060425.バベルマンデブ湾
フォーマルの昨夜も、夕食後はメインショーへもカジノへも出かけることなく、すぐにカマーバンドを外してしまった。エナメルの靴、いや革靴そのものが既に足に重くなってきているのだ。革靴で大学へ通勤していた日も遠い昔。辞めて既に3年が経つ。会社勤め時代に遡れば6年も過去だ。「K-SWISS」のスニーカーを履きだして26年が経つ。それを「カンペール」に履き替えたり、「アシックス」のウオーキング・シューズにしたりしたことで、足の負担は軽くなった。そうなると、気も緩んで徐々に徐々に楽な服装になっていく。
クルーズのカレンダーには、そうした自堕落な体と真逆に、背筋を伸ばした緊張感を強いられる日が設定されている。非日常の品格?を保つドレスコードの日が、フォーマルデーである。リゾート感覚でカジュアルなリラックスした気分でいたいのだが、そこはそれ、「洋行帰り」とか、「舶来」とか、「豪華客船」とか、ハイグレードな雰囲気を楽しもうという趣向である。フォーマルナイトを楽しむのは、言ってみれば、ご婦人方だ。和服を着て出掛ける機会も、アクセサリーを身につける楽しみも、大胆な色合いを着飾る場所も与えてきていない夫たちが、妻のために付き合ってやる夜となる。革靴から解放されたい気持ちは、妻たちには解らないのだろう。尤も、カリブ・クルーズは、ヤッピー世代をターゲットにしているとかで、実にカジュアルなアミューズメント・クルーズだと聞く。
そろそろ、体が疲れてきたのだろう。休むこと無いデッキゴルフのせいだとしても、運動量はそんなにない。5m間隔の距離を、あたかも箒で掃き掃除をしているようなもの。ショットする姿勢が、いつも使わない筋肉を使っているからだろうか、陽当たりに因る疲れか、いずれ何処かで体を休ませることになろう。
3時に一度目覚めたとき、「嘆きの門」は通過していた。3年前は、潮流の強さに加え、向かい風の強さで、かなり揺れもしたし、時間もロスした。今回は、それを眠っている間に走り抜けていた。6時に目覚めたときは、既に紅海の一番深度のある中央に進んでいた。速度も19ノットと、かなり懸命に走っている。太陽は、雲に阻まれて鈍い光を放っていた。おはようございます、と挨拶を交わす声が廊下から聞こえる。
7時になって、窓に強い光が射し込んできた。妻が起きた。
BSTVは13時のニュースだった。円相場の急激な変動に警戒感を強めていると。千葉補選の小沢民主党勝利で、小泉タレントの人気が冷え始めた感がある。琴欧州の化粧まわしを首相官邸で贈呈式をするとは、人気回復にはなんでも利用したいという総理側の思惑が、焦りと映る。小沢のゆっくりと優しい単語をかみしめるようにしゃべる東北系の話し方が、横浜っ子の政治屋二代目の英国遊学生と、どう対決するかが、これからの夏場所だろう。
八点鍾コメント『本日から航海日の八点鐘は、お客様に鳴らしていただきます。
昨晩、22時30分から23時、バブエルマンデブ海峡を通過して紅海に入りました。1993年にエチオピアから独立したエリトリアの首都アスマラの東南東140海里(259km)沖を、北北西に針路をとり、スエズ運河に向けて航行中です。
今朝4時にソマリアの海賊発生地域を抜けましたので、3日間続けた警戒態勢を解除しました。バブエルマンデブ海峡は「嘆きの海峡」とも言われますが、にっぽん丸にとってはまさに「喜びの海峡」となりました。
インド洋と地中海につながる紅海は、日本列島がすっぽりと入ってしまう大きさです。ところで何故、紅海と呼ばれるのでしょうか。
それは、海の中にある藍藻(トリコデスミューム)という藻類が、光合成をして赤みがかることがあるので、「紅の海」という名がつけられたと言われています。時期としては夏場が多く、動物プランクトンの大量発生で見られる赤潮によく似た現象です。紅海の地理的な環境で、淡水の流入が少なく水分が蒸発しやすいために、塩分が濃く、ペルシャ湾と並んで海水比重の高い海です。
これから2日半をかけて、スエズ運河に向かいます。紅海クルージングをお楽しみください。』
八点鐘の後、キャプテンコメントによれば、不審船と推定した船は、米国の警戒船だったと訂正が入った。照会できなかったということか。ならば、回避した航路のために費やした燃料はロスしたことになる。気温28℃、海水温27.7℃。追手の風。今日も焼けそうだ。
朝食はエリーに導かれて、奥座敷に案内された。今朝は、いつものオートミールをやめて、クロワッサンを手にした。にっぽん丸の焼きたてパンは、とても味が良くて評判がいい。種類も豊富だ。寄港地で下船する際、昼食用にと持ち出す人も多いと聞く。サイドメニューは煮野菜とたっぷりの生野菜サラダ。塩分制限の身としては、美味いスープも、調理された中華系の料理も口に出来ない。フルーツはカリウムの含まれるものは避け、柑橘類か、西瓜となる。ヤクルトは、いつの間にか、シンガポール製になっている。
食事を終えた山縣さんは、パソコン教室の申し込みに行くのでとデッキゴルフは欠席すると言って急ぎ足で出ていった。パソコン教室の受講は抽選になるほどに盛況なのだ。
3ヶ月のロング・クルーズでは、なんと言ってもダンスとパソコンの教室は、お得だ。通常、自宅からその筋の教室に週1回通うという頻度では、その間に色々な誘惑が入って、途切れてしまう。ところが、船室から教室までは、どんなに遠距離でも3分もかからない。受講生の年代も同じ。初めてだとしても、毎日という繰り返しは、体が覚え易い。みなよく知っている。そして、何よりも、無料というところが最大の人気である。しかも、ダンスの成果は、毎晩のダンスホールで実感できるし、パソコン取得の成果は、寄港地からデジカメで撮った写真を絵葉書にして送れる。
デッキにいつもの顔が揃わない。
抽選会で既に当たった松田さんは受講券を手にしていた。撮影したビデオテープをパソコンになんとか取り込んでおきたいそうだ。なるほど、テープの山から解放されたいのだ。いやそれだけではなく、編集ソフトまで買い込んでDVD旅行記が出来上がりそうだ。
横田さんも欠席だという。部屋のテレビで、ビデオ番組を観ておきたいのだそうだ。スエズ工事に関わった日本人企業のドキュメント番組だ。こういう具合に、寄港地に関する知識を航行中に得られるのもロング・クルーズの良さである。なんと、高嵜さんも欠場だというではないか。朝のデッキをウオーキングしていて、濡れた床面に滑って、咄嗟に体を支えようと手を突いたことで、打撲したらしい。診療室でレントゲンを撮った結果次第だとのこと。
我々が心配していると、それ以上に気にしている人がいた。ダンス教室を何度も抜け出てはデッキに出てきて、高嵜さんの姿が探している人が居た。神戸の歯医者さん、川口先生だ。俺の管轄外だからなあと、出たり入ったり。ダンス教室の外側がデッキゴルフの舞台である。
インストラクターの黒川君が代行として加わり、8人がスタートした。ゲームは、菅井、中島、黒川、萩原の後攻赤組が前半、ホールを次々陥れ、独走。工藤、松田夫妻、菅谷の白組の二人をポンド(甲板に描かれてあるイラスト)にドボンと落とし、戦局を有利にしていった。その頃に、ニコニコして片手を挙げながら、高嵜さんが診療所から戻った。
「レントゲンで見てくれたが、高嵜さんの手首はきれいでしたよ、だって」
どっと安心笑い。黒川さんと入れ替わった高嵜さんが登場の場面は、絶好の美味しい配置で、手首の痛みなど感じさせないほどに相変わらずのシャークぶり、敵を次々とフレームアウトさせ、我々赤組が楽勝した。
時間が早く終わったので、2戦目に入ろうと盛り上がる。高嵜さん、腕が思わしくない?からと釈明して、キャプテンを辞退する。高嵜さんが工藤さんとジャンケンをし始めた。松田さんの対抗は仕方なく僕になった。
今度は、先攻白組となった。菅井、菅谷、工藤に萩原。後攻赤組に、ロング・シューターを誇る松田、奇襲の上手い高嵜、ゲートボール審判員・中島に小技のサエ子。これは手ごわい。
白組は、菅井美子さんを先行送り出しで、菅谷さんには、応撃阻止役で残ってもらう。ゲームは後半、赤の松田サエ子、白の菅井美子、互いのシーソーゲームがあり、共にホールアウトした。菅谷、工藤で中島を撃退と考えていたが、スイスイマダムの名の通り、工藤さんがゴールしてしまった。中島さんのもたつく隙に菅谷さんゴール。最後は、敵に高嵜、松田、中島という3人対の独りとなった。中島さんが焦り、助けようとしたキャプテン松田さんが打ち損じてくれたお陰で、僕がゴールとなった。敵失で辛勝した。
今日は、デッキに塩が乾燥していた。床がザラザラと音がするほどで、力をこめて空振りするシーンが多く見られた。これで、本日2連勝。5勝1敗。通算12勝4敗2引き分け。
昼食はいくらか意識的に遅れて出て行った。ゆっくり静かに食事がしたかったからだ。隣り合わせた席は、高校時代の同級生だという女性の方が二人。昔のにっぽん丸には、レストランが2箇所有ったと教えられた。それほどに、古いにっぽん丸の先輩だった。朝は、仲良くダンス教室に通っておられるという。食後、妻は、急いでミニ・ブイのペイント塗りに出掛けた。僕は渡辺登志さんに本のサインを頼まれた。
考えてみると、今回のクルーズは、朝食を食べ、デッキゴルフをし、エアロウオーカーで20分汗をかき、シャワーを浴び、すっきりしてPCを打ち、昼食に出て、また自室にひっこんで、夕食に出る。後は、パジャマに着替えてしまう。3年前はそうではなかった。夕食後にも楽しみはあった。初めてのクルーズだったせいもある。しかし、今度はそうではない。夜の時間に観るもの、聴くものが少ないのは予想外だった。
その原因は“メインショー”と称されるエンタメのメニューにある。やたらに公演回数の多いアルゼンチンタンゴやオペラ歌曲に興味を感じないからだ。
果たして、いま乗り込んでいる船客が興味を持っているのだろうか、疑問だ。会話を聞いていても、それほど東京文化会館系志向には思えない。戦前の青春を過ごした世代なら、(戦後65年目+青春18歳=)83歳という計算になる。若い頃は、ビリヤードで遊び、スクーターに乗り、スキーを楽しんだ父が生きていれば94歳。その父は、ダンスが好きで、タンゴのレコード盤も多く持っていた。手回しの蓄音機から電蓄へ変わる時代だ。
ところが、今回の乗船客の平均年齢が70歳となると、僕の5年先輩だ。影響を与えた音楽は、進駐軍からのスイング・ジャズ。グレン・ミラーや、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシーではないだろうか。ジョージ川口とビック・フォア、渡辺晋とシックスレモンズ、原信夫とシャープ&フラッツ、南里文雄とホット・ペッパーズ、藤家虹ニクインテット、有馬徹とノーチェクバーナ、小野満とスイングビーバーズ、チャーリー石黒と東京パンチョス 奥田宗宏とブルースカイオーケストラも懐かしい。サックスの松本英彦、渡辺貞夫、それにクラリネットの鈴木章治、北村英治だ。ラジオ関東のダンス番組「キャノン・ダンスタイム」での録音中継のフルバンドに耳を傾けたものだ。足を運べば、「アシベ」や「美松」、「スワン」での生演奏か、「日劇」のウエスタンカーニバルだった。
渋谷の「ハッピーバレー」、新宿の「オデオン」、横浜の「バンドホテル」、本牧の「クリフサイド」のボウルルームで、フルバンドを耳にしながら踊った世代は僕らが最後だろう。僕たちの後輩、つまり60歳、ジャスト定年組になると、テレビ番組を席巻した渡辺音楽プロのポッポス・ミュージックに移っていく。
手拍子を打つにせよ、クラッピングの仕方や、体の揺すり方ひとつで、年代差が見える。楽しませるなら、オウディエンスに合わせてミュージック・カテゴリーやアーティストを決めてもらいたいものである。
夕食も、いくらか遅れ気味に入った。話し合わないで食事をするなら、そのほうが気楽だ。案内された席から遠くない位置に東ご夫妻が座っていた。呼び込まれて、同じテーブルに着く。「会いたかった、会いたかったのよ」こういわれて、とても嬉しかった。船が大きいと言うほどではないのだが、なかなか顔を合わせることがない。船内のイベントがある日は、東さんの姿を見かけるのだが、懸命に被写体を追っている眼に、気後れする。こちらも盆踊りの話をしたかったからだ。ところが、機先を制された。
「木曜日の予約は、何かありますか」
「いいえ」
「小山先生がね、ポート・サイードで下船するんですよね、で、
その前日に夕食を先生とご一緒しませんか」
「はい」
小山先生とは、小山茂樹先生。経済企画庁で大臣秘書をし、いまは、東北文化学園大学の学部長をしている。中東問題に関して歯に衣着せぬしゃべり方で、本を読むより、彼のほとばしるような知識知見を受け取る方が面白い。いつも、時間を気にして講義されている。機関銃のような話し方でも、オーバータイムになるほど、語りたいことが多くあるのだろう。聴いていて飽きない。一息ついた時に、言葉を差し込んだ。
「東さん、盆踊りの写真、当たりましたよ」
「ええ?何が」
「誰を撮った写真が引き伸ばされるだろうかと、平野君と賭けたんですよ」
スポーツデッキに組まれた櫓の周りを踊る船客らを、フライングデッキから見下ろしていた時、平野正道カメラマンがやってきた。「東さんが、踊りの輪の中に入っていったね」「東ギャラリーに誰が被写体になってくるだろうか」と投げかけてみた。一回りするまで目を凝らす。
日舞の経験者が3人ほどいるように見える。だが、彼女たちではなく、クルーズスタッフの中に、大学のダンス部出身かと思える女性がいる。日舞にも身体が付いていっている。カジノスタッフの女性だ。平野君と頷きあった。「東ギャラリーが楽しみだ」と。それが的中したのだった。何人も撮った中から、東さんが四つ切りに伸ばしたのは、カジノスタッフの彼女だった。この話をしたら、東さんはお笑いして喜んでくれた。

寄港地のポート・サイードでは、下船の行動にノー・アイディアだった。スークを観に行きたいがどうでしょうかと質問した。歩いて行けますから、現地の人たちが買うスークのほかに、免税品のスークも覗いてみたらどうかと、勧められた。菅井夫妻も同行すると言っていたから、まあ、行けるところまで行ってみよう。
ドルフィン・ホールでのメインショーは、船客による「隠し芸大会」。大会と言うほどに参加者は募ってくれなかったようだ。予め、『カラオケは、ご遠慮願います』と船内新聞に断りがあった。隠し芸の範疇ではないということだ。参加した有志は7人だった。スタートは、スペイン語を巧みに操りながら、船のネタを織り込んだ福岡の古子さんが熱演だった。続いて島原の阿部さんの詩吟があり、歌い込んだ女性のシャンソンあり、「鐘の鳴る丘」をハモニカで吹いた人、しみじみとさせた風の盆、越中おばら節あり、音色の良いマンドリンでナポリ民謡を奏でた若山さん。衣装持参で手慣れたパントマイムの常連客、84歳の浪曲漫談などなどで場内を沸かせた。ところが、すべてを終えた後で、歯の浮くような審査員のコメントが興ざめさせた。特に、圓十郎のコメントは背筋が寒くなった。
「お父さんの歌と掛けて、にっぽん丸の料理と解く、答えは、ウマイ」。
なんてこった、プロの言葉じゃあない。誰のどんな芸にも、これで答えようとする魂胆が情けない。本当に語りを芸にしているプロなんだろうか、師匠に聴かせたいくらいだと、思ったら、…此処は老人ホームじゃあないぞ…という囁きに、客席から失笑が漏れた。いまの芸では、(彼の落語を)聴きに行くのをやめたと言っていた人の気持ちが解る。

「バーの梯子ですね」
「マイクが悪いし、ボリュームも低いしねえ」
「じゃあ、すっきりしてないんだ」
「客に遠慮してるんかいな、あれ」
「カードルームに聞こえるようですね」と誰か。
「プールサイドで歌わせればいいじゃあないの、
あそこ、適当にエコーも効くし、星空も見えるしねえ」
「秋元さん、そうやね、今度、そう提案したろ」
早川さんの提案で、カラオケの場所が、リドデッキに移りそうだ。
ゴルフの話も途絶え、クルーザーや釣りの話に変わった。4杯目を飲み終わったところで、
「今夜は、ネプチューンバー初日ですから、お先に失礼します」
レジへ向かうと、ノー・アカウントだという。止まり木の高嵜さんから声が飛ぶ。
「イイチコの口開けの日だから、僕が払うよ」
「え?ああ、有り難う御座います。明日、デッキゴルフ、腕大丈夫ですか!」
「もち!大丈夫!」
頭を下げて、3階の船室に帰った。11時15分だった。
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