060426.紅海ドゥンクナーブ湾
八点鍾『にっぽん丸は現在、紅海の中央付近、サウジアラビアの港町ジッダの西南西60海里(111km)沖を航行中です。
ジッダは、東西交通の要所であり、またメッカへの巡礼者が大挙して通過する町でもあります。水平線のはるか向こうは、砂漠地帯です。空中に砂の粒子が漂って、日出と日没の太陽は黄色味を帯びているように感じます。
昨日の朝9時頃、10頭ほどの珍しい黄色いイルカを見たという乗組員の目撃情報がありました。イルカも染まってしまったのでしょうか? また、午後にはイルカ40頭が、本船の作る波にジャンプしている姿を見ました。
紅海付近は暑い陽射しが有名で、陽のあたる場所とあたらない場所では温度が大きく変わります。地中海方向に北へと向かっているので、本船の左側が 西、右側が東になります。左舷側のキャビンは暑い西日が当たり、右舷側はしのぎ易いということになります。
現在は冷房装置がありますが、昔の客船は左舷側と右舷側のキャビンで料金が違っていたそうです。では、紅海航路をお楽しみください。』
八点鐘を聞き終わってから朝食レストランに入る。隣りは谷田夫妻。谷田さんも、八点鐘のキャプテンボイスを録音してから、朝食に来るそうだ。いまは、USB付きの小さなデジタルレコーダーがある。PCへ瞬時に取り込めるから、メモ用紙に聞き書きすることもないか。谷田さん夫妻は、3年前の僕らのように、日本へ航海日誌を発信し続けている。
東ご夫妻が、僕を見つけたと言いながら座った。小山さんとの夕食同席の件だが、中野先生が別の場所で、小山先生と決めてしまっていたので、ごめんと謝られた。気になさらないでください。最後の食事です、船にも中東にも造詣の深い中の先生のほうが、一層盛り上がりますからと、僕。
東さんから、「にっぽん丸・東京船友会」の存在を教えられる。九段のグランドホテルで例会を開いているそうだ。もっと、お聞きしたいが、デッキゴルフスタートの時間になってしまった。
急いで部屋に戻り、日焼け止めクリームを顔に塗り込んで、ポッカレモン100の70ml玉を手に、4階船尾に出た。
今朝は、山縣、ミセス松田、工藤、高嵜の5名が布陣の先攻白組に入った。対戦相手は、横田、中島、菅谷、松田に本間さんが途中参加。菅井美子さんは欠席。ゴルフ好きな昨夜の秋元さんが視察に現れた。
本日、山縣さんのキャッチフレーズは、「連れて逃げてよ~~(細川の「矢切の渡し」)」だそうだ。関西の人は、人を笑わせる術を心得ている。大爆笑の内に、スタートとなった。なんと、横田さんが飛ばす、飛ばす、絶好調!キャプテン・高嵜さんは、工藤さんのエスコート役で1番ホール周辺に残り、僕が、松田サエ子さんと山縣さん担当になった。山縣さんも、まさにキャッチフレーズ通り、連れて逃げるという歌詞通り、二人三脚で、2番ホールへと進んだ。工藤さんのニックネーム、「スイスイマダム」のお株を奪ってしまったような順調さ。とにかく、3、4、5番をクリアして、驚異的な速さで権利玉となった。ホームへ突進してもらう。伏兵、本間さんがマイペースで、5番を
抜けホームに向かってきた。意外なことに中島さんが、横田さんのヘルプをしばしば受けていた。今日は、結構、盤狂わせがある。松田さんに続いて中島さんが上がり、こちら側も松田サエ子さんと工藤俊枝さんの女性陣が上がれた。さて、ここからが勝負である。僕と高嵜さんが迎え撃つのは、キラーコンドルの異名を以て怖れられる菅谷さん、ユメレンファイターと言われるほどに夢の中でも練習していると本人がいうほど真面目な横田さん、船長時代があったベテランの本間さん、そして何処までも的確に撃ちに来るロングキングの松田さんだ。
高嵜さんとの連携プレイで、最後は行き詰まる攻防戦だったと書いておこう。2手の違いで辛勝した。それでも、白組は全員上がったので、堂々の勝ちとなった。個人的には、これで通算13勝4敗2引き分け。
7階のエアロウオーカーを25分。この時間は、中山キャプテンと航海計画担当の航海長・二宮悟志二等航海士が、ヨーロッパまでの見所解説をドルフィンホールで開催している。シャワーを終えた時、妻はなかなか面白かったわよといって帰ってきた。
昼食には焼きそばが出た。食べ終わった皿と差し替えに、ウエイターのエリーが焼きそばのお代わりをくれた。「ビネガーくださいませんか」聞き慣れた声が離れた席から聞こえた。木島さんがスタッフに頼んでいるところだった。持参している黒酢の小瓶を手に、よかったら、どうですかと声かけた。木島夫妻に黒酢が喜ばれた。
食事が終わってから木島夫妻の席に移った。妻と同じ名前だが、文字違いの桂子さんが、練習しているコーラスをメインショーで聴かせてくれるという。それは楽しみだと小さく拍手。木島さんと台湾駐在の話も聴きたいと、夜の時間を訊ねた。酒は専ら焼酎のお湯割りだという。ウイスキーを口にしなくなった僕としても有り難い。ならば、メインショーの後は、ネプチューンバーで待っていますと約束して立った。昼からは、やること観ること何もない。体がだるいので、昼寝をして体を休める。
東さんからの電話で16時に起きられた。小山先生との夕食席は、我々二人も加えての大きなテーブルにしますということだった。
夕食は、奈良からの宮本ご夫妻とご一緒したテーブルに長谷川機関長が座った。どうテーブルを選択されるのか判らないが、こうして、制服組のクルーが、船客との交流に突然座ることがある。初めての乗船客は、サプライズとなり、喜ばれる。背の高い宮本さんの奥様は盆踊りで目立った方、ご主人は、実直そうな方で、どこか幡豆の叔父に似ている。テーブルに料理が運ばれてくると、カメラを取りだしている。ああ、この方も料理を毎日撮っている方だったのだ。にっぽん丸の料理は、一日として同じメニューは出さないということが評判である。留守家族のためにお披露目をするのだろうか、それとも、下船後に作る参考にされるのだろうか、何人かが椅子から立ち上がっては狙う姿が見受けられる。
「この航路を企画したんですよ」と横浜で見送ってくださった番留さんは、陸勤務になったんですねと、長谷川機関長に話を振った。「人事異動で陸上勤務になると通勤が大変でしょうね」と妻。長谷川さんは我孫子から霞ヶ関に通勤していたそうだ。その時代に、あのサリン事件が起きたという思いがけない話になった。事件が起きた時間の丁度、3つ後ろの千代田線に乗っていたそうだ。当初のアナウンスは「地下鉄に火災が発生」というインフォメーションだったという。「運が強いんですね」と言いながら、「あの神戸の震災時は、長崎港へ出張する日でしてね、津から上六を経て伊丹空港に行って、そこから福岡空港まで飛んだ日だったんですよ」と、もう一つの運の良さを打ち明けた。
長谷川さんは、ご婦人方にファンが多いダンス好きなクルー。「我々はお客様へのサービスを考えることを第一にしていますから、ダンスも仕事ですよ」と照れる。「ショートクルーズでは、業務優先でなかなか時間が取れません。航海日が長いワールドクルーズは、確かにダンス教室に出席する回数は多くなります、ですよ。しかしですね、航海日の長いインド洋辺りでステップを覚えたなと想い込んでも、寄港地が続くヨーロッパに入ると、業務が重なってきます。で、欠席しがちになります。だから、毎年憶えては忘れ、憶えては忘れの連続ですね」と苦笑い。
船で嬉しいのは、展望風呂ですねという話が出た。昔の船員の風呂はですね、と長谷川さん。海水を沸かした風呂に入り、清水(せいすい)の上がり湯で体を洗い流して出るというのが、昔の船だったそうだ。海水を温めると肌にべたべたしないのでしょうかという質問には、まったくそれはないとのことだった。上下の関係が厳しい船の中での新人の失敗談が披露された。「湯量の多い、広い風呂に入っては申し訳ないという気持ちから、狭い風呂に入って出てきていた新人がいましてね、それこそが、一番贅沢な清水の湯だったんですよ」大笑いで終わった。
21時からのメインショーは、森田克子ファイナルショーであるが、コーラス教室受講生の総出演によるコーラス発表会を兼ねていた。名づけて「2006年にっぽん丸・世界の架け橋合唱団」。ミセス木島やミセス高橋、ミセス高嵜などなど、意外に多くの方が出演するので、観ないわけにはいかなかった。受講生が50人以上もステージに並んだのには驚いた。なにしろ、ドルフィンホールの1階の座席の半分が空席になったからだ。東さんのワイドレンズにも入りきれない幅に広がっていた。これほどの受講生が、サロン「海」のスペースにいつも入っていたのだろうか。よく見ると、車椅子の方もお二人参加していた。今夜は、奥方が登場しているので、カメラマン役のご主人方は大忙しで右往左往している。
後半は、森田克子さんの朗読ミュージカルで、「青い星の願い」(作演出・山崎陽子、作曲・小川寛與)。これは平成13年度文化庁芸術祭大賞受賞作品だったという。劇中、スパニッシュダンスのタップや沖縄のエーサなど、歌いながら世界の国を演じ分けた。この森田さん、いつものターゲットは児童、学童、老人ホームなどの観客なのだろうか、世界一周しようとする船が、老人ホームになったような気がしたのだ。
ネプチューンバーで会いましょうと木島夫妻を誘った側が遅れてしまっては失礼になると、早めに出掛けた。中を覗くと、まだ姿がなかった。いかがですか、と部屋に電話してみた。あらためて電話のかかるのを待っていたとのこと。先日の高嵜さんに習って、今晩から紅乙女をボトルキープした。1杯なら700円だが、ボトルは4000円という、大変リーズナブルな価格設定が嬉しい。国外に出るロング・クルーズは、免税アルコールとなるので、節度有る飲み方をすれば、僅かな出費で楽しめるのがいい。ネプチューンバーの窓からは、遮るものがない舳先が見えるし、星空も眺められる。エリーに最初遇ったのは、このバーだった。彼はバーテンダーでもあった。
クルーズのいい点は、夫婦が同時に知り合いになれることだ。木島さんと僕は、同じ年代だった。旧姓高橋桂子さんと北海道出身の木島さんとの仙台学生時代の馴れ初め話が楽しく聞けた。我々も同じ大学同志だったが、学内では互いに知らない存在だった。仙台という土地は、僕にとっては、16年ほど往ったり、来たりの関係だった。大学が文化祭でジョイントしていたのが東北学院で、その後は、競合プレゼンで某社から奪取した企業数社の担当者となって16年間もの長い間出張が続いた。転勤の話になった。エンジニア木島さんは、日本列島を大阪、熊本、台湾と南下していき、NY赴任もしたという。素晴らしいのは、いずれの土地にも家族帯同だったのだ。妻は、その家族転勤記を書いてみたらと、勧めていた。その木島桂子さんは、妻が書いた部分を覚えていて、何度も、その文章を口にしてくれる。180ページもあった本を、こうまで読んでくれている方がいただけでも嬉しい限りだ。
本にあった紅海の油井は、そろそろこの辺りで見られるのですねと質問された。おそらく、明日の夕方には眺められるのではないでしょうかと答えたところで、12時を過ぎたので、今晩はこれまでと、お開きにした。
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