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2008年2月 6日 (水)

060420.モルジブ・マーレ2

昨夜、腕につけたヘチマコロンが効いているようだ。かゆくないので水泡を破ることもない。焼け方が落ち着いている。皮膚の弱い僕に、妻が自分のヘチマコロンを使ったらと勧めてくれた。それが効いているようなのだ。昔、徳之島でロケをした時に、ひどい火膨れを起こした。スタッフだったメイキャップ・デザインナーの木下ユミさん(ユミ・ビュアックス代表)に、「エリザベス・アーデン」のクリームを渡された。使い切っていいわよと言われたそれを塗り込んでみると、皮膚は破れることなく無事に治まった。「面の皮が厚い業界人じゃあないわね、あなたは、皮膚が薄いのよ」褒められたのかどうか、返す言葉がなかった。アンネという会社がまだ存在していた時の「泳げるアンネ」CMロケだった。サン・アドの佐々木隆信をフリーの演出にして、三菱TVに次ぐ二作目の仕事だった。

 

3階の東ギャラリーは、写真が新しく入れ替わっていた。コロンボで東夫妻が心落ち着いたという寺院の涅槃像、差し込まれた僅かな光量を巧く捉えて、美しい。礼拝している人が微動だにしなかったのだろう、ブレも見せない。ここに何時までもいたいと冨美子夫人を思わせた荘厳な金色の堂。もう一枚は、話に出てきた老僧の顔だった。優しいまなざしと日焼けした顔の皺が、人の業を許してくれているように見える。

昨日撮った写真までが、もう掲載されていた。ターコイズ・ブルーの上に延びたモルジブ環礁のコテージを、絵のように切り撮っていた。三色の海の帯が鮮やか。魚市場に出かけると聞いたが、競りが終わった時間だったのか、その魚の写真はなかった。港に係留された漁船の特徴ある舳先が入道雲に突き出ていた。我々の目を楽しませてくれるために、昨晩は遅くまでのプリント作業だったのだろうか。8時までに入る朝食に姿はまだ無かった。妻にそれを話したら、今朝も自分たちが時差間違いで、7時に座っていたのだった。毎日の時間調整は、2台のデジカメを修正したことで、腕時計までも終えたものとばかり思いこんでいた。やれやれ。

 

朝食のお隣さんは、女性同士のお二人。話しかけられることもなく、話すきっかけもないままに終わる。お早う御座いますと互いが挨拶の後、名乗ったり、会話のやりとりがあった3年前と比べ、今回の船客には、どうもそれがない。松田夫妻も菅井夫妻も同様のことを聞く。そうした中、食後の菅井夫妻や本間夫妻がテーブルに立ち寄っては声をかけて去っていく。

もう一度、東ギャラリーを見に3階に上がると、藤川君が、「午後の無人島担当、僕で~す!」と明るい声でドアの向こうに消えた。

朝食後にPCを打ち込んでいるのが、なんと8時である。これまでなら、歯を磨いている時間なのだ。スコールに雷まで付録で光っても仕方がないほどに、早起きだった。

昨夜の疲れには理由があるのよ、と妻が説明しだした。最初の寄港地、シンガポールは夕方で、次のコロンボは雨。そしてマーレで、いきなり強い日差しを浴びたからよ、それに違いないという。では、午後からの無人島は、照り返しもきついだろうから、さらに疲労が重なるということか?

 

9時になった。デッキゴルフメンバーが集まった。顔ぶれを見ると、レギュラーで欠けたのは、菅谷さんだけだったのだ。5万円の遊覧飛行ツアーに飛んでいったのだ。

赤組が高嵜、ミセス松田と僕。対する白は、菅井、中島、工藤、松田の4人。偶数人数が揃わなかった場合、順次に回し打ちするという変則ルールを取り決めた。

2502 居残っている人が少ない船内に静かなものだ。我々の声だけがデッキに響いている。1日休んだ美子さんが、ズバズバとホールを突き進んでいく。ナイターで秘密練習でもしていたのかと、快進撃を冷やかされる。それに引き替え、高嵜、松田、工藤、僕の4人は、どうしたものか、所定のホールを勢い余ってすり抜けてしまうというミスを重ねた。最後は、赤の高嵜キャプテンの采配が当たり、白の二人を残し、赤が全員ホールアウトした。ゴールでの采配は、詰め将棋のようなもの、牽制しながら繰り返すショットを何手で上がるか、先読みの仕方次第である。これで自分の通算は、832引き分け。

 

昼食は東ご夫妻が隣りになった。早速、東ギャラリーについて訊く。高僧と思っていたのは、実は、偶々居合わせた老婆だったと聞かされて、妻が驚いた。仏像はノーフラッシュだと知り、さすがにプロと僕が驚く。

今日の午前中、ドーニーで再びマーレの魚市場を撮りに行った東さんたちは、その足で、モスクにも入ったそうだ。それは、イスラミックセンターのフライデーモスクだったのだろうか。素足になった大理石の床のひんやり感がとても気持ちよかったとのこと。男の墓碑はとんがっていて、女のそれは丸いことを知ったとか、またモスクの裏に、しゃれたコーヒーショップがあったとか、やはり、鼻が効くというか、土地勘が良いというか、見る目が違う。百戦錬磨の報道カメラマンに脱帽。例のアイスクリーム屋にも入って、しっかり食べてしまったと、いたづらっぽく笑う。船内新聞では、避けてくれと書いてあったアイスクリームを食べてしまったのだ。味わいたかった妻が残念そうに聞いていた。

 

昼食を終え、妻は水着を身につける。いつの間にか、僕も無人島に行くことになっていた。だから水泳パンツを短パンの下に付けて出る。日射しは30℃を超えている。日陰の少ない島で、もし日焼け止めクリームが効かないとなると、大腿部から足の甲まで真っ赤かに腫れてしまう。ニベアプロテクトを念入りに塗っておく。

 

1330分、ドーニーに乗り込む。無人島の名前はクダバンドス。45分の距離だ。ホテル所有のプライベートビーチらしい。午後のツアーは29人の参加だ。浅瀬を注意するためだろうか、広い海の下にラインが引かれているように、行き交うドーニーが通過すると、波がぶつかり合って複雑に船が揺れる Dscf0273 Dscf0276Dscf0269マシュマロのような緑の小島が近づく度に、あれかそれか、あっちかと目的地を推量しあう。クルーザーが停泊している一軒家のような島もあれば、水上ビラが連なった大振りの島もある。珊瑚礁だけの未だ若い島もある。

 Dscf0287_2舳先の若い男が立ち上がった。その延長線上にひとつの島が近づいている。やがて、桟橋が見えてきた。目的の無人島は、確かに、こじんまりとしていた。

 

 水も砂も美しいのだが、然し、そこは無人ではなかった。容易く一周できるサイズだからと、歩き出した途端、嬌声が沸き起こった。  Dscf0302 Dscf0301声のする方向へ向かうと、飯ごうで丁度、炊きあがった時だった。チャドルのようにスカーフを被った中に澄んだ目が僕らに見られて照れ笑う。トレーナー姿の地元女子中学生たちだった。引率の先生が、火の始末を注意して回っている。嬌声が時間差で沸き上がる。何処の国でもこの年頃は同じなのだ。

我々には、にっぽん丸のツアースタッフが、案内カウンターを設け、用意された貴重品袋で預かるサービスをしてくれている。シュノーケルは、当初有料とされていたが、10セット30分以内の制限付きながら、無料で貸し出されるようになった。

Dscf0317 妻と菅井夫妻はシュノーケリングをすると、海に入っていった。僕は木陰を縫って、島を一周する。砂浜は二カ所。更衣室とトイレ、それにボトル飲料を売る売店がある。際だってしゃれた手入れがされているふうでもなかった。頭で勝手に描いていた、貸し切りの島ではなかった。また、気の利いたホテルが管理しているとも思えない。しかし、シュノーケリングした妻たちの感想は極めて良く、魚が多く楽しめたという。美子さんと妻は、ほんとに解放されたようで、シュノーケリングを大いに楽しんで喜んでいた。妻がシュノーケリングしたのは、15年ぶりになる。ケアンズのポートダグラスから大型の双胴船でグレートバリアンリーフに出た時だ。沖に仕掛けたポンツーン(浮箱)から、シュノーケリングを楽しんだ時、以来だ。足が攣った僕はすぐにポンツーンに上がってしまった。

 

Dscf0312妻の水着は、3年前、世界一周クルーズに乗船を決めた時に買っていた。然し、寄港地のキーウエストでもバミューダでも、彼女は海に入る機会を逸していた。ようやく4年目に海に入れた水着である。浜からでも海の色が三色に見えたが、潜ってみると冷たさが変わっていったという。荘輔さんは、枝や貝や石や珊瑚をこまめに集めていた。それで、何か面白いものを創るようだ。

 

女子中学生の一団が動き出した。クラス対抗だろうか、クイズに答えたり、先生の号令で、突然ほふく前進させられたり、一斉に歌い出したりして、島を半周している。ガール・スカウトの集団のようだ。歌は英語だった。ここでは4歳から高校生まで英国語を教えているという。「マトメテ、アトデ、シッカリ、マケルヨ」の、あの土産物勧誘の男たちも、英語と日本語のチャンポンだった。モリジブは、全島併せて29万人弱のイスラム教国家である。A島の男とB島の女が結婚することは難しいのだという。「ロミオとジュリエット」のような悲恋歌もあるのだろうか。あどけなくはしゃぐこの子たちにも、やがて涙する時がくるのだろうか。

Dscf0307 16時、島を離れた。早朝から働きづめの藤川君やカメラの平野君は、揺りかごのような船で眠りこけた。仕事だとはいえ、気の毒になるほどの疲れようだった。

 

今夕の展望風呂は混んでいた。くっきりと真っ赤に日焼けした男性があちこちに座っていた。痛々しい。僕なら今夜は眠れそうにないからだ。予定よりも30分早い1730分にマーレを出港した。遠ざかる風景を、湯舟の中から眺めていた。

 

夕食にと部屋を出たら、廊下で菅井夫妻と丁度出遭った。ダイニングルームの入口で、親指を折って4人席を頼む。案内されたテーブルの隣りに、米谷夫妻も座った。久しぶりですねと、ワインをオーダーして6人で乾杯しようとした。美子さんが、「何でもいいから、ねえ、私に乾杯して頂戴!」と、嬉しそうに言いだした。「よしよし、乾杯しようや、美子さん!乾杯~い!」

菅井家の話は、こうだ。ひとつは、曰く「カンタベリー事件」。

昨日、洗濯室でカンタベリー・シャツが1枚無くなったのだ、と美子さん。オーストラリアブランドのラガーシャツだ。今回のクルーズのために、荘輔さんとペアで買った。その彼女のシャツが、ランドリー・ルームで無くなった。クレジットの支払いもまだ落ちていないのよと笑わせるが、実際はショックだったようだ。今夜それが、ランドリー・ルームに戻っていたのだ。嬉しいそれに乾杯してという。

「私のサイズは、外人のLサイズだったからね、かなりでかいの。で、着られないわってんで、戻ったんじゃあないの?」。周りが振り返るほど、笑った。

 

ふたつ目は、「鮪に勝った話」。

昨日、菅井夫妻は、マーレの魚市場に真っ先に行ったという。運良く、マグロが上がってきたらしい。漁師が二人で持ち上げて計量器に乗せた。目盛りがぐっと回って58kgだった。そこで、彼女が思わず叫んだそうだ。「私、勝った!って、思わず言っちゃたの」。

勝ったと言うからには、マグロほど重くはないわって意味なのかと、僕が訊いた。

「勝ったっていうのは、58kgより重いからよ!」「えっ??」

女性は、通常、ダイエットして軽くなったと自慢するのだが、美子さんは違った。これで亭主側の男たちが大笑い。腹がよじれるほど大笑いして、またまた周囲に騒がせた。今夕は、食べたものがよくこなれたはずだ。

 

部屋に戻ってみると、ボーダーフォンのアンテナが3本立った。急いで、パソコンに繋げてメール通信を試みるが駄目だった。念のため、日本の長男に電話をしてみると、通じた。「体調が思わしくない。頭痛がひどいので、MRI検査をした」という。帯状疱疹のほうは、骨髄検査をするかもと。僕の体調がいいと、子供たちが不調で、僕が不調だと子供たちが順調になる。そういうバランスなんですよ、あなたと子供の関係はいつも、と妻が醒めた言い方。思い当たるだけに、返せない。今晩は「星座教室」がスポーツデッキで始まるなと、妻を誘い出す。

 

21時を待っていると、松田さんが近づいて耳打ちする。「423日、予定ありまっか?」「いいえ」「僕の誕生日ですねん。出てくれはります、ご夫婦で」「ああ、そうですか、それは、おめでとう御座います。喜んで」

 

そこへ、船内アナウンスが流れた。「星座教室の時間ですが、今夜は雲が多く、延期いたします」確かに、所々ベールがかかっているようだ。まだまだ、先は長いと、船室に帰りだした。

シャワーを浴びて出てくると、妻は、布を細かく切って、花を作り始めていた。布花創りの材料と道具を、今回も持ち込んできている。このコサージュは、きっと、松田さんへのプレゼントなのだ。

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受信: 2008年2月20日 (水) 13時57分

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