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2008年2月 3日 (日)

060418. インド・スリランカ寄港

0214_2 0218 明け方2時半に目覚める。なぜか不明。二度寝をする。今日は朝食が早いのだ。工業製品の貿易港らしく、起重機やコンテナが積載された埠頭に着岸した。バイトしていた名古屋港と同じ空気を感じる。ここが、クイーンエリザベス・ジェッティ、パッセンジャーターミナルである。名前では、客船埠頭だと言うことだが…。

 

7時に洗顔する。朝食に降りる。どうしたことか、2階のエントランスでは、食堂の前に列が出来ている。朝にこんな光景をみたことはない。7時半なのに、なぜオープンが遅れているのだろうかと腕時計を観る。壁の時計を見てはっとする。自分が時差を直していないのだ。いま丁度、7時になったばかりだ。自分の並んでいる理由がわかった。慌てて腕時計を30分遅らせる。背中で肩を叩く人がいる。

「こんなに早起きするから、雨、降ってきたじゃない」菅井荘輔さんだ。荘輔さんの朝は早いのが当たり前だが、僕が朝食に並んでいる姿は可笑しい。「お早う!」ではなく、「遅よう組」と言われている僕が、だ。

言われて、ロビーの丸窓から見ると、確かに、外は雨だ。インドに下船するのだから、日射しも強かろうと、サングラスを用意していたが、不要になった。

コーディネーターのスニール・ウイックラマさんが眼に入った。念のため、訊いてみた。「これはシャワーですか?それとも、一日中、雨だという天気ですか?」「シャワーデス。昨日マデ天気ガ良ヨカッタ、キョウ、大丈夫。ダイジョーブ」

そう言われても、食後の雲行きはおかしい。4階のプロムナード・デッキへ駆け上がる人が慌ただしい。

01950194_2  埠頭では、我々を歓迎するため、民族舞踊のダンサーたちが集まっていた。太鼓を腹に備えた男の楽士もいた。仮設の民芸品売り場の軒に肩をすり寄せて雨宿りをしていた。やがて、化粧掛けをした象も現れた。雨が小やみになるのを何分かも待った。時間が来た。歓迎の太鼓が一斉にリズミカルな音を刻んだ。雨宿りの軒に並んだまま、踊りが始まった。有り難さと気の毒さが交叉して、なんとも複雑な拍手が、デッキから沸き起こった。

3年前、インドの初寄港地コーチンでは、タラップを降りると、いい匂いのするレイを首にかけられた。女性は、ビンディという赤点を額に塗られた。元は、新郎が新婦に塗る、既婚者としての印だそうだが、今回は雨のためか、下船客にそうした行為は省かれたようだ。船客は、急いでバスに走って乗り込んでいく。

 

8時30分にツアーバスは5台が出る。我々の4番バスが走り出した。コロンボのガイド役は、クマラさん。本人は「荒クマ」と覚えてくださってもいいですと、なめらかな日本語で笑わせる。ツアースタッフは、清水久美子さんとカジノの永井明くん。両替は、いつもの3000円単位ではなく、1000円と少額で良心的。土産物屋では、米ドルもカードも使えますからという。

「ぶらり半日観光コース」は、そのほとんどが車窓からの観光。停車するのは、キリスト教チャペルと博物館それに民芸品屋だけ。シンガポールでの両替のこともあったので、我々は今回は替えなかった。日本との時差は3時間。ボーダーフォンは3本アンテナが立っているので、持ち出してみた。息子達からかかってくるかも知れない。

コロンボ港のゲイトまでには、バスでもかなりの距離だった。狭い通用門でのチェックを受けた後、街に走り出た。

「インド洋の宝石」(昨日は、「インドの涙」と説明されたのだが?)といわれるスリランカ。インドの163の面積である。コロンボ港の西側が、官庁街のフォート街。フォートとは砦という意味で、外敵から街を守るために築かれたものだが、今はそれを見ることはない。東側は庶民の商業地区であるペター街。その正反対とも言える町並みは、街の中にあるベイラ湖とコロンボ港への運河が分けている。福岡と博多のようなものだ。

Pict2472_2 街の高層ビルは、ここでも、保険会社と銀行とホテルだ。バスは、フォート街の野菜市場から、ヒルトン・ホテル、ガラダリ・ホテルを抜けて、インド洋に面した海水浴場に向かった。荒い波が押し寄せている浜辺には、コカコーラのロゴが遠目にもよく読み取れる大きさでプリントされた六角形の屋根を持つ休憩所が点々と設けられていた。バスの窓には雨粒がついていて、あいにくと写真は撮りにくい。鉄道の踏切を越えて、バスはペター街に入った。正月明けで商店は未だ本格的ではないと聞かれていたが、それでも日本人の目でみると、混雑を極めている。長距離バスも集まるバスセンター辺りに来たときは、バスの車幅すれすれに車や人が往来し、今にも交通事故が起きそうな、喧噪さだ。それは、言いしれないエネルギーを発散しているスポットでもある。それでも、バザールとか、青空市場などがある市の中心部からは、一番はずれに位置するという。此処は、東京の上野か、ローマのテルミナか。地方から入り込む人、遠くへ出かける人が集まるので、到着した人が買い求める雑貨品と、持ち出していく土産品の店が立ち並んでいた。連なる店が、実に鮮やかな色彩を放ている。

 

スリランカでは48日から15日まで正月だったのだ。「オトツイマデデシタヨ」クマラさんは、達者な日本語で説明してくれる。満月の日は、国の祭日となり、酒場も映画館も法律で休業となるのだそうだ。お釈迦様の生まれた日、悟りを開いた日、亡くなった日、これらが満月の日だったことに依るものだ。

 

街の中は、十字路の交差点よりもロータリーが多い。最も使われる交通機関はバスだというが、互いに数10センチをすり抜けて走る。この街の市内バスのドライバーは、さぞかし、目も肩も足も疲れることだろう。なにしろ、手押し車や牛車からオートバイに、ゆっくり歩く歩行者らが堂々と同じ道幅を動いているからだ。

Pict2490 フィリピンで走るジープニーよりも小型のスリーウイラー、つまり三輪車のタクシーが所狭し、と走り回っている。単車に座席をはめて幌をかけたタクシーだ。規定では二人乗車だと言うが、よくみると、大人3人の他に子供を膝の上に載せているのが見える。相当な重量に50cmほどのタイヤが悲鳴を上げながら回っているようだ。前照灯は前輪タイヤホイルの上、地上から70cmくらいだろうか。これで、夜間、スピードを出して走ったら、路面を照らす幅も距離も光が届きにくいだろう。信号機も少ない街では、交通事故が毎日どれくらいだろうか、気になる。観光客には5倍もふっかけられるそうだから、目的地と経路に気をつけてくださいとクマラさんは苦笑いする。本日は、出港時間の関係で、乗る余裕がないので幸いですと。

屋外広告では、トヨタのヤヌス(日本でのヴィッツ)をよく見かけたが、ここスリランカでは、三菱車のほうが人気だそうだ。韓国車ヒュンダイも見かけるが、圧倒的に日本車が多い。しかもそれが、きれいだ。理由が判った。3年以上の中古車は輸入禁止になったという。中古車に違いないが、日本の町の名前を書いたままの消防車を2台見た。車の税金は300%。中古の1000ccマーチで150万円。1500cc以上は税金も跳ね上がるそうだ。ガソリンはリッター当たり88ルピー(1ルピー=125円)だから、110円。日本と変わりない。正月が終わって、一気に8ルピーも値上がったらしい。BSTVによると、日本でも131円。6週間値上がりが続いていると報じていた。GWにはさらに値上げが心配されるだろう。

カレーの素材や香辛料を売っているスパイスマーケットを通過した。野菜市場は、片付けが始まっていた。ここ、スリランカのバナナは、赤いバナナなども含め10種類以上もあるそうだ。ヤシの実は二日酔いに良いという。メキシコでサボテンの汁が下痢止めに良いというように、その土地、土地での植物が薬になることを知った。

魚市場も通った。スリランカは、蟹やロブスターがよく獲れるという。商店街にある屋根は、おおかたがスレート瓦か、半円瓦だ。それも、アバウトにずれた瓦の置き方だから、今日のような雨の日は、さぞや雨漏りがひどかろう。街の中は、くるぶしまで泥水の中を歩いている。シャワーが頻繁にある国なのに、街を歩く人たちは、今日の雨に小さな携帯傘を手にしている。ロンドンではステッキ代わりに傘を持つ。パリでは傘をさすのを野暮と言う。熱帯性モンスーン気候のスリランカでは、なんと携帯傘をさす。男性が手にする多くが、やたらに大きい派手なロゴ入りの傘である。例のゴルフ傘である。ここは、ゴルフが盛んなのだろうか。ほほえましく思えた。いつか、日本のゴルフメーカーのロゴ入り傘が氾濫すると面白い。

その日本人は、かつて3000人ほどいたが、大林組のプロジェクトが終了したので、いまは半分ほどだろうかと、クマラさん。

家具屋の多い通りを抜けると、倉庫が並ぶ問屋街のようなエリアにバスは走り込んだ。車窓から見ると、野菜や穀物を運び込んでいる荷役の男たちに裸足が多い。彼らは晴れた暑い日でも裸足で歩く、もう靴など履けないのだとクマラさんはいう。

 

クマラさんのマイクは、説明を続ける。国立系の病院が無料である。公立の学校は、1年から10年まで宗教別に分かれ、さらに男女別に分かれている。大学は5年制で、宗教の別もなく、しかも男女共学。但し、大学内に教会、モスクなどそれぞれの礼拝堂があるらしい。授業は午前730分から始まり、午後130分には終える。尚、国費で卒業した大学生は、5年間は公務員として勤める義務がある。スポーツは、クリケットが一番人気だそうだ。

結婚については、昔のようなカーストもないし、宗教による束縛もない。新郎、新婦がどちらかの宗教に改宗するだけである。僧侶は約1万人いて、彼らは結婚できず、朝昼の食事以外、夜は飲み物のみの生活である。各寺には象がいるという。理由を聞きそびれたが、象は神の象徴だと言われているようだ。

世界の頭脳になりつつあるインドの台頭は、人々の生活感も変化をしてきている。頭からサリーを被っている女性は回教徒だが、最近サリーを着る女性は減少しているらしい。このため、学校の女教師にはサリーの着用が義務づけられているという。女性が初めてサリーを着るのは、初潮を迎えたときで、母親がプレゼントし、着付けを教えるのだという。サリーは幅約12m、長さは56mから10mの一枚布。布地を裁断することなく身にまとうことこそが、本来の清らかさだとされている。昼は明るい色、夜は落ち着いた色を身につける。しかし、白は未亡人の色だそうだ。

 

Pict2479 Pict2484 バスは、再び、最初のフォート街に
戻ってきて、ウオルベンダール教会に停車した。古いキリスト教会だと聞かされる以外、下車しても、その先は何も説明もなされないままチャペルの中に入ることになった。ミッションスクールで学んだ僕は帽子を取って入ったが、多くの船客たちは被ったままだった。中では、先生に引率された地元の小学生たちが神妙に座っていた。いきなり、ぞろぞろと年配の日本人夫婦の団体さんが繰り込んで来たので、きょとんとしていた。妻は、その子供たちと話ながら写真を撮っていた。腎不全治療のため、毎朝、利尿剤を飲んでいる僕は、バスツアーに出ると、困ることになる。急いでトイレを探した。見つけて入ったものの、教会でありながら、水も出なくて、前の人の便が残ったままだった。目を反らして用を足したが、抗菌ウエット・ティッシュを持ち歩いていて不潔感は拭われた。御婦人方は、そんな目に遇わなかっただろうか。結局、この教会に停車した意味は、トイレ休憩になっただけだった。3年間のサンディエゴの公園でバスが停車したケースと同じことになった。観光地に寄ったはずだが、誰も不満を口にしなかった。トイレ休憩にしても、場所選定には不適切だった。

 

選挙の後だろう。街の至る所に選挙ポスターが貼られてある。文字は3種類。シンハラ語、英語、タミル語。デザインスペースに文字を随分取られるなと思った。映画もTVもそうなのだと、クマラさんは言う。台湾語(福建語)、北京語を併用する台湾のTV番組のスーパーインポーズを思い出した。九州と北海道の中間ほどの面積に人口が約1800万人。70%がシンハラ人、20%がタミル人。シンハラ人が仏教02070206信者だ。町角にお地蔵様があるように、コロンボでも菩提樹の下にお釈迦様がいる。車窓からはカメラに納めることはできなかったが、次に停車したコロンボ国立 博物館の庭でそれを撮ることができた。場所は、ベイラ湖の南端に位置する。

  ガジュマロの大木の蔦が10mほども垂直に垂れ下がって、白亜のコロンボ国立博物館の建物を荘厳に魅せていた。内部はフラッシュ禁止。撮影料は160ルピー。カメラをバッグに入れることで、撮らない意志を示せば、料金を払う必要はなかった。内部は、保全のためか、薄明かりに近い照明である。その昔、石像だった仏像が、後に石から木像になり、そして青銅に変わっていく課程が見られた。

人体の形にくりぬいた細長い石の写真があった。この中に薬草などを入れ、すりつぶして薬を作ったのだそうだ。人の病を治すことを念じながら、調合したのだろうか。また、精緻な装飾をほどこした剣の素晴らしさは驚くばかりだった。反対に、銃は銃身よりも銃床があまりに大きく重く、狙いを定めるにもかなりの腕力が要っただろうと思わせた。

何処の国、何時の時代も、同じように矢羽を付けるという知恵は、どうして思いつくのだろうかと思ったりする。祭りの仮面が多く展示されていたが、よく見ると、日本の能面にそっくりな面相がある。不思議なものだと感心する。

護岸工事の断面を見せた模型があった。堤防に積まれた石垣が湖水を自然濾過するフィルター効果を果たし、まだ肥沃な畑の水として循環していくという、ハウステンボスで施工している造成工事を既に、この王の時代に採り入れていた。このコDscf0202ロンボ国立博物館が、HSBCの支援により運営されていることを謝しているボードがさりげなく置かれてあった。HSBCは、英国領・香港で立ち上がった銀行で、現在ロンドンに拠点を移したが、全世界的規模の銀行である。我が国の銀行が、由緒ある建造物や施設の運営に、こうした貢献をしている事例を余り知らない。

 

車内からひそひそ声が漏れている。「スパイスが買いたいわ」「サリーの生地をテーブルクロスにしてみたいの」「どこかに寄ってもらえないかしらねえ、出港時間が迫っているわよ」「コースに入ってないのじゃあないかしら」にっぽん丸のツアースタッフの耳にも届いたのだろうか。「皆様を特別なお店にご案内いたします」

バスは、一戸建ての瀟洒な屋敷に停まった。民芸店に入った。象の彫り物、縫いぐるみからサファイアー、紅茶など、小部屋に分かれた売場で船客は先を争って買い出した。その輪には入るまいと、妻を促して2階に上がった。個人の邸宅だったに違いない、仕切りの多い小部屋のひとつに入った。タペストリーになる布を見て回った。その中からバティック染めのタペストリーを1枚買った。何羽もの鳥を描いたものだった。約1万円した。熱海の家の3階から下ろす飾りに、変化が生まれる。スリランカの国鳥は孔雀だが、国旗にはライオンが描かれている。しかも、この国には豹はいるが、ライオンは存在しないのだ。不思議なのでクマラさんに質問した。答えは、ライオンと母親の間に生まれた子供が、スリランカを建国した王であると言い伝えられてきたためだという。我が日本の天皇家は菊の紋だが、国花は桜だわよ、妻が一言囁いた。

 

かつてポルトガル人はシナモンを求めてやってきた。やがてイギリス人が、コーヒー・プランテーションを拓くが失敗したことで、紅茶に切り替える。セイロン茶畑は、霧のかかる山の中にある。このとき、インドから労働力としてタミル人を送り込んだことで、タミル語はスリランカの国でも通用するようになった。その積出港がコロンボとなり、インド洋有数の港街として成熟していったわけだ。その貿易拠点となった港湾都市、コロンボ港は、植民地時代の面影が今も建築物に残されている。赤煉瓦で立てられたビル、半円のドーム型回廊、コロニアルな町並みは、オランダからイギリスの植民地へと歴史が刻まれた、インドの元首都だった。

 

クマラさんの日本語の上手さを訊いたところ、25年前に1年間日本にいただけだという。

「何処で憶えたのですか?留学生でしたか?」

「イヤ、陶器ノ販売ビジネスマンデシタ。名古屋デシタ」

「瀬戸ですか?瀬戸物の?」

「ハイ、ソウデス」

「僕も愛知県です、名古屋です。名古屋港の近くに住んでいました」

「ソウデスカ、港区デスカ」

「流暢な日本語ですね」

「ソウデスカ、恐縮デス。有リ難ウ御座イマス」

どうだろう、1年間だけの名古屋滞在で、それ以降は、スリランカだという。なんと、「流暢」「恐縮」という言葉を理解できるのだ。その日本語習得の並々ならぬ努力に驚かされた。こちらが恥ずかしくなった。

 

港が近づいてきた。彼が最後にマイクを手にして別れの挨拶をした。

「皆サンノ、コロンボデノ滞在時間ガ少ナイト、空ノ天気モ嘆イテイマス。コンドハ、1週間クライ私ニ案内時間ヲ下サイ。マタ是非、スリランカニオ越シクダサイ…」

なんだか、クマラさんの言葉に、バスの中は、感動してしまっていた。握手攻めにあって、クマラさんは、嬉しそうに体をよろけていた。

 

予定は15時だったが、船は1330分に出港した。現地ガイドの人たち、バスのドライバーたちは、姿が小さくなるまで手を振ってくれていた。皮肉なことに、雨はようやく上がったのだ。しばらくして、すぐに揺れが大きくなった。船までが、体を揺すって手を振っているようだった。しかし、それは、外洋に出たからだ。

 

夕食では隣りの席に、東さんと皮膚科の中野医師が案内された。ミセス東は、夕食を抜くのだそうだ。

本日の東ご夫妻の歩かれたコースを聞いた。シャトルバスが着いたガラダリ・ホテルで、真新しい車体のタクシーを3時間チャーターしたそうだ。目的地まで濡れずに移動できたので、大変効率が良かったそうだ。靴を脱いでガンガラマという名の寺院に入ったそうだ。焚かれていた御香が何とも言えない品のある香りだったそうだ。奥様はずっとこのままそこに居ても良いと言うほどに気持ちがすううと落ち着けたそうだ。来た甲斐があったと大喜び。どんな写真がギャラリーに追加されていくのか、いまからとても楽しみだ。

話は続く。ガラダリ・ホテルでの食事はカリー。デザートの後の紅茶が、さすがにいい味でこれまた嬉しかったと、これまで見たこともないような柔らかい穏やかな笑顔だった。スリランカの時間は、お二人にとって最高だったんだと思えた。旅慣れている東さんは、いつも用意周到に太陽の光と、街の小路を計算して歩いておられる。我々もツアーバスをガラダリ・ホテルで下車することもできたのに、不勉強で、帰船してしまった。妻はお茶の一杯も飲みたかったという眼でこちらを刺している。

最後に、これからの寄港地の楽しみを訊いてみた。船に詳しい中野先生は、ドイツ船団が通過したキール運河だよと言われ、東さんは、日本海軍の駆逐艦に乗られていたお父上を偲んで、マルタ島だという。寄港地の中で、最大の楽しみだそうだ。また、東さんなら、タクシーを飛ばして、我々の知らない処をカメラに収めてこられるに違いない。映画「シリアナ」のロケ撮影が、そのマルタだったはずですよね、と僕が差し挟んで、食事に時間は終わった。

 

21時からサロン「海」で落語を聴いた。枕が巧くできていないせいか、今回も、「本題にどうやって繋げていこうか、話ながら考えているんですよ」と、言い訳が入る。呆れて笑う気もしない。真打ちになったプロにあるまじき口。「間男」の下げも、途中で見えてしまうほど、話し下手。客が状況に入り込めない。水割りを飲みながら聴いている客がいた。初めての光景だった。

 

寝る前に、ボーダーフォンのアンテナが3本立っていたので、メール通信ができるかもしれないと試みた。結果は駄目だった。明日のモルジブは、環礁の中である。船室からの直接交信はしばらく途絶える。

目覚めれば、エメラルド・グリーンの海に囲まれているのだろうか。

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