

  当時、この地は、ジェノバの二大勢力だった皇帝派と教皇派の勢力争いの舞台だったようだ。教皇派のグリマルディが一計を案じ、修道士に扮して要塞の侵入に成功し、占拠したというもの。教皇派が統治し、遠戚であるレイニエ大公に至っているというもの。だから、グリマルディ家の紋章には、左右に剣をかざした修道士の姿が刻まれているという訳。だから、要塞の上に王宮地区があるのだ。)。

 

Dscf1569 ルイ14世時代の大砲と弾薬が積んである王宮広場からは、フランス領に統合されていた当時、この一帯は、「ヘラクレス砦」という名前がつけられていたことが理解できる。急峻な山側に建てられた高層ビル群。此処だけを眺めていれば、熱海に似ている。姉妹都市はサンレモよりも、モナコにしたらどうだったのだろうかと妻に言った。熱海もカジノ建設の動きがあるしね、と妻。

Dscf1605_2Dscf1600_2  佐藤琢磨、中田英寿、それに芸名とはいえ“公爵”を名乗っているデューク・更家が住まいを持っているという富裕層のメゾンを指さしながら、ガイドの梶原さんが意外なことを教えてくれた。

 「100㎡なら3億円弱でしょうね。でもテラスでのバーベキューは禁止です。

    当然ですが、洗濯物も禁止です。あのグレーのビルよりも上の土地に建てられている家屋は、

    フランス領のものです。実は、モナコの領地の高さは、山の○○mまでなのですよ」

え、山の途中で国境になる?意外だった。しかし、その何メートルまでなのかは聞き逃してしまった。モナコは海岸線を埋めるか、地下に掘るか、地上に積むかしか、国土を拡げる方策はないのだという。だから、いつも、工事が絶えないのだとも。

 

 海から見て王宮の左、ニース側にフォンガヴィエイユという工業地区がある。1976年、レーニエ公は、狭い国土を拡げる策として海を埋め立てることにした。この地区が誕生したことで、国土の16%が拡大したのだという。しかも、この工業地区には、煙突もパイプも見えないように、ビル内部に組み込まれているそうだ。自動車の部品メーカーから、リキュール、香水メーカーなどを誘致して、これまで国の財源の95%をカジノに依存していたのを、これら企業の法人税で14まで補えるようになり、失業率も0に近い状態という。

 

 通船で帰船する時間になった。ヨットハーバーに下りた。待つ間、ガイドの梶原さんに話しかけた。

    「モナコにずっと住んでいたの?」「いいえ、最初はグルノーブル」

    「ああ、グルノーブルね、あそこで滑りたかったなあ。

     オリンピックで有名になってしまったね」

    「スキー好きですか?」

    「ああ、小学5年からやっていた。大学の時、都連のスキークラブに入っていた。

ところで、グルノーブルに、カズっていう日本人居なかったかい?」

    「えっ!カズさん!」

    「そう、富樫一紀っていうんだけどね」

    「知ってますっ!どうして~、まあ!」

    「えええ、カズ知ってるの!」

二人の声に周りが驚いて振り向く。モナコを離れる直前で、この奇遇。驚くのは僕の方だった。

 カズとは、グルノーブル時代によく世話をしてもらった仲だという。自分は日本人と結婚したが、今は子供と二人でモナコに住んでいるが、カズの消息は知らないという。カズと僕との出遭いはパリだった。先に書いたカネボウのCMロケでパリ入りした時のことだ。

 ロケハンの範囲が広すぎるため、コーディネーターの会社でも応援スタッフが必要だった。グルノーブルからやって来た若い日本人が付いた。

 彼の初仕事が、パリ市内に見つからない小道具を集めるため、パリからバイクを飛ばして深夜300kmの距離を往復することだった。事故もなく、それをやり遂げてけろっとしていた。グルノーブルでは農家に住み込んで働き、時には日本のスポーツ紙に依頼され、ツール・ド・フランスの模様を撮って送ったりもしていたので、体力はあったのだろう。呑み込みが速く、機転が効くので、オデッサフィルムのヤニック社長に、今後日本人スタッフと充分やっていける若者だと保証できるから、会社で採用して欲しいと進言した。

 それからのカズの評判は、年々高まった。独立してフランス人と結婚もして、押しも押されぬコーディネーターになった頃には、僕の仕事は、カネボウを離れていた。味の素ゼネラルフーズやリクルートのフロムエーという、アメリカの西海岸ロケが多くなっていった。

Dscf1612Dscf1620Dscf1614  カズの動向が判ったら、互いに知らせ合おうと約束して、迎えに来たにっぽん丸のボートに乗った。

   人の繋がりとは不思議なものだなあと、ローマからのガイド額さんとモナコのガイド梶原さんに手を振りながら、モンテカルロ港を離れた。ツアースタッフの藤川君と清水智佳ちゃんが、驚いたという気持ちを、「イナノーバァ~~!」と、ボートの上でのけぞった。

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 久しぶりの船内での夕食、二人の男性が隣りに座った。二人ともがっしりとしている。見かけない顔だった。

    「私たちは、しばらく船を離れておりました。もしかして、

    ローマから乗船されたアーティストの方々ですか」

声楽か、ピアノか、頭の中では、紹介されているエンターティナーのパンフレットをめくっていた。思い当たらない。さては、また、海上自衛隊からの隠密派遣の研修出張者かとも思ったが、返ってきた答えは違っていた。

    「私たち、『海』の編集取材で乗ってきました。今度が50号記念でして…」

『海』とは、MOPASの会誌だ。なるほど、そう言われると、同業者の顔に思えてくるから不思議なものである。

    「オーバーランドですか。阿刀田さんとご一緒でしたか」

    「ええ、阿刀田さんとは親しくさせていただきまして、名前が高、高で、

    家内が奥さまと同じ桂子、けい子で、同じ名前同士でしたので」

妻はスーパードライを頼んだ。彼らもアサヒビールを飲んでいる。

    「アルコールはおやりにならないのですか?」

    「いや、ビールは大好き、でした。ビールの担当をしていまして…。

    飲み過ぎてか、通風が出てしまいましてね、いまでは焼酎ですが、

    瑞穂のダイニングでは、お湯割りは頼めませんので…」

 刀豆茶を4日間も飲んでいないせいか、足にむくみがある。1ヶ月ぶりの検査をシップドクターに頼もうと思っている。そんな訳で今夜は、妻だけがアルコールをオーダーしていたのだ。

 

 オーバーランドツアーの感想を訊かれた。妻が話した。ややあって、僕が、ガイドとの奇縁を話した。CMコーディネーターのカズを話した途端、「おい、あんたの先輩だよ」ともう一人の男性が肩を叩いた。

「もしかすると、貴方が編集で、そちらの方は、広告担当…営業ですか?」

 

 なんと、広告担当者のほうはTWAだという。「ならば、中野圭さんをご存じですよね?」「はい、以前の上司でした」。驚いた。一気に距離が縮まってしまった。

 中野圭氏とは、茗荷谷の自宅に行ったりしていた仲で、博報堂時代の営業・制作のコンビだったからだ。彼は確か、欧州の社長を経て帰任し、しばらくTWAジャパンの役員を務めリタイアーした。TWAは博報堂とのワールドワイドの企業連合体であり、近々TWA博報堂が設立される。すると、もう一人の男性が、僕も赤坂の会社に少し勤めていましたという。赤坂とは、東急エージェンシーのことである。

 なるほど、平マネージャーが、今晩、この席をセットした意味がわかった。

 こうなったら、あとは業界話になった。推測年齢からして、東急エージェンシーなら、前野社長時代ではなかろうか。クリエイティブは種田・宇野時代でしょうかと訊くと、種田ルーム時代当時の営業だったと。東急109の役員になっている沢渡ちゃんも知っているという。TWAの彼は、東急の馬場時代を知っているという。三人とも、かつての僕の仕事仲間であり、ライバルだった。にっぽん丸にも、広告会社出身がいる。イノバウワ~をやらなかったツアースタッフ、森田由香さんだ。第一企画勤務の時、ディアマンテの新発売を担当していたという。親友の藤原利洋SP局長と、青学後輩の前田耕作SP部長が担当したのだから、ここでも繋がっていたのだ。その後、常務になった藤原は、悔しいかな、肝臓癌で先立ってしまった。

 

 

 夕食後のメインショーは、ミュゼット・アンサンブル・コンサート。

日本人と結婚した千葉在住経験のある1951年生まれのパトリック・ヌジェ氏と、エディット・ピアフの最後のアコーディニストだったというジェラール・ピエラ、それにシャンソン歌手の夜だった。いつものようにメインホールは2階席にした。ところが、私語がうるさい客と隣り合わせたのには参った。抜け出る。

 

 日没時間が2030分ころだと東さんから教えられていたことを思い出した。プロムナードデッキを歩いてみた。コート・ダジュールのイエール諸島沖だろうか。

 

Dscf1658 Dscf1666  抜け出て良かったあ…と思わず呟いた。右舷にサンセット。左舷にフルムーン。このサンセットが、実に見事な大絵巻。先回でも目にしたことがないほど、天を焦がす大きな夕陽だった。 “島倉雲”(映画界やCM界でこの人に描かせたら、スタジオが空に抜けると言わせるまでのスプレイアーティスト)があった。雲の形が適当に切れ切れになっていて、その隙間からこぼれ出す真っ赤な光芒。圧倒された。息を呑むとは、こういう時に出る言葉なのだろう。クルーズでなければ、体験できない光景だ。

 飽きない空のショーが、プロムナードデッキには繰り広げられていた。僅か10数名の船客のために燃えていてくれた。興奮しながら、90枚以上はシャッターを押した。

 

Dscf1699 Dscf1702  「こっちのほうは満月ですよ」

  左舷から船客が親切に教えに来てくれた。天空に満月。海面との間は、薄い青みがかった霞が漂い、月明かりは静かに波に揺れている。一幅の掛け軸のような墨絵のような世界であった。こんな色彩を目にしたのも初めてだった。しかし、東さんほどの腕はない。いい写真に撮れているかどうかは自信がない。

 

 メインショーの船客には申し訳ないほど、静かな、静かな、ため息の出る天空のショーだった。

 

 

 ナイトシアターには出掛けずにパソコン打ちに取りかかった。なにしろ、チベタベッキアからモナコまではパソコン不携帯のため、メモのみ。書き出しておかないと忘れてしまう。ここ数日は、寝るのが遅くなりそうだ。

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