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2008年1月

2008年1月29日 (火)

060417.インド洋2

朝目覚めると、体の何処が痛いのかをさする。デッキゴルフをこのまま続けていっても良いものやら、体に相談するのだ。なにしろ、先回(03世界一周クルーズ)は、パナマ運河を抜けた時から日本帰港までの22日間、毎朝デッキゴルフに没頭したものだ。今度は、03年組の工藤さんや高嵜さんが乗船すると聞いて、互いにデッキゴルフを楽しもうと言い合ったのであるから、なんとしてでも、全行程続けて降りたい。だが、気をつけたいのは、節約を念頭に乗船したからには、船内のマッサージ師の手にかからないことも心がけたい。横浜から、左座骨から大腿側部に張りがある。バンテリンをたっぷり塗ることで筋肉痛がとれるものなら、そうしたい。

 

アジアンナイトでのディナーは、ブッフエ形式のため、減塩特別調整料理などはない。だからというわけでもないが、ついつい大好きなトムヤンクンスープやカレーも口にした。その割に下肢のむくみは、さほど出てこない。これは、腎臓機能の回復を助けてくれるからと、長男に勧められた「刀豆茶」を飲んでいるおかげかもしれない。利尿効果も高いのか、ツアーに出ると、小用は妻よりも頻度が多いのが明らかだ。

昨夜、時差調整があった。部屋の時計が午前2時になると停止し、真夜中に時差調整をしてくれる。朝起きると、まず腕時計を忘れず、チェックする。これで、シンガポールとの時差は2時間30分となった。つまり、日本との時差、35時間だ。西回りになると、時間が延びるので、体は非常に楽である。船内は、小刻みな時差調整で、寄港地に会わせていく。西回りで航行する船旅の嬉しさでもある。ベニスの商人たちの南下、東回りの通商は、遥か先の国で得る香辛料などへの期待を持たせたとはいえ、かなりの疲労感だっただろうな。いや船足が緩い分、さほどでもなかったのか。

 

6時半でも夜が明けない。7時半。船室のナビ画面は、緯度6度のままである。アチェ北部の位置から定規で引いたように、真横にまっすぐの航跡を示している。ゆっくりと、ゆりかごのような、おきなうねりが朝から続いている。サイクロンは南インド洋のほうへ去りつつあるという。

スリランカの近くになってきた。176ノット。315km。昨日よりも雲が白くなってきた。水分が取れてきた証拠だという。気温285℃、海水306℃。

 

八点鍾『穏やかな風が吹いています。現在、ベンガル湾の南、スリランカの東、約210海里(390km)を西に向かい航行中です。06:00ではまだ夜明けが来ない日が続いています。夜明けが遅くなっています。現在の経度8513分で言えば、南中を12:00とすると、グリニッジ標準時から5時間半の船内時間を採用すると丁度良いのですが、実際は6時間半です。したがい、1時間天体現象が遅くなっているわけです。スリランカの標準時に合わせる為、今晩は1時間時計を遅らせるので、お得になります。

世界一周をして合計24時間遅らせて得した分は、太平洋の日付変更線で1日返上しなくてはなりません。この日が誕生日の方は、歳をとりませんね。

海のシルクロードを表すように、水平線上には毎日行き交う船が見えています。スリランカもインドも、海のシルクロードの中継基地として栄えてきました。昔 はマラッカ海峡からスリランカに直接向かえない船は陸沿いに北上し、ミャンマー、バングラディッシュ、インドの海岸線を経由していました。大航海時代に思いを馳せながら、本日もインド洋の航海を楽しんでください。

今晩真夜中に、スリランカの最南端、ドンドラ岬を通過。その1時間半後に、港町ガレの3海里(5.6km)沖を通過して、明朝コロンボに入港します。

 

朝食を済ませてデッキゴルフに向かう。両腕には、日焼けによる水泡が出始めた。アロエクリームを塗って湿潤さを補うが、何処まで潰れないで保てるだろうか。

デッキには、昨日の堀田さんも現れた。新しいメンバーに、今朝は、あの山縣さんがついに来てくれた。組み合わせだが、やはり、オセアニア鍛錬者の松田さん、高嵜さんにはキャプテンとして互いに分かれてもらうほうがいいですよね、と自分の力不足を反省して提案して、受け入れられる。

僕は、工藤さんとジャンケンをする。結果、赤組は、松田さんをヘッドにして、菅谷、菅井、堀田の5人となった。床面のコンディションは、昨日のミズスマシから一転、乾ききっていて、滑らない。黒川くんの指導でしばらく練習してもらったが、山縣さんが意外にもすいすいと先行していく。誘った側としては安心した。

我々赤組は、堀田さん、松田さんが先行し、菅井美子さんがもたつき、僕が援護に残る。工藤さんは、天敵だった高嵜さんが味方になったせいか、余裕がある。いつものように先行せずに今日はじっくりと援護役に回っている。

ミセス山縣がペットボトルを持って現れた。病気気味の山縣さんが楽しんでいる様子に安心されたようだ。美子さんが2番から3番へのホールをコース間違いして、真反対の5ホールを目指してしまった。これは、かなりの道草、ロス。かくいう自分も、敵のパックを踏み石に利用しきれず、ショットミスが重なり、敵に何度もコーナーへ弾き出されてしまう。救援に戻ってくる松田さんにも負担が増す。菅谷さんも敵の排除に苦労している。途中、左舷前方に竜巻が現れたが、誰も心配する顔はない。P10003088

最終局面では、赤白、ゴールを狙う三人対三人のにらみ合い。焦りがミスショットを誘発し、敵にフレーム外に打ち出され、休みとなり、打順が遅れる。その間に高嵜さんが上がり、紅組は負けとなった。通算632引き分け。

 

P10001447階に上がってエアロサイクルを漕ぐ。ふと横を見やると、一番にゴールした山縣さんが漕ぎに上がってきた。負荷7で、25分。両腕が汗を吹いて水泡が皮下から白くふくらんできた。潰さないように、シャワーを慎重に浴びた。妻は、麻雀が巧く行かなかったようで悔しいなあといって帰ってきた。ミセス木島も難しいわと言い出したそうだ。乗船すると、女性達は、麻雀教室に通って遊ぶ人が多い。

 

 

昼食は、また、センターテーブルに案内された。先客は阿部夫妻。島原の方だった。これまで一度もお会いしたことがなかったご夫婦だった。と言ったら、ご主人から、「奥様とは、麻雀教室で一緒ですね」と返された。妻は、あっと声を上げた。気づいた。

阿部さんのお宅には、ザボンの木が2本あるということから話がほぐれた。島原なら、自分の知り合いに、大きなザボンを送って下さったT建設の社長がいると話した。当然ながらご存じで、皇居の清掃奉仕の旅行にも、一度一緒に来られたらしい。都会的で慶応ボーイの雰囲気を持っていらっしゃる方だと思ったら、ホントはとても和風な方だと、奥様が笑いながらおっしゃる。その落差の謎は、これから徐々に教えていただこう。

 

1330分からスリランカ入国の説明会が行われた。ガイド役は、ツアーコーディネーターのスニール・ウイックラマさん。日本では名古屋に勤めていたが、故国で旅行社の社長になり、映像制作会社も経営していると紹介があった。関テレとの専属契約もしているらしい。自ら撮った写真をスライドショーにして、説明をしてくれた。

スリランカは、「インドの涙」といわれ、九州ほどの国土に1800万人いる。国旗の中心は象。四隅にはお釈迦様が悟りを開いたと言われる場所の菩提樹の葉。オレンジの帯は仏教を洗わし、緑の帯はヒンズー教を表すと説明があった。

国立の教育機関は、小学校から大学まで無料、病院も無料だそうだ。高い山は2650m。滝が多く、水は清らか。かつお、かじきまぐろの獲れる島で、米作は年間2回の収穫ができるそうだ。インドカレーの香辛料は匂いがあり、スマトラカレーは匂いよりも香辛料の辛みがきついという。朝はナンでも、昼食夕食は何種類にも調理されるカレーを口にするという。右手でつまんで混ぜ、親指で食べる。手のひらにはカレーがつくことはないという。スリランカには、虎は居ないが豹がいる。ダイヤは採れないが、サファイア、ルビーがある。こう聞いてくると、インドと離れた島には、クイズネタが色々ありそうだ。

それにしても、朝のニュースが伝えたという、スリランカでの自爆テロが気になる。インドではニューデリーで、トルコではイスタンブールで、それぞれ爆弾テロが起きているNHKの「海外安全情報」が報じた。

 

夕食は初めて右側外通路側の二人席に案内された。一席置いて米谷夫妻。とどうだろう、なんと、間に菅井夫妻が座った。これで顔見知りが並んだ。

僕たちの右隣のご夫婦は、話しかけても、ひとこと答えて終わってしまう。なかなか話が繋がっていかない。チーズの盛り合わせを、「ケーキ菓子みたいね」と言い、ワイン煮の牛の頬肉を「缶詰みたいに柔らかいよ、お父さん」と二人だけで言葉を交わす。とりつく島もない。今回の船客は、大人しいのか、話したがらないのか、名前も出身も容易に掴めない人が多いですねと話したら、東さんや高嵜さんも大きく頷いてくれた。

 

メインショーを観に行く。森田克子の独りミュージカル。初めて聞く名前だった。大阪の音楽大学卒だと自己紹介。「朗読ミュージカル」という新しいジャンルを創ったのは、評価できる。最近亡くなった作曲家小川寛興の曲は、「ジューン・ブライド」の曲以外、さして心には刺さらない。ただ、声の出し方に、森田克子さんの演技の幅を面白く感じた。台詞回しに関西弁を交ぜた山崎陽子のシナリオがいい。ストーリーが、ニューヨークのプラザホテルだった点も面白かった。「夜明けの卒業式」は、タイトル勝ちだった。あと1,2回のステージがあるのだろうが、他に持ちネタが客を惹きつけておけるかどうかだ。

 

3階のツアーデスクの背に、東さんのフォトギャラリーが今回も設けられた。その1枚に目が釘付けになった。参った。神戸港のセレモニーで、船長との三役が白い制服で立つその背後のガラス窓に、にっぽん丸の乗船客の振る日の丸の小旗が何本も映っている。ワンショットの中に2場面の絵を描いたとも言える見事なショット。キャンバスの中に都合良く景色を取り入れるといった画家の自由な発想を、リアルな中で切り取ってきた構図だ。もう1枚の写真も、なるほどと納得した。離岸の時に空に放たれた風船を瞬時に捉えながら、KOBEの文字を入れ込んだコンポジション。手前にカラフルなテープが強調されているのは、ワイドレンズの巧さだ。無理な姿勢でプロムナードデッキの手すりにじっと潜り込んでいた東さんの姿を思い起こした。何度も撮り慣れているだけに、新しいアングルを探す楽しさと苦しさが見て取れた。これから、このギャラリーが楽しみになる。

 

午前に出現した、あの竜巻は素人のカメラでは、明度彩度共に不鮮明、しかも遠すぎて、800mmクラスのレンズが要るなと諦めた。東さんなら、デッキの何処かから狙っているだろうな、と思っていたら案の定、四つ切りに引き延ばされて額に入ってきた。

Img_0294同じ3階の左右壁面には、船客の記念撮影「船属」の平野カメラマン(ドルフィン・スタジオ)による写真が展示されている。1840円で買うものである。寄港地にカメラを持って出るのを忘れても、平野氏を呼び止めてポーズをとれば、専属カメラマンとなる。

中に、木島夫妻のダンスシーンが撮られていた。妻がそれをミセス木島に教えた。撮られたことを知らなかったらしい。ところが、話はそれで終わらなかった。

「私たち、気楽にダンス曲の乗って踊ろうかとしたのよ、インフォーマルの日だったし。ところが、周囲の方々の踊り方に驚いてしまったの。あの手を広げてシナを作って踊るスタイルに体が当たって、途端に、踊る気持ちが萎えてしまったわ」

やはり、あの気持ちが出てきた。妻はこういったという。「3年前、私たちも同じ気持ちになったの。で、それから夫は踊らなくなったの。ちょっとばかり、夫と久しぶりに踊れるのが楽しみだったのにね」「そうよね、せっかくのダンスタイムが、ダンス教室の延長みたいで、喜楽に踊ろうって気持ちより、肩身が狭かったって気分」

日本の船上のボールルームが、肩肘を柔らかくする日はまだ来ないのかなあと思った夜だった。

 

明日のスリランカ、コロンボも思いの外、せわしない滞在時間だ。寄ったぞというだけの短さだ。番留さん、寄港地の数を増やすパンフレットでの売りですか。それとも、会社側との停泊費用の問題ですか。「船内でゆっくり、寄港地ではせわしない」これが続くのでしょうか。

星野さん、アルゼンチンタンゴ、ソプラノ、オペラと、古めかしい音楽では気分がめいります。せっかく、夫婦が俗世界から離れて、気持ちを若くしたいのに、どんどん年寄り気分になっていくという矛盾を感じています。もう少し、青春時代を思い出させて貰えませんか。

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2008年1月25日 (金)

060416 インド洋1

 八点鍾コメント。『スマトラ島の北、アチェ州沖を深夜通過して、マラッカ海峡からインド洋へと入りました。アチェ州は一昨年の海底地震による大津波により、多くの犠牲者を出しました。ここにご冥福をお祈りしたいと思います。現在の位置は、スマトラ島の西端から180海里(333km)。震源地から北西方向に300海里(556km)です。スリランカまで、緯度6度をほぼ真西に進路をとり航行します。


 空模様は、積乱雲と中層には厚積雲がたれ込めて、いつスコールがきてもおかしくない天気です。湿度も95%あります。現在横揺れしていますが、これは遥か1,200海里南にサイクロン「エリア」が発生して、発達しながら南西方向に進んでいます。その影響でうねりが伝わってきています。このうねりはスリランカまで続きそうですが、大きくなることはありません。また、発生したサイクロンとの距離は、日本とグアム島までの距離とほぼ同じくらい離れていますからご安心ください。


 この辺りの海域には懐かしい思い出があります。練習船時代、ボート帆走訓練をしていた時に、鯨の群れが10m近くに出現し、潮を吹きかけられました。とても怖しく驚異的な体験でした。本日も鯨が出るかもしれません。』

 

船足は165ノット。遅いのは、強い潮流に向かっているからだそうだ。太平洋からインド洋に入った。ここは、様々な風が寄り集まってくるエリアらしく、湿度も95%に達している。波動は30cmだが、船に対して横からのゆっくりとしたうねりが出ている。南から大きなうねりが出ている。1.5mの長い波長は、1200海里、200km南にサイクロンが生まれているからだという。

ランカウイ島、プーケット島を北に、2004年暮れの津波で30万人もの犠牲者を出したアチェを南に、その間を真西に一直線でスリランカに向かっている。


 東京では、「ゆりかもめ」のタイヤ脱落事故による運休で、94000人に影響が出ているとBSTVは伝える。外国からの攻撃に備え、海の中に礎石を埋めて大砲台を設置した「お台場」が、現代建築の技術力で広大な干拓地域を作り、フジテレビがシナージ効果を生んだ東京のアミューズメントエリアだが、レインボーブリッジや「ゆりかもめ」に事故が起きれば、陸の孤島になりかねないと、常々言われてきたものだ。94000人を乗せてきた無人運行の列車は、事が起これば、ちょっとしたポリティカルな小説の舞台になる不気味な地域でもある。

 

朝食には遅れ気味で入った。慌てて食べる。部屋に戻って、アロエ・クリームをしっかり塗って、船尾に急ぐ。新しく、背の高い方、堀田さんが参加された。

スタッフの黒川さんも入り、偶数人数になった。我々の白組には、堀田さんが加わって、レギュラー工藤、松田夫人、中島の5人となる。デッキ面は、水が溜まっている。パックはミズスマシのように走る、走る。距離はいつもの23倍延びる。

P1000199 4ホール目で、とうとう、スコールに見舞われた。こうなると、なかなか思うようにパックが止まってくれない。中断するほどの強い降りだが、誰もやめるとは出さない。時折、水平線に稲光が数本突き刺さる。眺めている限りでは、美しい風景である。

 菅井美子さんと僕がブレーキになった。これ幸いにと、敵が押し寄せてきた。僕が集中放火を浴びて、敵の打数を稼いでいる間に、松田夫人、工藤、堀田、中島の各氏には、5ホールに向かってもらった。堀田さんは、ゴルフもビリやヤードもやらないというが、毎回、自力でホール・イン・ワンを目指して狙い打ちをする。思い切りがいい方だ。続けて参加してもらいたいものだ。

ミズスマシ状態のゲームは、我々白組が全員ゴール前に寄り集まっていながら、ドローとなってしまった。時間が12時を過ぎたからだ。昼食のため、終えることにした。

スコールで、ジーパンもシューズもずぶ濡れだった。シャワーが心地よかった。

 

昼の食が進む。食パン3切れの他に、蕎麦もお代わりをしたほどだ。一緒のテーブルになった山縣夫妻は明るい。ご主人をデッキゴルフに誘ってみた。「スコールの中では、セットした髪が乱れますわあ」と、やんわり断られる。周囲を笑わせる人だ。また時期を見て、誘ってみよう。

 

デッキゴルフをみっちり3時間もすると、疲れが出る。昼食後に居眠りが始まる。まあ、いい休養なのだろう、これも。

 Img_0318 ごんどう鯨の親子が船を横切ったようだ。妻は部屋から走り出していった。しばらくして戻ってきた。「今度の中山キャプテンは、こまめに船内を歩いているわね」と嬉しそうに戻ってきた。そういえば、ダンス教室にいたかと思うと、我々のデッキゴルフにも顔を出して、一言声をかけては消える。客船のキャプテンの資質は、大変厳しい考査の中から選ばれてくるのだろうなと、思わせた。新入社員の頃、小佐治さんという局次長がいた。この人は、兎に角、机に座っていなかった。いつも、社員の机を触りながら、社員の肩を叩きながら、一言声をかけては、歩き回っていた。注意ごとも、冗談めかして軽く囁くように言う。仕事場がいつも柔らかい空気で包まれていた。

 

13時から1時間、田村ドクターによる航海講座があったが、出かけなかった。鳥インフルエンザも含め、最近の感染症についての注意点についての話だったようだ。

 

 16時から、1階のシネマに降りる。モノクロの「エリザベスR」を観てみる。制作費が安いのか、スペイン国王の執務室も英国女王の執務室も、L字セットの使い回しのようで、ちゃちなセットだ。会話の撮り方も、対話する顔を左右交互に割るだけで、退屈きわまりない。TVシリーズのビデオ録画ではないか。歴史的な背景を知識で得られるような格調もなく、C級作品。堪らず、途中で退席したほどだ。

 

今晩のドレス・コードはインフォーマル。紺ジャケットにベージュのズボンを選んだ。新調したベージュの上下は、気分的にはエジプト辺りで着てみることにする。

 

夕食は入り口で出遭った中島夫妻を誘った。中島さんはゲート・ボーラーである。茨城県大会での優勝経験もある。ゲートボールの質問を二、三したところ、話が止まらない。結構、楽しく聴けた。彼は、指導者であり、審判員で、奥様は全国大会の3位入賞者でもあった。ゲートボールとの接点が面白かった。ボランティア活動に参加して、地ならしからコート造りのために地ならしをしていくうちに、ゲートボールに魅せられていったという。国会議員の小野清子が組織の強化に積極的に関与してくれたお陰で、競技大会が盛んになり、全国で60万人の競技人口が出来上がってきたそうだ。平均年齢が21歳だと教えられ、驚いた。小学校から大学にまでこの競技が普及して、近々国体競技種目になる予定だと聞き、ゲートボールを再認識させられた。白鴎大学も強い大学の一つだという。

 地面がでこぼこの、下草も生えていそうなコートでは、イレギュラーで試合展開も狂うのではと思ったが、全国大会はローンコートだそうだ。奥さんにも是非デッキゴルフに参加していただきたいと誘ったのだが、暑い時期は避けたいとのことだったから、ヨーロッパ戦まで待つことにした。中島夫妻は船旅も、世界一週も初めてなので、見るもの、することすべてが新鮮で、何でも参加してやろうという気持ちで毎日過ごしているそうだ。3階の写真掲示ボードには、中島夫妻の姿を多く見受ける。卓球大会、フォークダンス、ゴーゴーディスコ大会など、毎日がとても忙しいですよと楽しそうに語ってくれた。3年前の自分たちだ。

 

2015分からメインショーが始まる。小松真知子とタンゴクリスタルのステージだが、カミサンも僕もタンゴには興味が湧かない。年長の乗船客、自分たちの10歳上の年代は、アルゼンチン・タンゴを好んで踊ったのだろうか。昭和5年生。戦前生まれである。彼らが大学生の頃、自分たちは小学校4年くらいか。笠置シズコ、美空ひばり、エノケン、川田晴久、シミキン、そして進駐軍のジャズが耳に残っている時代だ。

 尤も、大正元年生まれの父親は、かなりのレコード盤を持っていた。その殆どが、ダンス曲だった。手回しの蓄音機でそれを聴くと、母が悲しそうな顔をしていたことを思い出す。母はダンスの出来る人ではなかった。ラビットというスクーターは、発売のその年にもう乗っていたという当時の父は、結構バタ臭くて、家には、シルクハットをかぶったプランターズのピーナッツ缶がいつもあったし、吸っているタバコも、僕が日の丸と間違えた「ラッキー・ストライク」だった。

 乗船客の平均年齢が70歳は、自分と4歳の差だ。昭和11年生まれ。ビートルズか、ウエスタン・カーニバル世代ではなかっただろうか。リズム感は明らかにタンゴではない。それにもかかわらず、先回の世界一周クルーズよりも、エンタメは南米音楽に傾斜している。

 先回のように、北村英治年代のジャズが聴けないのはなぜだろうか。ターゲット・マーケティングが不足していないか。待遇か、日程か、交渉力不足か、それともエンタメ担当者のコネ不足か。乗船客の年齢が下がってからエンタメの対応が出来る筈もない。そろそろ入れ替えを配慮しないと、客は失望しかねない。カリブ海クルーズは、ヤッピー船客にフィットする、オールディズ・ポップス・ミュージックで、わんわんだと聞いている。

 

帰るなり、妻は長男の病状を知りたくて、パソコンを持って無線室に行く。メールの送信はなんとかできたが、受信はできなかったと帰ってきた。洋上がインマルサット通信の難しいエリアらしい。

 

21時、サロン「海」で落語を聴くつもりだったのだが、ワイシャツも脱いでしまった。今晩のドレス・コードがインフォーマルだから、公共の場では、服装もそれである。もう一度、着込むのも面倒なので、落語はやめた。部屋のビデオチャンネルで、ゲイリー・クーパーとマレーネ・デイトリッヒの「モロッコ」を観ることにした。

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